6-5 決壊する人間関係

 しばし、朱里と博は何も言わず黙りこくっていた。

 展望台の中は、ジェット機のエンジンのような音がかすかに聞こえている。ごぉぉぉという、音だ。どこからか風が入ってくる音。その音がどこから聞こえてくるのか、二人に考える余裕はなかった。壁に背を付け、呼吸を整えている。

 あんな話をした後ではあるが、恐ろしい場所にいることは変わりない。お互いに頑張って恐怖を落ち着かせるので精一杯だ。

 このまま、目をつぶってしまいたい。

 これは夢で――目をつぶれば、悪夢から覚めればいいのにと。

 博も朱里も思っていた。目を開けたら朝で、穏やかな日常が待ち受けていたら、と。朝食を食べ、学校でのんびりして家に帰るという、一日が待ち受けていたらいいのだが。

 しかし、この夢が醒めることはない。2人はさらなる災禍に見舞われるのであった。

 扉が開かれ、展望台の闇に包まれていた1階が急に明るくなる。扉から現れたのは服を血で濡らす向月。体にいくつも傷が走っていた。


「雅、どうしたんだ!?」


 彼女は何も言わず博の元へ走り、博を盾にした。これやいかにと、朱里は壁から離れる。すぐさま、扉に視線を送る。

 開ききった扉から、――向月を追いかけるものが現れた。


「東尾……」


 血で濡れたゴルフクラブを持った東尾であった。血走った眼には激しい怒りと憎悪が灯っていた。爛々と光る瞳の瞳孔が、完全に開ききっている。それをまっすぐ、東尾は向月に向けていた。


(向月を東尾が殺そうとしているの? でも、二人は――親友のはずじゃあなかったの? いったい何が……)


 朱里がこう思った時、東尾は言った。


「博ぃ、どいてくれない?」


 間延びした声だった。首をのけぞらせ、上から向月を見下す。向月はというと、博の背中に隠れていた。

 いつもとは違う東尾に、博は違和感と恐怖を抱いていた。


「えぇっと……東尾、どういうことなんだ? なんでお前はこんなこと」


 うまく舌が回らない。どもりながら、拙い言葉を紡ぎ出してしまう博。

 そんな博に朱里はにっこりと笑った。


「どうもこうもないよ。ただね、その女が許せないだけだから。私の幸せをさ、ううん……幸せだけじゃない。私のなにもかもをこの女は奪ったんだ。私が今までね、大切にしてきたことを全部……」


 東尾は猛烈な感情に振り回され、無茶苦茶なイントネーションで言った。まるで体の中に猛獣がいて、それを必死で抑えている様相だ。この激情に充てられてか、向月は先ほどから何も言わなかった。

 じっとこの3人を見つめている朱里は後ずさる。じりじりと。

 ここは何もない場所だが、足が震えているのか、朱里は躓いてしまう。転びかけ、体制を崩してしまう。

 大きく体が動いたせいで、東尾は朱里に気づいた。

 目が逝った東尾に見つめられ、朱里はすくむ。まずいと思った時、背中に隠し持っていた包丁を構えた。ゴルフクラブの方が、圧倒的にリーチが長い。

 にっこりと笑うと東尾は言った。


「ごめんね。児島さん。さっきはあなたを殴ってしまって……わかるよ、今の私ならわかるよ。悪い雅に騙されたんでしょ? 私はずっと騙されていた。この女のせいで大切なものを失うところだった……ううん、現に失ってる」


 まるで自分に言い聞かせるように東尾は言った。

 朱里と博は訳が分からない。どうしてこうなってしまったのか? 離れていた時に、何があったのか。


「聞いて、聞いて、二人とも!」目を見開き、東尾は言った。「さっきさぁ、こんなことを聞いたんだ。大倉が私にさ、教えてくれたの。そこにいる女が、中学の頃……私の彼氏をかどわかして無茶苦茶にしたんだ。私の幼馴染……こいつのせいで、こいつが……こいつが……こいつのせいで何もかもがめちゃくちゃになったんだ!!」


 わなわなと震える東尾。

 朱里と博に何かを伝えようとしているが、憎しみが邪魔をして頭が回らなかった。うまく説明ができない。


「――マッチポンプだったんですよね?」


 そんな東尾のために、わざわざこなみが出てきた。博に撃たれたはずなのに。

 にらみつける向月に微笑むとこなみは説明をする。東尾に対して、向月がやったことを。


「お二人が中学校の頃でした。中学二年生の時、です。三学期になる前に、向月が東尾さんの彼氏をかどわかしたんですよね。当時、東尾さんの彼氏が浮気している写真を撮影し、向月は東尾さんにそれを見せた。当然ながら、東尾さんはその写真を見てショックを受けました。それからというもの、彼氏さんに写真を見せて、大喧嘩。別れました。失意の底にいた東尾さんを向月が慰め、立ち直り、好意を抱いて今に至るんですよね?」


 こなみはひとしきり説明を終えると、朱里をにらみつけた。

 にらみつけた後、


「それと――ですねぇ。久川さん、この事件にあなたも無関係ではありません」


 こなみは博の方を向いた。

 きょとんとしている博に、東尾は言った。


「こいつさ、あんたを私と浮気させてさ。ネットにつるし上げようとしてたのよ」

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