第九話「大倉こなみ」

9-1 救いの手

 疲れ果てて、朱里は眠ってしまった。

 泥のように眠ってから、どれくらいの時間が経ったのかはわからない。朱里が目覚めた時、そばには博がいた。


「おはよう、児島」


 声をかけられた後、少し距離を取り――朱里はあたりを見回す。

 どうやら図書館の休憩室にいるようだ。そばに自動販売機二台とベンチ。ベンチで眠っていた。3畳ほどの狭いスペースだからか、圧迫感があった。それに、自動販売機の照明だけだから薄暗い。おまけに静かで、ブゥゥンンという不気味な音が自動販売機の胎の中から聞こえてくる。


「な、何もしてない」

「してないよ」博ははにかむと、「結構、疲れていたみたいだから泥のように眠っていたよ。俺もちょっと眠っていた。君のお父さんのおかげかな?」

「お父さんが何かしてくれたの?」

「うん」博はかぶりを振ると、「セーフティゾーンってやつを作ってくれた。だから、ここでゆっくりできる。ここで君のお父さんが助けてくれるのを待とう。あと、これ……」


 博は朱里へ昔ながらの電話、PHSと呼ばれるものを差し出した。

 今は2030年代、スマフォが主流の時代である。画面だけでなく、ボタンがついている電話は見慣れなかった。


「なんかね、今はこの……ちっこい電話を潜り込ませるので精一杯だとか。使い方はわかる? 俺はさっき教えてもらった。よかったら教えようか?」


 教えてもらったと聞き、朱里は何とも言えない顔をした。


「うちのお父さん、システムエンジニアなんだけどさ。めっちゃ口下手というか、説明が下手くそなんだよね」

「あぁ、まぁ……うん」博は困ったようにはにかむと、「児島のお父さんの説明な、よくわからんかった。けどさ、適当にいじってどうにか使い方はわかった。電話帳を開いて通話ボタンを押すだけだった」


 その場で実演する博。自分の端末を取り出し、朱里の父親に電話をかけてみせた。

 かけた後、博はすぐに電話を切った。非常に簡単な操作だったから、朱里も博と同じ要領でPHSで電話をかけてみる。

 3コールしたのち、朱里の父親が電話に出た。


「……もしもし、朱里か?」

「うん、お父さん」

「疲れていたんだろうな、さっき久川君から眠っているとの報告を受けたよ。何か変なことはされていないか?」


 変なことをされていないかと聞かれ、朱里は博をにらみつけた。

 この世界にいる人間は、イカれた連中ばかり。誰かしら、何かよからぬものを抱えていた。

 だからか、だれも信用できなかった。

 それに、博は向月の癖のある彼氏だった。彼女を利用して、その親友と恋仲になろうとしていた。

 自分も裏切られるのではないだろうか。

 そう考えると、いてもたってもいられない。


「それは大丈夫だと思うけど……わからない。この世界にいるみんな……みんな、普通じゃないから――私も久川も……大倉のお父さんや東尾みたいに化け物になってしまうかもしれない。みんな、まともじゃない」


 質問に、まともに答えられなかった。

 娘の不安をくみ取り、父親は何を思ったか。しばし、朱里の父親は口をつぐんだ。朱里にかける言葉を静かに選んでいた。

 濃い霧に包まれているゴーストタウンの図書館は、朱里と博しかいない。電気は非常口の証明と自動販売機のみ。異様に暗い。何かが現れてもおかしくはない雰囲気にある。この雰囲気にあおられ、平静ではいられなかった。


「久川君のバイタルデータだけど、普通だよ。大倉博士や向月さん、東尾さんたちは――ログを見た感じ、もともと異常があったみたいだ。ん~久川君から得た情報から推察するに、彼らの本心を抉りだすために仕込まれていたというか……」

「お父さん、それってどういうこと?」


 また、小難しく説明をしてしまう朱里の父親。

 痰を切った後、簡潔にこう言い表した。


「あ~とにかく、久川君は向月さんを貶めるために呼ばれただけに過ぎないよ。東尾さんも、そんな感じ。でも、彼女はいじめの実行犯だったから……ちょっと大変なことになってしまったけどな」


 息を吐いた後、


「とにかく、大倉こなみの目的は――復讐だ。自分をいじめた連中を貶めること、DBLSの実験と名ばかりの虐待行為をしていた父親への反逆かな?」


 朱里の父親はこう締めくくった。

 その父親が娘を使って何をしようとしているのか、朱里は知っていた。


「お父さん、その大倉の父親なんだけどさ……」


 どうしたと尋ねられ、朱里は眉間を険しくした。耐えがたい不安が押し寄せ、朱里はせわしなく瞳を動かすのであった。


「自分の奥さんを生き返らせようとしているんだ。大倉を使って、なんか……そんなことをやろうとしているみたい。詳しいことはわからないんだけどね。そのために娘を使っていたって、言っていた」


 これはにわかに信じがたい事実であった。

 朱里の父親は思わず吹き出してしまった。酷い冗談だと。しかし、朱里の沈黙を前にして冗談でないことを覚るのであった。


「それって本当か? 本当に言っていたんだな……」


 朱里は何も答えはしなかった。

 この無言の肯定を受け、朱里に父親は早急にこの世界から自分の娘を脱出させなければならないと覚るのであった。彼が思っている以上に、このサイコハザードは恐ろしいことになっていると。


「……わかった。とにかく急ぐ。お前――いや君たちが現実世界に帰れるように何とかする」


 そう言って、朱里の父親は電話を切った。

 電話が切れたあと、静まり返る。この空虚な感覚が朱里はたまらなく嫌だった。

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