4-5 エスケープ

 白い外套の少女が現れてから数分後のことである。

 あたりに漂う乳白色のガスは次第に晴れてく。1mもなかった視界が、すぅぅぅっと広がっていく。周囲にあった建築物のシルエットが浮かび上がり、からんとした住宅街が。しかし、それでも霧は濃く、影絵のような世界のまま。

 腰が抜けた向月を背負う博と朱里は、目くばせをすると夢の浜の外へと歩き出す。

 朱里は歩きながら考えていた。反対側がどこなのかを。確か――夢の浜の北側は山になっていて、展望台があった。その展望台は3か月前に閉鎖され、現在は解体作業をやっているなぁと。


「うぅぅぅぅぅ~」


 考え事をしながら歩いていたら、不意に老婆の息を聞いた。

 博も朱里もピタッと制止する。また、耳が痛くなるような静寂の中に3人は放り込まれる。背負われている向月は恐怖のあまり、ぎゅっと博の背中を抱きしめた。

 霧の中から、3人の前に老婆が現れる。四つん這いになり、呻きながら獲物を探しているようだ。

 その老婆は3人の側を通り過ぎ、霧の中へと消えていった。

 いなくなり、ひとまず安心する朱里たち。

 しかし、油断はできなかった。


「うぅぅぅぅぅ~」

「うぅぅぅぅぅ~」

「うぅぅぅぅぅ~」


 息をつくのも、束の間。辺りに老婆たちの声が反響する。響き渡り、くぐもる――おぞましい息の音。再び緊張がのしかかり、痛いほど耳鳴りがしてきた。

 老婆たちが這う音が生々しい。耳から侵入してきた恐怖は、3人の鼓動を早くした。体の中から心臓はノックする。早くこの場所から去れと、この場所から去らなければ命の危機だと、激しく訴える。

 体の中で泣き叫んでいる心臓の言うとおりにしたいが、ままならない。


(これって、囲まれているよね? いいや、この感じからして絶対に囲まれている)


 不特定多数の老婆たちに囲まれていることを悟る朱里。隣にいる向月と博を見た。2人とも、恐怖におののいていた。特に向月が酷かった。

 その向月はというと崖の上に追い詰められたような心境にあった。半分パニックのような状態だ。白い外套の少女に出会ったときから、彼女はおかしかった。怖くて怖くて仕方がない。ぎりぎりのところで踏みとどまっていた。

 踏みとどまっていた向月だったが、耐えきれなくなったようだ。


(えっ!?)


 博の背中で暴れ始めた。


(静かにしていればいいのに、こいつは何をやっているんだ?)


 布がこすれる音が、老婆たちの耳に届いてしまったらしい。霧の中から殺気が向けられている。冷汗が朱里の頬を伝う。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、うぅぅぅぅ……」


 焦燥する朱里。そっと、ゆっくりと博と向月から離れていく。2人に気取られないように霧に紛れていく。

 霧に紛れ、2人の姿がなくなった時だった。朱里のかかとにこぶし大の石がぶつかり、躓きそうになった。持ち直した後、朱里は石を拾い上げる。

 拾い上げた後、朱里は妙案を思いついた。

 石を遠くに朱里は投げる。投じた石ころは霧の中に消え、からんころんと転がった。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 それはまるで、火の手が上がるようだった。

 いたるところから、老婆の絶叫が上がり、音がした方へと押し寄せていった。そのすきを突き、朱里は博と向月のもとへ。


「走って!」


 博に耳打ちをする朱里。博は頷くと、すぐさま走り始めた。人を一人、背負っているとはいえ、サッカー部のレギュラーの足はかなり速かった。あっという間に、距離を離されてしまう。

 博の背中の向月はこの騒ぎで、おとなしくなっている。背中に顔をうずめ何も見ないようにしていた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 老婆はやはり追ってくる。3人を食らうべく。四つ足で懸命に追いかけてくる。朱里が後ろを振り向いたとき、爛々と狂気に輝く目がたくさんあった。


「もう少しで、夢の浜の外だ! がんばれ、児島!」


 しかし、3人は迫り来る老婆たちから何とか逃げおおせる。夢の浜の外に出て――博と向月は現実世界に帰れると考えていた。その一念で、博は足を動かしていた。向月は博の背中にしがみついていた。

 だが、しかしこの世界は無常。


「やっぱり……」


 朱里が見立てたとおりだった。夢の浜の外に出たと思いきや、反対側にリープをしただけだった。

 ついた場所は、馬場葦の展望台。夢の浜の北側だった。

 過度な期待を抱いていた向月と博はこれに絶望し、その場にうずくまる。

 そんな2人を朱里は冷ややかに見つめるのであった。

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