第6.9話 コンプレックス
『止まって失敗したんだ。だったら動け』
試合前に、凪月は、そう助言した。
進々も、そうだね、と頷いていた。しかし、その結果が1Q。
彼女も頭では理解できているのだろう。
ただ、これは心の問題だ。
理屈で解決できるような問題ではない。
だからといって、画期的な解決策も思いつかない。
こればっかりは、進々になんとかしてもらわないと。
インターバルの終わりを告げるブザーが鳴る。
「おい、進々」
凪月が声をかけると、進々は青い顔をこちらに向けた。
「何?」
大丈夫か?
そう尋ねようとして、凪月は思いとどまる。
心配されていると思えば、同調して心が弱る。
凪月はできるかぎり気合の入った声をつくって、進々の背中を叩いた。
「勝つぞ!」
進々は、少しだけ顔色をよくして、凪月の顔を一瞥した。
「お、おう」
それでも送り出した背中は、いつもよりも小さく見えた。
まったく、基本的に能天気なバカのくせに、変なところでうじうじしやがって。
人の心って、難しいな。
ていうか、コーチって、常にこういうプレイヤーのメンタル面のケアをしなければならないのか。コーチングが少し楽しくなってきたところだったのだが、こういう繊細な仕事は正直つらい。
中学時代のコーチは、どうだっただろうか。正直、自分のことでいっぱいいっぱいで、あんまり覚えていないけど。
もしかしたら、こんな気持ちだったのだろうか。
この試合が無事に終わったら、会いに行ってみるのもいいかもしれない。
なんて、フラグ過ぎるか。
「残り10分」
小町とカトリーナ、それから進々を送り出し、そこに華が続く。
最後に流々香がゆっくりとベンチから立ち上がった。
「ルル姉。あと10分だぞ」
華の疲弊も気になるが、流々香の疲労もかなり溜まっている様子だ。
最後まで走り切れるだろうか。
いや、走り切ってもらわないと困るのだが。
「がんば……」
「ちょっと、来なさい」
「え? おい、どこへ」
活を入れようとした凪月は、突然、流々香に腕を捕まれ、倉庫の方へと連れていかれた。
壁にガンと打ちつけられ、凪月は声をあげた。
「痛っ! 何すんだよ!」
「代わりなさい」
「はぁ?」
凪月は、そのまま問い返す。
今、何て言った?
冗談か、とは凪月には思えなかった。
流々香の表情があまりにも真に迫っていたからだ。
「何を言い出すんだよ」
「あなたが代わりに試合に出なさい」
「何でだよ」
「わかるでしょ。このまま私が出ていたんじゃ勝てない。ナツが出ないと」
「そんなのまだわからないだろ」
「わかるわよ!」
流々香は声を荒げた。
「私のところから攻められている! 1Qは、白藤が様子を見ていただけ! 勝負を決めにかかれば、必ず私を狙ってくる。そしたら絶対に負ける!」
「それは……」
妥当な思考。
バスケは素人同然とはいえ、凪月よりも頭のいい流々香にごまかしは通じない。
「そうかもしれない」
だからといって、
「だけど、それはできない」
「できない、じゃなくて、やれって言っているの!」
「だから、できない。そんなくだらないこと言ってないでゲームに戻れ」
「私の言うことは何でも聞くって約束でしょ!」
流々香は、悲痛の声をあげた。
「お願い、ナツ。私じゃ勝てない。見てたでしょ。何にもできなかった。何にもできなかったよ。私には。練習したけれど、やっぱり、私にはむりだった。ナツや遥みたいには、私にはできなかったよ」
こんな弱々しい流々香の声を、凪月は初めて聞いた。
ナツや遥みたいに。
その言葉にどんな意味を込めているのかは、凪月にはわからない。
幼馴染の流々香のことを、凪月はよく知っているつもりだった。
美人で、頭がよくて、頼りになって、腹黒くて、ときどきふざけて、変なところで恥ずかしがって。
バスケがしたいなんて、そんな素振りを見たことはなかったけれど。
河川敷のバスケコート、駆け回る遥、追いかける凪月、ボールの弾む音、川風になびく草木、堤防に座り本に目を落とす流々香。
もしも、あのとき言ってくれたら。
「私のせいで負けるなんてありえない。だから!」
それでも、
「だめだ」
凪月は、きっぱりと告げた。
「試合のインターバルは2分だ。もうとっくに終わってる。さっさと戻るぞ」
「ちょ、ナツ!」
「うっせぇ。よく考えろ。女バスの試合に俺が出る方がありえないだろ」
「そんなのどうにでもなるでしょ!」
「とにかく嫌だ」
「言うこと聞きなさいよ! 約束を破る気!」
「ルル姉はそんなこと言わない」
凪月は、流々香の手を払った。
「俺の知っているルル姉は、そんなつまらないこと言わない。そんな弱音を吐かないし、最後まで諦めたりしない」
「そん、なの……」
「だから、そんな、どこの誰の言葉かわからんものには従えない」
「……屁理屈じゃないの」
下を向いてしまった流々香の肩を、凪月はかるく叩いた。
「それに、自分のせいで負けるなんて、傲慢なんだよ。バスケはチームスポーツだ。誰かのせいで負けることなんてない。勝つのも負けるのもチームの責任。そんなに気にすることなんてないんだよ」
すると、流々かはぐすりと鼻をすすって、
「慰めになってない」
と突っぱねてから、
「どうなっても知らないんだからね」
やっと顔をあげた。
羊雲チーム 10 vs 12 白藤チーム
2Q 残り10分
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