第二話「霧の街」

2-1 死体

「なんだったんだろう? あのクリーチャー……」


 現在、朱里は暮らしているマンションのエントランスにいる。

 マンションを取り巻く霧の濃さは異様だからか、エントランスは非常に暗い。照明があればいいが、そんなものはついていない。

 家から懐中電灯を持ってくればよかったと後悔する朱里だった。しかし、自宅がある8階に帰る気にはなれない。帰ったら、またあの老婆がいるかもしれない。襲われるかもしれない。

 朱里はそのまま外へ出ることにした。

 エントランスには郵便受けと管理人室があった。管理人室に何かないか、朱里は調べようとしたがカギがかかっている。

 しょうがないのでそのまま外に出ようとしたのだが……老婆だ。

 朱里の目の前に現れた。

 マンションの入り口に陣取っている老婆。朱里に背を向けており、気づいていない。

 朱里は慌てて、エントランスに戻る。

 エントランスの扉に身を隠し、老婆を観察する。

 老婆はその場で身悶えし、硬直するという仕草を繰り返す。時折、呻き声を漏らしていた。

 気持ち悪いのと、「なんでこんなところにいるんだ?」という怒りにも恐怖にも似た感情が、朱里の顔を歪ませる。


(どうしよう……本当にどうしよう?)


 彼女が手にしている武器は包丁一本のみ。老婆とこれでやり合うのは心もとない。先ほど老婆にかまれた肩がじんじん痛み、嫌な感じがしている。

 相手が去るのを待つというのはよろしくない。

 朱里の後ろから、もう一匹現れたらどうしようもない状況にある。そのうえ、エントランスには隠れる場所がどこにもない。管理人室はカギが閉められており、入ることはできない。四面楚歌の状況だ。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 老婆の喘ぎは苦しんでいるようだった。

 何に苦しんでいるのかは全く分からない。朱里には皆目見当がつかない。ただただ、おぞましい。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 最悪な状況が訪れる。背にもあの老婆のような老婆が現れるのであった。

 背中にいる老婆に気が付いたとき、朱里に悪寒が走る。ここから駆け出したい衝動に襲われる朱里だったが、足が凍り付いたかのように動かなかった。じっと背中にいるクリーチャーのほうを見ていた。

 エントランスのオートロックの扉はガラス張りになっている。老婆の姿がはっきりと見えている。老婆の方からも朱里の姿は丸見えの状態だろう。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 見えているはずなのだが、老婆は朱里がいることに気が付いていない様子だ。

 これがどうしてかはわからない。恐怖でうまく回らない頭で考えてみるも、何も結論には至らない。

 その時、パァーンと何かが破裂したような音がした。

 この音源が外からしたものだと朱里が認識すると、彼女の前と後ろを挟んでいる化物らは歯をむき出しにして、一目散。音がした方へと飛んで行った。けたたましい金切り声を上げ、2匹とも狩りに行ったようだ。

 2匹の老婆だけではないらしい。犬の遠吠えのように、老婆の鳴き声は重なりこだました。これに朱里は冷や汗をかいた。あの老婆が大量にいることを認識し。


(えっと……いなくなったってことでいいのかな?)


 静まり返るエントランス。

 ごく僅かな間、呆然としたあと我に変える朱里。


(行っても大丈夫だよね?)


 行っても大丈夫だと自問自答を繰り返したあと、マンションの前の道路に出る朱里。

 道路に出て、なんとなく周囲を見回す。

 霧が濃い以外、別に何もない。家を出る時にいつも見ている風景だ。

 けれど、ゲームの中で追いかけられているという状況だから、朱里は違う場所にいるような気がしている。

 そのせいだろうか?

 マンションを見上げると、霧のせいか、まとう雰囲気が完全に違って見えた。

 柳のようにぼぅっと建っているマンション。朱里が先程やったゲーム、牙の男に追いかけられていたステージ『ウィンストン』のように濃い霧に包まれていた。


「本当に夢の浜なのかな? 夢の浜とは思えない……でも、とってもリアル」


 朱里が家族と暮らす、夢の浜。

 いつも見ている風景とは違った。ゴーストタウンと化している夢の浜が受け入れられなかった。


「いったぁ……」


 先ほど老婆につけられた傷が痛んでいる。

 その痛みが、朱里を現実にいるかのような錯覚に陥れていた。

 朱里の前にそびえている12階建てのマンション。濃い霧のせいで、7階から上がまったく見えなかった。

 その見えないものを想像力が保管する。

 マンションがどこまでも上に、天空にそびえる塔のように見えていた。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 またあのうめき声。おそるおそる朱里は声がした方を向く。

 四つん這いに歩く老婆が霧の中から現れた。獲物を求め、探し歩いているようだ。

 先ほどあったことを思い出し、朱里は石のように固まる。

 彼女の推測が正しければ、音を立てなければ襲われないはずだ。

 同じ姿格好をしている老婆たちは音で獲物を認識しているらしい。その推測どおり、路面を這う老婆は石になった朱里を素通りしていった。

 行ったからといって油断はできない。老婆たちが、霧のどこかに潜んでいるからだ。

 遠吠えはまだ、聞こえている。

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