9-5 牙の女のすべて


「お母さんは、私を産んで死んでしまいました」


 こなみがこう語ると場所が変わった。

 実験室は分娩室に様変わり。どこからともなく医師や看護婦が現れ、忙しなく動き出した。彼らの身体が朱里と博にぶつかるも、すり抜け自分の仕事をこなしていく。

 ベッドは分娩台に。そして、台にはこなみによく似た女性が。女性の顔を見て、朱里は覚った。


(この苦しんでいる人が、大倉のお母さん……やっぱり、あの大男の胸の女の人だ)


 分娩台で苦悶する女性。産む苦しみは凄まじい、彼女は歯を食いしばっていた。

 そんな女性を元気づける医師や看護婦。

 頷くことはなかったが、彼らの励ましは非常にありがたかった。

 その甲斐あってか、分娩台から泣き声が。

 羊水で濡れた小さな女の子が、女性の目の前にそっと差し出される。


「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」


 出産という過酷な戦いを終え、ようよう現れた我が子を見ると、女性はにっこり笑った。それはまるで絵画の聖母が浮かべるそれだった。

 その後、女性は事切れてしまった。

 波を打っていた心電図は、まっすぐに。これやいかにと思った医師たちは、慌てて女性を生かすべく処置を行う。強心剤を投与し、電気ショックを与えるも女性は生き返らなかった。

 それでも医師たちは懸命に、女性のために。女性が産んだ娘のために。その家族のために。がんばったのだけれども、その甲斐もなく……亡くなった。

 医師らが立ち尽くすその場は絶望が漂っていた。

 そんな悔やむ者たちの元へやって来たのが、若き日の大倉。

 大倉は妻の元へと駆け寄ると、必死にその肩を揺らした。しかし、最愛の人はなにも答えない。開ききった瞳孔で虚空を見つめていた。

 妻が死んでしまったことを認識すると、大倉は医師の両肩を激しく揺さぶった。


「本当に申し訳ありません。手を尽くしましたが、ダメでした。あなたの奥様は……本当に、申し訳ありません」


 その場に両膝が崩れ落ちる。

 そして、ひと目をはばかることなく大倉は声を上げて泣き始めるのであった。

 分娩室で背を丸める男に、看護婦は先ほど取り上げた子を持ち寄る。産まれ出てきて、必死に自己主張をしている子を。

 名前を呼ばれ、大倉は立ち上がる。

 丸めた背を伸ばすと、視線の先に自分の娘。

 命を落としてまで、女性が産んだ子。彼女の半身。

 だが、妻を深く愛して男からすれば――。


「私の妻を殺したそんな子など、そんな悪魔など……私はいらない!」


 そして、再び……実験室に3人は帰ってきた。

 どんな手品を使ったか、わからない。気がついたら、朱里と博はそこにいた。


「私は父親に、悪魔の子だと言われました。あなた方のように、祝福されませんでした。望まれた子ではなかった……」


 そのことを2人に告げる。

 朱里はなんとも言えない顔を、博はこなみの顔をろくに見ることができなかった。

 2人の顔を交互に見て、こなみは目をつぶった。

 すると、再び舞台は変わる。


「あっ」


 先ほど垣間見た、こなみの過去。


「うわあああああああああああっっ!!!」


 父親にベッドに縛り付けられた8歳の少女が、実験を施されていた。脳神経に電流を流され、耐え難い苦痛を味わっていた。ベッドに拘束され、身を悶する少女の傍らには、無表情の男。こなみの父親である。


「前頭葉にデータを流したがうまくアクセスできなかったようだ。今度は大脳皮質だ。ポイントZt5にデータを流し、意識がサーバへ送られるかを確認する……」


 娘の反応を見ながらブツブツ何かを言っている。粛々と実験を行っていく大倉に、娘を気遣う様子はなかった。

 なにせ娘は最愛の妻を奪った悪魔である。

 遠慮する様子はなかった。


「ぎゃあああああああああああああ!!!」


 それでも少女は実験という名の拷問に耐え続ける。何度も脳に電流を流され、意識が飛んだことやら。何度、幻覚を見たことやら……。


「ああああああああああああああああ!!!」


 それでも幼いこなみは耐え続けた。

 耐え続けた。


「すべてはお父さんに愛してもらうために……」


 だがしかし、その想いは叶うことはなかった。

 再び舞台は暗転する。

 悪夢でも見たような感覚のち、気がつけばーー大男の手のひらの中。再び場所は図書館に戻っていた。

 穏やかな顔をしている大倉。満面の笑みだ。これに驚き、身をよじるのだが、大男の両手からは逃れられない。

 全部無駄だと悟った時、朱里は絶望した。


「最後までご静聴、ありがとうございます。朱里さん、あなたはここでゆっくりと死んでもらいます。遠慮なく、お父さんに握り潰されて下さい」


 何もかもを諦めた時、こなみが現れた。

 そして――。


「久川さんには帰って頂きました。もうここにいてもらう理由がないので」


 にっこりすると、こなみは告げる。

 朱里を奈落に落とすために。


「帰ってもらいましたが、彼が起きるのはこのデスゲームが終わった後です。ですから、安心してお父さんに握り潰されて下さいね」


 朱里の瞳から、光が消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます