3.赤いドレスの美女

 その人物は、円珠が会場に戻ったのとほぼ入れ違いでやってきた。


 エレベーターのドアが開くと同時に現れた女性は、絵に描いたような金髪碧眼の美女で、ワインレッドのミニドレスがひたすら眩しかった。髪はパーティ用に後方でまとめており、背は和佐と同等だが、年齢はむしろ姉の方に近い。

 明らかに異邦人と思しき女性は、まず最初に和佐の姿に目を留めた。金髪より浮いた白髪に目を引くのは自然なことであるが、彼女の反応は明らかにそれだけではなかった。


 ネイティブ特有の気さくさを超えた友好ぶりで和佐に迫る。


「Oh! アナタ、レイの親戚なのですか⁉」


 和佐の美しいかんばせは一瞬にして敵意と警戒心に染まった。この女性と今まで面識はないが、初対面でもそうでなくても、このような態度は和佐の最も嫌うところである。そのような馴れ馴れしさは編入生の変態淑女一人いればたくさんだ。

 最低限の慇懃さを保って言い放った。


「レイなんて親戚はいません」

「ですがそのカミ色、レイのと同じ色です。アナタはレイの親戚、違いありません」


『レイ』のことが、姉の一条黎明であることは和佐にはすでにわかっていたが、わざわざそれを教えてやる筋合いはない。


 視線と同じくらい硬質な空気を醸し出していると、ちょうどそこに飲み物を持った円珠が戻ってきた。赤ドレスの美女の話が聞こえてきて、姉様が沈黙する代わりにその質問に真面目に回答してしまう。


「あの……それってもしかして、一条黎明様のことでしょうか?」

「So Cute! アナタ、よくわかってらっしゃる!」


 英語の使い方が明らかに間違っているが、わざとであることは金髪美女の表情から見ても明らかだ。面倒臭い女であることは登場した時点でわかっていたため、和佐は勝手に答えた円珠のことを責めようとは思わなかった。


「ワタシ、イギリスから来ましたサエグサ・キャリー言います。サエグサ、漢字で三枝スリー・ブランチ、書きます」

「あ、わたしは日生円珠です。よろしくお願いいたします」

「一条和佐よ。……姉とは一体どこで?」


 敬語を使う気には、もはやなれない。名乗っただけでもありがたく思いなさいとばかりに和佐の口調は冷ややかである。

 三枝キャリーはそれに気づかない様子で、大げさに両手を広げて応じた。


「ワタシ、レイがイギリス来たとき、知り合ったです。メイドのフウも一緒でした」


 黎明が訪英したのは短期大学時代のことだ。彼女は二年の在学の間、講義を受けるよりも海外に飛び立っている方が多く、その内容は親の仕事の手伝いもあれば、単なる旅行であることもある。優秀な成績で聖黎女学園を卒業した黎明だが、特に語学の能力が凄まじく、異文化コミュニケーションや通訳などはわけもないことであった。もともと日本人離れした容姿の彼女なので、何語を話したところで十分さまになるのは疑いない。


 レイの妹が自分のことを知らなかった点に、キャリーはやや気落ちした様子だった。


「それにしてもレイもフウも、ワタシのことカズサに話さなかったですか? それはSo Shockです……。楽しい思い出、たくさん作りましたのに」


 背中を丸め、人差し指をモジモジさせる仕草をとるも、すぐに立ち直る。


「まあよい。これから思い出たくさん作ればいいでしょう。ところで会って早々申し訳ないですが、レイとフウ、こちらへ呼んでいただけないですか? この先たぶん招待状ないと入るの難しいはずですので」

「……それなら、あなたはこのホテルにどうやって入ってきたというの」


 完全に不審人物を見るときの目つきで和佐は問いただす。

 ホテルの正面玄関にも受付があり、それを無視してエレベーターに乗り込むことができないはずだ。招待客でないキャリーがどのような名目で受付を突破したのか、白髪少女は興味もとい疑念を感じていたのだった。


 赤ドレスの美女の回答は実に軽やかだった。


「Oh! 実はワタシ、たまたま隣のビルのパーティ会場いたのです。それで何気なーく窓の外眺めたら……ホ、ホワーット⁉ まばゆい白いカミ見えちゃったではないですか! コウシチャオレン! ワタシすごくレイに会いたくて会場すぐさま抜け出し、ここのホテルの宿泊決めたのです。レイに会えなきゃ、せっかくのホテル代もったいなくなります」

「……さすが黎明の知り合いね。つくづく行動がまともでないわ」


 思わず額を押さえた和佐である。彼女のホテル代のことなどどうでもいいが、これ以上無為なおしゃべりに付き合う気にもなれず、彼女は赤ドレスの外国人の要望を素直に受けることにした。

 円珠から水を受け取り、彼女とともに会場へ引き返す。


「あの、姉様……」

「なに?」

「もしかしなくても、怒ってらっしゃいますでしょうか……?」

「それはそうよ」


 氷水よりも冷えた声で応じ、和佐は歩きながらその冷たい水をあおった。


「三枝キャリーの存在も不愉快だけれど、さらに不愉快なのは、黎明が今まで彼女のことを隠していたということよ。海外旅行の土産話は嫌というほど聞かされたけれど、こんな友人の名前など一言も聞かなかったわ」

「それは……確かに変ですね」


 正直な感想を述べながら、白と青のドレスの美女に向かう姉様を目で追う。姉様に連れられて現れた二人は、美しいかんばせにそれぞれ驚きの表情をたたえていた。

 倍の人数でロビーに戻ると、赤ドレスの美女に対して黎明は声を張り上げた。


「キャリー! いつの間にこちらにいらしたの⁉」


 彼女の声は再会の喜びより驚きの方が強かった。

 一方、キャリーはストレートな喜びを表現しており、白いドレスの美女に向かって勢いよく抱きついた。円珠が咄嗟に姉様のかんばせをうかがい、その姉様は二人の抱擁を見て表情をこわばらせていた。


「Oh! レイ、アナタのこと驚かせたくて、来日したこと隠してました」


 そして、肩越しからもう一人の知人に対して青い視線を送る。


「フウ、アナタにもお会いできて、嬉しく思います。また手料理、ふるまってください」

「キャリー様。ええ、もちろんでございますとも」


 完全にメイドとしての対応である。それ自体に和佐は驚きを感じなかったが、彼女の態度は黎明と違って含みは小さい。

 主従の態度の差を、白髪少女は考えずにはいられなかった。


 黎明が「そろそろいいでしょ」とばかりに抱擁を解き、金髪碧眼の知人は名残惜しそうにしながらも素直に彼女から離れた。青い瞳を輝かせながら話題を変える。


「ところでレイ、本日は一体どちらで寝泊まりを? ワタシこのホテルの部屋、予約してるのです。もしよろしければ皆さんで思い出話、花咲かせません?」


 和佐はさらに美しいかんばせをしかめさせた。キャリー嬢が黎明に抱きついた時点ですでに表情は不快の坩堝にとらわれていたというのに、それでは済まないほどの激情が、怒涛のごとくうごめき回るかのようだった。

 黎明は真顔にわずかな苦笑を乗せた表情で、乗り気な友人に指摘をする。


「あなた、シングルで予約を取ったのではないかしら? だとすれば他の客を泊まらせるのは規約違反になりますわよ?」

「So What⁉ 言うなればナンテコッタイ!」


 青い目を丸くして盛大にのけぞるキャリー。


「むむー……ですが口を開かなければバレないのでは? それにレイと一緒に過ごせるなら違約金、まったく惜しくありません」

「誠におそれ多いですが……」


 今度は風月がなだめるように言う。


「この後、ご主人様は部屋で溜め込んだお仕事をこなさなければなりません。自業自得と言えばそれまでですが、ゆっくりと話す機会はいずれ必ずお作りいたしますので……」


 二人がかりで説得され、食い気味だったキャリーもさすがに誘いの無為をさとった。日本人特有のふんわりとした拒絶を理解してくれたのは、それを望むものとっては幸いであった。


「Oh No! からのSo Bad! ですがレイの事情、わかりました。今日はレイに会えただけでも、ワタシ嬉しい。またお話しできること楽しみにしています」


 内面のショックはどうあれ、キャリーの去り際は潔かった。

 悲しみを感じさせない様子でエレベーターに再び乗り込むと、残された和佐は白ドレスの姉を睨んだ。


「あなたにこんな友達がいるとは知らなかったわ。追い返してもよかったの?」


 風月の言う仕事うんぬんの件が真っ赤な嘘であることを、和佐はむろん理解していた。同時に金髪美女のために二人のごまかしをわざわざ暴き立てるつもりもこれっぽっちもなかった。

 黎明のかんばせは、せっかく着飾ったドレスが気の毒になるくらい硬かった。


「構いませんわ。休暇はエミリーたちと心置きなく過ごすと決めているのだから。キャリーには悪いけど、水を差すような真似は控えていただかないと」

「心置きなく、ね……」


 冷ややかに皮肉を言い放つと、残りの水をすべて飲み干して姉に対して背を向けた。


「とにかく私は先に部屋に戻らせてもらうわ。賑やかすぎて疲れちゃった。円珠、後で部屋に寄らせて」

「え⁉ も、もちろん構いませんが……」


 思いがけない幸運であったが、状況の変化に翻弄されて円珠の声は喜びを表すどころではなかった。ほとんど宴もたけなわと化した会場にグラスを戻し、円珠は父に会うということで、いったん姉様のもとから離れる。


 一人、和佐がエレベーターに乗り込むと、それを見届けた風月が主人に対して、一連の出来事の感想を述べた。


「思いがけない方が現れたものですね。いかがなさいます?」

「……ある意味、これはいい機会かもしれませんわ」


 精彩の欠いた主人の決意の意図を、ドレス姿のメイドは即座に把握しかねた。

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