3-3 陽動

 有無を言わさず、向月は伊能呉服の店の中へ入ってしまった。

 何が起こるかわからないというのに。軽率な行動だ。

 追わず、あとで何かを言われるのが嫌だった朱里は店に入る。店内はさほど悪い雰囲気ではなかった。伊能呉服の社歌がループし、耳に残るBGMが延々と流れ続けている。その曲調はほんわかしており、脱力するようなものであった。

 店自体、あまり広くない。店内を少し見回すと、向月はすぐに見つかった。彼女は自分が着る服を真剣に選んでいた。


(あ~向月さん。それはちょっとまずいかな……)


 向月がさっそく手にしているのは、ドレス。彼女は不服そうな顔をして、結婚式やパーティに着ていくドレスを吟味しているようだった。

 老婆たちから逃げるために、動きやすい服を選ばなければいけない。噛まれたり、引っかかれたりする可能性がある。長袖長ズボンが好ましい。スカートはよろしくない。こけた時に擦過傷を負う可能性がある。また、逃げている最中にスカートをつかまれる恐れがある。


「あの~服を選んでいるところ、悪いんだけどさ。動きやすい服がいいよ」


 クラスメートのために助言をするが、まったく聞き入れてもらえない。

 黙々と向月は服選び、朱里などいないかのように振舞っている。

 しつこく言おうかと朱里は思ったが、言っても聞いてくれるとは思えなかった。また問い詰められ、何も言えなくなってしまうだろう。周囲に気を配りつつ、向月の服選びが終わるのを朱里は待った。


「バンプスもヒールもないけど……まぁ、ここでできる最低限のおしゃれよね?」


 試着室の鏡で、ごちる向月。

 服選びには異様に時間がかかった。30分である。30分もかけて向月が選んだ服は、鬼ごっこには適さないものだった。パーティに行くような恰好をしていた。

 服選びを済ませると、向月は朱里のもとへと行くのであった。

 試着室のそばで朱里は座り、何とも言えない顔をして柱にもたれていた。


「児島さん。ごめんね、待たせちゃった。ていうか、それ、行儀悪いからやめた方がいいよ」


 朱里はぽかんとした後、無理やり笑顔を作った。それらしく、適当に相槌を打つと朱里は立ち上がった。

 それから、危機感のない向月に朱里は今の状況を告げる。

 告げる前に、朱里はこんなことを思った。最初に会ったときのおびえようはなんだったのか? 朱里がいるから気が大きくなったのだろうか? ……考えてもよくわからない。朱里は首を傾げた。


「悪いんだけどさ……あの~外ね」

「外がどうかしたの?」


 朱里は自分たちが置かれている状況を告げる。


「……とにかくね、危険な状況なんだ。駐車場にあの老婆が4体現れているんだ」


 老婆が4体いることを告げるが、向月は動じていない。さほど興味がないようだ。老婆の対処法を知っているからか、「ああ、そう……」という適当な返事が返ってきた。


「それはそうとして、児島さん。その服――変えない?」


 朱里は「えっ?」と、素っ頓狂な声を出した。

 緊急事態だというのに何を言っているのだろうか? 向月の発言の意図を朱里は全くつかめなかった。


「似たようなパーカー探してくるから、そこで待ってて」


 朱里は言われるがまま、向月が服を持ってくるのを待った。

 2分も経たないうちに、向月は朱里が今着ているのと似たパーカーを持ってきた。


「ずっと血で濡れているのが気になってて……ごめんね。とにかく、児島さん、これに着替えてくれないかな?」

「……うん、わかった。ありがとう」


 向月の笑顔がやたら目についた。

 とりあえず、朱里は着替えることにした。着ているパーカーを脱ぎ、向月が持ってきたパーカーを着るのであった。

 向月が持ってきてくれたパーカーを着た時、右のポケットに違和感。

 なんだろうと思い、朱里はポケットに手を突っ込もうとした――


「あ~ちょっと待って、児島さん。肩に糸くずがついてる」


 が、気が削がれてしまった。

 タグか、予備のボタンでも入っているのだろうと思うと、朱里は放っておくことにした。


「ごめんね、児島さん。今、あの……ちょっと、変なことをしちゃったと思うけど、その……パニックにならないように努めてて。あたし、気丈に振舞っているけどさ、とっても不安で……ごめんね」

「あ~うん、そうなんだ」


 ウソを言っているようには見えなかった。向月はうつむき、しおらしくしている。

 咎める気にはならなかった。


「そうだね……」


 とにかく、だ。

 この場を切り抜ける必要がある。4体の老婆に見つからずに、ホームセンターに行かなければいけない。ホームセンターには、老婆を何とかできる武器があるかもしれない。気休めかもしれなかったが、それでも。

 一応、扉は閉めているからこっちにはやってこない。


「裏口から、ホームセンターの方に行こうか。音を立てなかったら、問題ないはずだし――とにかく、様子を見てくるよ。ここで待ってて。大丈夫だから、あの……すぐに戻ってくるからさ」


 向月は深く頷いた。

 頷いた後、向月の口角がほんの少しだけ緩むのであった。

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