8-4 なみえ


「な〝み〝え〝え〝え〝!!!!」


 迫りくる大男。

 学校の廊下を懸命に走る朱里。大男に追いかけられているというよりも、暴走している大型トラックに追われているような気がして仕方ない。

 体は疲労しきっていた。足はよくもつれそうになる。おまけに、頭もかなり朦朧としている。けれども、命がかかっている状況だ。だからこそ、休んでなどいられない。走らなければ大男になってしまった大倉に殺されてしまう。

 まだ、死にたくない。

 この地獄のような世界から帰りたくって仕方がない。

 けれども、こなみが許してくれない。こなみにも問題はあったとはいえ、自分のやったことで一人の人間を傷つけてしまったことには変わりない。

 今は、走ることしか考えられない状況だ。

 命がかかっている状況ではあるが、その問題について考えて苦しまなくていいのは幸いか。


「う〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝!!!」


 雄たけびを上げ、大倉はイノシシのように突進してきた。

 壁に体をめり込ませるたび、ぞっとしない。敵は加減を知らない。何が何でも朱里を殺さないといけない理由があったから。妻を生き返らせるという目的のために。

 廊下を駆け抜け、階段を飛び降り、ようよう朱里は下駄箱へ。

 下駄箱をすり抜ける時に、朱里は振り向いた。追いかけてくる大倉の胸に、胸像のようなものがついているのを見つけた。


「ひっ!?」


 胸像が人間の女性ということを知り、背筋に悪寒が電流のように走り、足が止まりそうになった。だが、下駄箱の段差に躓きかけたおかげか、朱里は転びそうになりながらも走り出す。


「な〝み〝え〝え〝え〝!!!!」


 女性が何なのか、朱里はわからない。どういった存在なのか。気になるところではあるが、とにかく今は逃げなくてはならない。考える間はどこにもなかった。

 朱里は校舎の外へ。相変わらず濃い霧の中へと駆けだす。

 相変わらず立ち込めるガスは酷い。3メートル先は見えないような状態である。


「な〝み〝え〝え〝え〝!!!!」


 大男は丸太のような太い腕で下駄箱を蹴散らすと、外へと目を向けた。

 ここに来てからずっと朱里は思っていた。霧は鬱陶しいこと、この上ないと。

 だが、今の状況的にこれほどうれしいものはなかった。この濃い霧のおかげで姿を隠すことができるのだから。


「な〝み〝え〝え〝え〝!!!!」


 校舎を出た後、霧のおかげで朱里の姿は見えなくなった。

 下駄箱で暴れ倒した大倉は、咆哮を上げる。頭を激しく左右を振り、どこにいるか確かめる。だが、いかんせん霧が深いせいで朱里の姿を見つけられなかった。もう少しで、捕らえられたのにという後悔から、大倉は絶叫する。


「う〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝!!! な〝み〝え〝え〝え〝!!!!」


 そんな大倉の元へ老婆たちが集まり始める。目を爛々と輝かせ、にじり寄る。

 歯をむき出し、大倉にとびかかる老婆たち。だが、大倉は意を介さず。丸太のような腕で老婆らをひと薙ぎする。老婆らは後ろに吹く飛んだと思いきや、その場でバラバラに。3メートルもの大男と化した大倉の力はすさまじいものだった。

 あっという間に押し寄せてくる老婆の群れを駆逐する。

 校舎の入口が静かになった後、大倉は死んだ老婆の肉を貪り始める。体に着いた老婆の血肉を嘗め回した後、地面にこびりついている老婆の残滓を食らいだす。元が人間だとは想像しがたい行為にふけ込んでいた。


「な〝み〝え〝え〝え〝……」


 愛おしそうに床をなめる大男。その胸にいる女は血の涙を流していた。

 その間、朱里は霧の中を突っ走る。

 記憶を頼りに朱里は校門から出て、朱里は大倉を撒いたことに気づく。


(やっと、撒いた……)


 深呼吸をしたあと、朱里はゆっくりと歩き出す。また、慎重に老婆たちと出くわさないように気を付ける。大倉に出会わないように学校から遠のくのであった。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」


 やはり、老婆たちの遠吠えは続いている。

 また、


「な〝み〝え〝え〝え〝!!!!」


 大倉の咆哮も遠くからでも聞こえた。

 見慣れたはずの霧の街。疲れた頭が、こう思わせるのであった。生まれ故郷が自分を殺そうとしていると。しかし、頭ではわかっている。ここが仮想現実の中だということは。だがしかし、それでもこう思わずにはいられなかった。


(これからどこに向かえばいいんだろうか?)


 正直に言って、朱里は泣きそうだった。許されるのであれば子供のように声を上げて泣きじゃくりたい衝動に駆られていた。

 しかし、それはこなみの思うつぼである。

 だから、溢れる涙を袖で拭って上を見上げた。

 ちょうど朱里の頭上に標識が建てられており、そこには祠堂(ほこらどう)とあった。


(そういえば、祠堂に図書館があったような……ううん、あった。とにかく、そこに行ってみよう)


 祠堂の市民図書館。

 何が待ち受けているのかはわからない。けれども、朱里はその場所へ行こうと思うのであった。

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