1‐4 バスに乗って

 そっと、自室の扉を開く朱里。

 聴覚が鋭くなっているのか、開くときにキィーっと嫌な音が耳についた。

 廊下に出てみる朱里。ただならぬ気配を強く感じ、足は自然と忍び足になった。

 その時、朱里は気づいた。土足で家に上がっていることに。


(やっぱり、まだ……私はサイコナイトの中にいるんだ)


 うめき声、または金切り声はまだ聞こえている。途切れ途切れに、金切り声が。暗く冷たい廊下に、重苦しく響いている。緊張し、朱里の心臓は早鐘のように鳴っている。次第に呼吸も乱れてきた。引き返そうと思ったが、新しいキラーを見たいという気持ちが強かった。

 恐怖よりも興味が勝ち、体が前に進む。

 荒い息がこぼれる口を押え、声がする方へと向かう。音源は兄の部屋から。兄の部屋の扉から奇妙なことに光が漏れていた。これもゲームの演出なのだろうか? 朱里は妙な感覚に陥っていた。


(次から、兄ちゃんの部屋に行くのが怖くなるね)


 朱里が兄の部屋に行くことは、ほとんどない。少しばかり、朱里の口元が緩んだ。

 朱里の部屋からわずか2メートルほど。兄の部屋の前に立つと、朱里はそっと扉を開いた。なるたけ慎重に、はやる気持ちを抑え。


「あ~」


 薄ら暗い兄の部屋にいたのは、老婆だった。それが背を向けていた。気持ち悪さのあまり、朱里は顔をゆがめた。

 部屋の扉がきしむ。細い音を立てながら開かれる。

 音がして――刹那、部屋の空気が変わった。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 うめき声の後、ぐるりと頭が回った。

 回った頭は眼球がなく、孔になっている。二つ付いた孔の下にむき出しになった歯茎があった。振り乱す灰色の髪は乱れていた。しわだらけの体は一糸もまとわず、まるで山姥のよう。


「ひっ」


 ひっと朱里がすくむと、


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 奇声を上げて、老婆は襲い掛かってきた。訳の分からない言葉を発して、朱里につかみかかってきた。

 大口を開き、朱里に覆いかぶさる老婆。朱里はなんとか引きはがそうとする。が、老婆の力は強い。サイコナイトのゲームは、本人の身体能力がそのまま反映される。朱里の力ではどうにもできなかった。


「痛い、なんで……」


 サイコナイトのゲームでは痛覚は切られている。しかし、このスペシャルゲームで朱里は現実世界と同様に痛みを感じていた。理由はよくはわからない。が、二の腕に食い込む老婆の指の締め付けは異常だ。

 ここでようやく、危機感を抱く朱里。必死で抵抗をする。老婆は朱里の両手をふさぎ、肩にかみついた。凄まじい痛みを感じる朱里。服の上からだったのが幸いだ。素肌だったら噛み千切られている。

 食われまいと朱里は必死に抵抗する。苦し紛れに老婆の腹を蹴る。わずかな隙間であったが、あきらめず、朱里は老婆を引きはがそうとした。

 がんばって、朱里は老婆の腹を蹴る。

 理由はわからない。腹を蹴るたび、老婆はうめく。奇声をあげ、しだいに拘束は緩まっていく。そのおかげで、朱里は老婆を何とか引きはがすことができた。

 かまれた右肩をしびれる左手でかばいながら、朱里はよろめきながらも家の玄関へと向かう。乱暴に扉を開けようとしたが、カギがかかっている。若干パニックになっているせいか、うまくサムターンが回らない。金物が神経質にかき鳴らされる。手元が狂ってうまくいかない。

 いつもは普通に回している鍵なのに、いつものように回せない。廊下でうめいている老婆は腹を蹴られた痛みでのたうち回っていたが――痛みが引いたらしい、四つん這いで朱里に向かってきた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 老婆は怒っている。

 さらにしわを顔に刻む老婆。凄まじい形相で朱里を仕留めにかかる。金切り声を発し、四つん這いで、朱里に迫りくる。

 一瞥し、それを確認する朱里。焦って手が自分の思い通りに動かない。さらにドアノブが暴れる。回る方向に回しているのだが、サムターンが全然回らない。張ってくる老婆に――完全にパニック状態になる朱里。

 もうだめかと朱里が思ったとき、カチッと音がした。サムターンが回ったのだ。これで外に出られる。

 あの老婆から逃げられると思いきや、そうではなかった。

 朱里が扉を開けた瞬間、老婆がまた――掴みかかってきた。

 マンションの廊下に飛び出して後頭部を強打し、星が飛ぶ。一瞬、気を失った後、朱里の視界いっぱいに老婆の顔が。はっと息をのむ朱里に、老婆は笑いかけた。丸見えになっている歯茎から、滴れ落ちる透明な粘液。

 もうだめだと思い、朱里は両手を握りしめようとした。

 右手に何か掴む。つかんだものを見てみると、それは包丁だった。

 家の玄関に包丁がどうして落ちているのか考える間はない。それを使って朱里は老婆を引きはがしにかかる。

 老婆の腹に刃を突き立てた。朱里が暮らすマンションに断末魔が響く。

 しかし、老婆の猛攻はおさまらない。


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