3-4 助け舟

 伊能呉服の裏口から音をたてないようにそっと、朱里は出る。

 老婆と最初であった時、扉が軋む音で気づかれ、襲われた。包丁があったからよかったものの、なかったら老婆の贄になっていた。

 伊能呉服の裏口は、年季が入っているアルミサッシになっている。ドアノブを回し、扉をわずかに持ち上げて極力音をさせないように扉を開く。

 そっと外に出ると、朱里は下が砂利になっていることに気づく。

 地面を踏むたび、敷き詰められている石がひしめいて音が出てしまう。朱里は苦虫でも噛んだかのように、顔をゆがめた。ここを歩いていくのは得策ではない。正面から歩いていくしかないと判断を下す。

 向月のもとへ引き返そうとした、その時だった。


「えっ、ちょ――」


 パーカーのポケットの中からBEEP音が。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 それに気づいた老婆たちが、鶏のようにけたたましく鳴き始める。獲物を見つけたぞと、わめき散らすのであった。

 なんでこんなことに? と、自問自答をする間はない。

 朱里はポケットの中にあったキッチンタイマーを砂利の上に投げ捨てると、店内に逃げ込むのであった。店内に逃げると、朱里は向月を探す。走り回って、探すもどこにもいない。どうやら朱里をおとりにして逃げたらしい。


(あの女……)


 助けてやったのに、恩を仇で返すのか?

 朱里はムカッとしたが、今は逃げなければならない。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 外にいた3匹が、店の中に入ってきた。四つん這いの老婆が、鎌首もたげ迫りくる。何かないかと店内を見回したとき、背にしていた棚からキッチンタイマーが鳴り出した。

 あっ、と息を呑む間もない。

 老婆たちは朱里を認識、獲物をしとめるべく連携した。天井から、左右から、朱里を仕留めにかかる。退路はどこにもない。完全に回り込まれてしまった。

 この絶体絶命の状況。視線をせわしなく動かし、退路を探す。ないのはわかっているが、それでも朱里は探さずにはいられなかった。まだ、こんなところで死ぬ訳にはいかない。何としても現実に帰らなければならないため。

 にじり寄る老婆。右から迫る老婆も左から来る老婆も距離は3メートル、少しずつ狭まっていく。また、天井からは粘っこいよだれがしたたり落ちてきた。汚いのが朱里の頭にかかった。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 上からとびかかってきた老婆をよける朱里。続いて右から、老婆が飛んできた。

 右からの攻撃をしゃがんでよけると、老婆と老婆がぶつかり合う。そして、もみ合いに。2匹は形容しがたいキャットファイトを演じ出した。

 この隙に、店外を目指す朱里。

 なんとか立ち上がり、全力疾走。左右にそびえる商品棚がもどかしい。角を曲がるたび、姿勢を崩しそうになった。

 そんな朱里の背を追いかける老婆。

 どうしてこんなに執拗に追いかけてくるのか? 店を出ようとした瞬間、そんな疑問がよぎる間はない。店内のチェイスを制し、店の外に出る。

 しかし、またしても老婆が立ちふさがる。

 飛び出た瞬間――老婆が朱里にとびかかった。

 そして、老婆は朱里に馬乗りになる。


「ひっひっひっひっひ……」


 後頭部を強く打ち、一瞬だけ伸びた後――朱里は見た。

 満面の笑みの老婆が引き笑いをしているのを。

 嗤う老婆は朱里の両手を抑えると、大口を開けた。朱里は思い切り目をつぶり、何もかもをあきらめる。

 馬のようにこれまでの思い出が脳裏によぎる。

 楽しかったこと、悲しかったこと色々あったが、この状況を打破するものは何もなかった。


(もう、あきらめるしか……)


 このまま老婆に貪られるのだろうと朱里は思っていた。

 しかし、だ。

 大きな音の後、朱里をむさぼろうとした老婆の頭が吹き飛ぶ。間一髪のところで、朱里を救う者が現れた。

 何が起こったのか、朱里にはわからなかった。

 続く大音響。

 朱里が暮らしているマンションのエントランスで聞いた音。銃声である。

 絶体絶命の朱里を救ったのは、久川博(ひさかわひろし)という好青年。日に焼けてくすんだ茶髪と高身長が特徴的だ。片手にくすぶるサクラで、二匹の老婆を倒してみせた。ちなみに伊能呉服の店内でもみ合っていた老婆らは共倒れし、物言わなくなっている。


「……大丈夫です――って、児島! マジで大丈夫?」


 朱里は何も答えなかった。

 博は銃をしまい、朱里にのしかかった老婆をどける。ボーっとしている朱里を何とか立たせると、博はホームセンターに駆け込んだ。

 ホームセンターの開きっぱなしの扉を閉めて、何度も朱里の肩を揺らす。

 朱里は死んだ魚の目をしていたが、クラスメートの端正な顔立ちを見つめていたら、我に返った。


「えぇっと、あの……久川?」

「うん、久川」


 死んだと思ったら思わぬ人に助けられた。生きている喜びをかみしめると、朱里は博に抱き着くのであった。

 少女に抱きしめられ、青年は顔を真っ赤にするのであった。

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