5.217号室での会合

「なんてことをしてくれたのよ」


 自身の寮部屋の有様を見て、一条和佐は強烈な疲労感を美しいかんばせに飾った。


 三号棟の217号室にお客が来ること自体稀だというのに、しかもその相手の一人が三年前に嫌がらせのキスで追い出したご本人というわけだから、和佐としては編入生のルームメイトの手腕に感心を通り越して呆れるほかなかった。


 硬質な灰色の視線を送られた雪葉と円珠は、緊張をおぼえて背筋をピンと張った。どちらもキノコアザラシのぬいぐるみを抱き締めているのが微笑ましいが、当人たちからすればとても笑っていられる状況でなかったに違いない。


 一同は全員、ライラック色の制服から私服に着替えていた。円珠は新緑色のチェック柄のロリータワンピース。雪葉は白のTシャツにデニムのサロペット、そして黒のニーソックスという格好であった。唯一椅子に座っている和佐は、純白のシルクのブラウスに濃紫色のハイウエスト・ロングスカートで決め込み、裾から伸びた脚は黒のタイツに包まれて、美しい曲線をさらに際立たせていた。


 そして、円珠と雪葉を招待した岬は、薄手のセーターに千鳥格子のショートパンツの姿でルームメイトの白髪少女の嘆きに応じたのだった。


「一条さんも円珠から話を聞いてくださったんでしょう? 報告するなら雪葉もいた方が都合がいいと思いまして。それとも、まだ雪葉に対する敵意が残ってるんですか?」

「初めから彼女に恨みなど抱いていないわ。単に寮生活において邪魔だから追い出しただけに過ぎないもの」


 それはそれで酷い発言である。過去に追い出されたご当人は緊張の糸でガチガチに縛られ、キノコアザラシのぬいぐるみを自分の胸に押し付けていた。


 和佐は改まってルームメイトの少女に言い放つ。


「岬。私は騒ぎに巻き込まれるのは御免だわ。そして、春山雪葉を招いたことは、間違いなく騒動の元となる……。東野暁音が本気で怒り出す前に元の場所に帰しておきなさい」

「捨てネコみたいに言わないでくださいよ。それに、もうすでに暁音は怒り心頭の状態ですし」

「それはあなたのせいでしょう。私には関係ないわ」


 円珠はハラハラとしながら二人の姉様のやり取りを見つめた。こうなってしまった発端が自分にあると思うと胃痛を感じずにはいられないが、一方的に無視を決め込んだ東野先輩に対する不服も当然あり、このような会合を開いてくれた岬姉様には手を合わせて感謝したい気分だった。


 岬がさっそく本題に入る。


「……と言っても、大した進展はなかったんだけどね。暁音を呼び出してもみたけど、事情は聞けずじまいだった」


 ついでに暁音を呼び出す『儀式』についても話すと、円珠は面食らい、和佐は苛立たしげに白髪をかき上げた。「そのせいでこっちの空気がどうなったかわかっているの?」と嘆き、その表情を見ると、暁音の態度が教室二組に与えた影響の大きさが容易に想像できるというものだ。


 姉様の苛立ちがひとまず収まると、今度は円珠の方から切り出した。


「わたしと姉様は東野先輩の態度の変化がいつ起きたのかという点から見つめ直したんです」


 和佐と円珠は、始業式の前から携帯端末を使ってやり取りをしていたが、校舎内に個人の端末の持ち込みは禁止されている。ではどうやって話し合ったのかと言うと、なんと、姉様の方から直々に後輩の教室に踏み込んだのだという。


 好奇心丸出しの表情をとる岬に、白髪少女は偉そうに鼻を鳴らした。


「すでに関係が知られているから、どこで話し合おうと私たちの勝手でしょう」

「それはそうでしょうけど……円珠の方は突然の姉様の来訪にひっくり返ったでしょうね」

「さすがにひっくり返りませんでしたが、心臓が縮こまるかと思いました」


 あくまで生真面目に和佐の『妹』は応じ、休み時間と昼休みで話し合った内容を岬と雪葉に告げた。


「実は、入寮期間中にわたしと姉様の関係を東野先輩に打ち明けていたんです」


 入寮期間とは、始業式前の一週間に設けられた期間であり、その間に春休み中の生徒は寮に訪れて担当寮母に挨拶をする必要がある。ここにいる全員にとって、その入寮期間はそれぞれに思い出深いものがあった。


 和佐が『妹』の言葉の後を継いだ。


「私もその話は初耳だったわ。気の短い短髪少女のことだから、あっさり吹聴するものと思っていたけれど」

「暁音は基本、義理堅いと思いますよ。……雪葉は知ってた?」

「ううん。多分ゆきはが口を滑らせそうだから黙ってたんだと思う」


 三者三様に感想を口にすると、円珠は慙愧に堪えない様子で肩を落とした。


「わたしが東野先輩とお話したのはそれが最後でした。やはり、わたしが姉様とつるんでいたことが気に食わなかったのでしょうか……?」

「それはないね」


 岬が断言する。円珠だけでなく雪葉や和佐もその自信の根拠に興味があった。


「その時点で円珠を避けるつもりなら、始業式のあのときに野次馬根性で円珠の様子を見に来るとは思えないんだよ。雪葉、そのときの暁音の様子はどんなだった?」

「うーん、えんじゅがカズ嬢と一緒にシスターに呼びつけられたと聞いて『大丈夫かよ』って心配してたけど……」

「ね?」


 同調をうながされた円珠の反応は気まずげである。抱き締めたアザラシのぬいぐるみに視線を落とし、白髪の姉様お方も、やはり始業式の話題を出されて憮然となった。


 二人にとって、その出来事を懐かしい思い出にするには早すぎた。始業式の朝、円珠は和佐との激しい諍いのすえ、聖黎女学園を出て行くと親と寮母に宣言してしまったのである。幸い、彼女の暴走は姉様の渾身な説得によって未遂で終わったが、自分のせいでここまで騒々しい始業式になってしまったと思うと、気まずいの一言では済まされないだろう。


「ん? 待てよ。始業式……」


 自分の発言に刺激され、岬は顎に指を当てた。一同の注意が三つ編み少女の仕草に集中する。


「何を思いついたというの」


 和佐の口調は「さっさと済ませなさい」という態度が露骨であるが、それに対する岬の返事は婉曲的なものだった。


「一条さん。以前、ご自身で仰ってた言葉、覚えてます?」

「どの言葉よ」

「人は案外子供じみた理由で心を閉ざしてしまうというあれです。案外、一条さんの指摘は外れてないかもしれません」


 白髪少女は溜息を吐いた。確かに言ったが、本当に子供じみた理由でこのような時間を強いられていると思うと「憎みたいのはこっちの方だわ」と言いたくなってくる。


 その苛立ちも加味して、和佐は鋭くルームメイトに言及した。


「その理由とやらをさっさと話しなさいよ」

「嫌です」


 和佐の思考が一瞬、空白となる。

 だが、それはすぐさま鮮やかな憤怒に取って代わった。


 殺気立った視線でルームメイトの図太い神経を射抜こうとし、その白髪少女を見て、円珠と雪葉はそれぞれ窒息寸前の勢いでアザラシのぬいぐるみにしがみついた。


「あなた……この期に及んで何をふざけているの」


 底冷えする声を発するも、岬は涼風を受けたかのような平然さで返した。


「ふざけちゃいませんよ。事情をお話しする前に、一つ片づけておかなければならないことがありましてね」

「おい、みさき……今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」


 雪葉にまで言われてしまう。円珠もまったく同意見であるが、岬姉様が何を言い出そうとしているのかも気になった。


「岬姉様、片づけるべき用事とはいったい……?」


 編入生の少女は実に意味ありげな笑顔でルームメイトの美少女に視線を送った。


「雪葉に三年前のことを謝ってください。今すぐ、ここで。雪葉を部屋まで連れてきたのは、そのためでもあるんですから」


 三人は言葉がなかった。ぬいぐるみを抱えた二人は驚きのあまり互いの顔を見合わせてしまい、三年前の加害者である白髪少女もしばらく開いた口が塞がらない有様であった。


 黙然とする和佐のかんばせを、ルームメイトが覗き込む。


「やっぱり、できませんかね?」


 うながされて、ようやく和佐は唇を動かすことができた。


「……別にできないわけではないわ。ただ無意味なことはしたくないだけよ」

「無意味ですって?」


 岬は眉を片方だけ動かした。何気ない反応だが、和佐はなぜか言い返しにくい気分におちいった。


「意味は大いにあると思いますけどね? 誠意を込めて謝罪することで、雪葉の中にあるトラウマも薄らぐでしょうし、わだかまりが解消されれば、周囲の態度も少しずつ変わっていくかもしれません。だいたい、こういう場を設けないと一条さんは決して謝ることはないですし、悪いことをしておいて謝る意義なんていちいち考えないでくださいよ」

「あなたに意見されてもね……」


 変態淑女のルームメイトに毒づくも、和佐は彼女にうながされるかたちで立ち上がった。


 以前の自分なら、このような場でも決して頭は下げなかったであろう。なぜ、行動を移す気になれたのかは和佐自身もよくわかっていない。断っても面倒と思っていたのかもしれないし、三年前のルームメイトの少女が、もはや自分に関与しないと確信が持てて、謝るだけの心のゆとりが生まれたのかもしれなかった。


 とにかく、三年前の嫌がらせのキスの加害者は、その被害者の前まで訪れて自慢の白髪を揺らして頭を下げたのだった。


「ごめんなさい。ルームメイトになる意思がない限り、あなたに危害が及ぶことは金輪際ないでしょう」

「お、おう……わかった」


 何が何だか分からないという表情で雪葉は謝罪に応じた。まさか本当に謝られるとは思っておらず、心の準備がまるで出来ていないのが丸わかりであった。


 一方、このやり取りを見て瞳を輝かせたのは円珠だった。姉様の謝罪は社交辞令の可能性も十分にあり得たが、この光景は聖黎女学園における歴史的瞬間と言えるのではなかろうか。


 だが、歴史的瞬間の当事者はさっさと謝罪を済ませてしまうと、編入生に向き直ってせかすのであった。


「ほら、謝ったわよ。あなたの心当たりとやらを聞かせなさい」

「切り替えが早いなあ。もう少し感動に浸ってたかったのに」


 和佐はこれ以上、編入生の御託に応じるつもりはなかった。岬は肩をすくめ、改めて三人に向き直る。


「わかりました。きっと、皆の納得がいく理由を提示できると思いますよ」


 自信ありげに前置きし、岬は自分の考えを語り始めた。

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