Epilog.. 箱庭は語り継がれる



 箱庭の中の雨がやんだ。雨を受けた花たちが、虹のように輝きを放つ。この箱庭に来たばかりの時よりも、どの花も艶やかで豊潤な香りを漂わせている。

 最後の物語が終わった。アルビノの青年が最後のお話だと、そう言っていたのだ。まもなく迎えがきて、この小さな箱庭から救い出してくれるだろう。元いた世界に戻れるだろう。そして、自分自身のことも思い出せるだろう。

 まもなく訪れる解放に喜びを感じつつも、何かが妙な不安を煽った。その何かを探し、周囲を見回していると、 


 ——どしゅっ。


 そんな音がした。鋭い何かが柔らかな塊の深いところまで突き刺さったような音。一点を見つめたまま思考を巡らせる。何の音だろうか。

 一瞬の静寂。直後、全てのマシーンがシステムダウンしたような機械音。気の抜けていくような音とともに、床の色がくすんでいく。驚いて顔を上げ、周囲を見渡すと、全てが色を失われていった。色鮮やかな花たちも、小さな川の水も、散乱した古書も、壁も床も天井も。全ての色が、みるみるモノクロームの世界へと変貌を遂げた。絶えず輝き滴り落ちていた雫は、ぽたりと最後に一滴垂らしたきりで止まってしまった。

 嫌な予感がした。

「やっと解放される」

 青年の透き通るような声が、すぐ近くで聞こえた。まるでその一声で心臓を射抜こうとするような冷たく鋭利な声音が。怯えながらも声がした方へ視線を向けた。いつの間にかアルビノの青年が目の前に立っていた。思わず後退り、力の抜けた膝が体を支えきれずに、後ろへ倒れて尻餅をついた。臀部に走った刺激よりも、視界に映る光景の方が衝撃的で、痛みなど感じなかった。目の前にいるアルビノの青年の胸元には、ナイフの柄がくっついていた。嫌な予感は的中した。彼の心臓にナイフが突き刺さっているのだ。

「そんな顔しないでよ。僕は役目を終えたんだ。語り手としての」

 彼は表情一つ変えないまま、躊躇することなく柄を掴んでナイフを引き抜いた。ポッカリと空いた縦長の傷口からは何も出てこなかった。

 規則的に落ちていた雫は止まり、生花のように艶やかな花たちも、今ではすっかり生気を失い冷たくなっていた。まるで彼の心臓とこの部屋の命が繋がっているかのように。

「僕は死ぬわけじゃない。君が来てくれたから開放されたんだ」

 アルビノの青年の肌が、瞳が、髪が、傷口から徐々に色を取り戻して、本来の彼の姿が現れた。この箱庭から生気を吸い取ったかのように。

「次は君の番だ。今度は君が語り手として、この箱庭で花たちの物語を伝えるんだ」

 彼はどんどん人間らしくなっていく。

「ねえ、圭太くん?」

 名前を呼ばれた瞬間、はっとした。

 そうだ、〝俺〟には名前があった。ここへ来る前、俺は山にいた。幼馴染みを喜ばせるために花を……コスモスを探していて、見つけて、それで崖から——

 でもあれは? まるで夢のような魔法の世界は?

「君はこの箱庭に迷い込んで来る前に、長い夢を見ていたようだね。僕もここへ来た時はそうだった。そして思い出した。僕も物語の一部だってことに。さあ、次は君の番だ」

 青年が色を取り戻すのとは対照的に、自分から色が失われていった。艶のある黒髪も、血色のいい肌も、着ている真っ黒な制服からも、全身の色が流れ出すようにして消えた。その色を吸い上げたのか、箱庭がまた色を取り戻す。

「ああ、アリソン。やっと君の元へ戻れるよ」

「あなたは……」

「君、やっと喋ったね。語り手にはぴったりの透き通るようないい声だ。僕はデヴィン」

 あっと息を飲んだ。最初の物語に登場した、好きな女の子のことをタンポポみたいだと言って怒らせていた、あの。

「デヴィン……、物語の中の?」

「そうだよ。僕はアリソンと大学に通い始めてね。毎日楽しかった。それなのに、道端で見つけたタンポポを摘み取ってアリソンに渡そうとしたら、通りがかった車に……ね。生死の境目は、花たちが語り手を箱庭に引きずり込むための良いキッカケとなるみたいだ。どれだけ時間が経ったのかはわからないけど、役目を終えれば、こうして元に戻れる。君もいつか元いた場所に戻れる日がくるよ」

「どうすれば……!」

「全ては花たちが教えてくれる。君はもう、この箱庭の一部だ」

 自分の体を見下ろすと、そこにはもう見慣れた自分の姿はなかった。ちょろちょろと流れだした小川に駆け寄り、波打つ水面に自分の姿を映して、必死になって目を凝らす。ぼんやりと映し出されたのは全身真っ白の、アルビノの自分だった。

「そんな……!」

 助けを求めようと振り返ると、色を取り戻したアルビノの青年――デヴィンが薄く笑いながら、光の粒となって消えていくところだった。

「ちょ、待って! 行かないで! 俺を一人にしないでくれ」

「君は一人じゃないってば。花たちがいる。僕はもう役目を終えたんだ。元の世界に戻るよ。アリソンが待ってる。今度は君の番だ。君がこの箱庭の語り手となり、招かれた客人に花たちの物語を伝えるんだ。僕から君へ。君から次の語り手へ。こうして語り草となり、花たちの物語はけっして忘れられることはない」

 デヴィンはタンポポのような優しい笑顔を浮かべ、消えていく。

「バイバイ、コスモスがつれてきた語り手、圭太くん。いつか元の場所へ戻れるといいね」

「待って!」

 すがるように伸ばした手はデヴィンを捕らえることができず、虚しく空振りをした。何も掴めなかった手が落ちると、デヴィンの姿はついに消えてしまった。

「やっと帰れると思ったのに」

 全てを思い出したというのに、小さな箱庭に閉じ込めらた事実に落胆した。

 圭太ははっとして顔を上げた。

「秋花!」

 デヴィンはずっとこの箱庭に捕えられていたのだ。次の語り手に選ばれた圭太は、デヴィンと同じ道を辿るだろう。ということは、しばらく元いた世界には帰れそうにない。

 秋花の誕生日を祝っていなかったことをひどく後悔した。いつ帰れるのか。もしかしたら後継者が見つからなくて帰れないかもしれない。

 涙が溢れ、真っ白な床にぽたぽたと落ちて消えた。箱庭の花たちが潤いを求めて吸い上げたかのように、落ちた瞬間に消えたのだ。一滴の染みも残さず。

 それを見た瞬間、悟った。この理に従うしかないのだと。導かれた者たちへ語り、花たちの存在を示し、記憶に残していかねばならないのだと。

 なんのためか。

 俺は元いた世界に戻るため。花の都合など知ったことではない。ただ、物語を伝えることが条件ならば、従うしかないのだろう。

 飾り窓に近付き外を覗くが、やはりマーガレットの花畑が見えるだけで、その奥には何も無い。窓に映る真っ白な自分を見て嘆息した。


 ぴちゃっ。


 ぴちゃっ。


 天井から規則正しく水が落ちてきた。花たちが嬉しそうに揺れた。色鮮やかな花たちがこちらに顔を向け「ようこそ箱庭へ」と歓迎のダンスを披露している。

 そして……。


 ——どさっ。


 一人の少女が落ちてきた。長いふわふわのブロンドヘアに白い肌。顔立ちのくっきりした少女は、床に転がったまま寝息を立てている。

 花たちがざわついた。

 私の話をして。僕の話をして。次々主張する花たちの言葉と共に、記憶がすりこまれる。彼らが見てきた物語を。

 仕方ない。語るしかないのだ。

 少女が目覚めるまで気長に待とう。時間はたっぷりあるのだ。

 デヴィンが残していった揺り椅子に腰かけ、ゆっくりと前後する。


 ぴちゃっ。

    キィッ……。

 ぴちゃっ。

    キィッ……。


 一滴ずつ落ちる雫と揺り椅子がリズムを刻む。


 さあ、教えてくれ。

 君たち花々の物語を。

 きっと後の語り草となるだろう。

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ジャルダンに生ける花々の語り草 橘 ちさ @chisa_t

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