五品目『人気トラットリアの狂気』(3)
「新人くん。新人くん、起きてください。爆睡しすぎですよ」
「うーん…あと八分…」
「なんですかその微妙な時間。良いから早く起きてください、蹴りますよ」
「おはようございます」
「なんて目覚めの良い」
「店長に蹴られるくらいなら起きますよね。…つーか、何時っすか。今」
「二十一時半を回ろうとしています」
「うわー、俺、超寝た。最近暑くてずっと寝不足だったんすよね…」
「体調には気をつけてください、欠員が出るとお店が困りますからね」
「うわー、店第一ー」
「当たり前でしょう。着替えも用意しておきました、さっさと着替えてください。料理長がもうすぐいらっしゃいます」
「はーい。…楽しい楽しい仕事、ですもんね」
ギャルソンの自宅、ギャルソンのベッドの隣に並べられているベッドで、新人は目を覚ました。
本人の言う通り、寝起きが悪い低血圧にプラスして最近の彼は寝不足だった。勿論、暑さでだ。熱帯夜にはパンイチで挑んでもきついものがある。と言うか眠れるはずも無い。厨房から出ないからいいものの、彼の目の下にはくっきりと濃い隈が刻まれていたのがここ最近だった。
それも冷房の効いたギャルソンの自宅での仮眠で解消された様だ。今夜もこの冷空間で眠ることができるし、願ったり叶ったりだ。夏の間は正直泊まり込みたいが、家賃が勿体無いと家に帰る彼は勇者なのか馬鹿なのか。
さて、それは置いておいて。新人はリビングのソファに用意されていた着替えに袖を通し始めた。ジーパンだけ脱ぐと、真っ黒なつなぎに足を通す。上に着ていたTシャツも黒いものに変えると、長い袖を腰で縛り、ウエストバッグを提げる。入っているのは大小五本のナイフ。そして何枚かのガーゼと包帯、これは自分の応急処置用だ。本来ならばこの五本のナイフがあれば『仕事』は成り立つ。
そう、『仕事』とは即ち『食材』の確保であるから。
「てーんちょ、準備できたっす」
「はいはい。若いっていいですねぇ、だるくても身支度は早くて」
「まだ二十六っすからね。てか店長の歳、未だ知らねっす」
「男性に歳を訊くものではありませんよ」
「それ女性っしょ」
二人がそんな歓談をしていると、玄関扉を叩く音がした。どうやら料理長がやって来たようだ。
ギャルソンが扉を開けると、案の定、新人と同じ格好をした料理長が立っていた。車の音がしたはずだが、ギャルソンの家は割と防音率が高い。料理長を家へと招き入れると、リビングでソファに腰掛けていた新人の傍へと歩み寄る。
それから一枚の紙きれを取り出した。昼間、ギャルソンが筆を走らせていたメモ帳の一枚だ。
「はい、それでは今日の『食材』はこちらに書いてあります。公園を中心に六人、この時間ランニングをしている方が二人、犬の散歩が一人、新規のホームレスが一人、仕事帰りのOLさんが一人です」
淡々と時間帯に動く人間を調べ上げた紙を読み上げてから、それを新人に渡す。新人は嬉々としてそれを受け取り、大事そうにつなぎのポケットへとしまいこんだ。
「料理長は先に、前の『食材』二人の処理をお願いします。それまでにはもう、新人くんなら『仕事』を終えていそうですけど。必ず回収してくださいね。連絡はいつも通りスマートフォンで行ってください」
「了解っす。じゃあ、最初は別行動っすね」
「……」
こくりと頷く料理長。そう、料理長にしかできない仕事もまた、有るのだ。
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