Episode.7 レイニーブライド⑤



 日曜日。天気は雲一つない晴天。

 ほらみろ。俺は晴れ男だ。

 隆雅は満足げに空を見上げて頷いた。明日、また仕事の休憩時間に会社を抜け出して、あの東屋に顔を出そう。きっといつものように雨が降る中、巴は静かに読書をしているだろう。可愛げのないサビ猫と一緒に。

 隆雅はスマホで写真を撮った。遊園地にいることがわかるように、アトラクションと青空を写した。

 証拠があれば巴は納得するだろう。悔しそうな表情をする巴の顔が目に浮かぶ。

「まーくんが写真撮るなんて珍しいね。遊園地もだけど、私の写真も撮ってよね。久しぶりに一緒に写真撮ろうよ。でも写真ばっかじゃなくて、遊ばないといけないし、今日は忙しいね」

 志穂が楽しそうに隆雅の手を引いた。こんな笑顔を見るのは久しぶりかもしれない、と隆雅は思った。最近は仕事のことと自分のことで精一杯だったことに気付き、今日は彼女のためにも楽しい日にしようと誓った。

 もしかしたら巴は、雨を降らしてるのがどちらか確認することを口実に、志穂との関係を心配して遊園地に来させたのかもしれない。彼女の笑顔を見るのは久しぶりだ。きっかけがなければ、こうして彼女の笑顔が見ることはなかっただろう。

(他人のこと気にかけすぎ)

 口元に手を当ててクスクスと笑う巴の姿が目に浮かんだ。



 翌日、予定通り昼の休憩時間に会社を抜け出して東屋に行くと、やはりそこには巴がいた。当たり前のように雨に降られ、サビ猫に哀れんだ表情を向けられた。

 遊園地の写真を巴に見せると、絵に描いたように悔しそうな表情を浮かべたので、思わず笑った。


    *


「まーくんは趣味とかないの?」

「なんすか、唐突に」

 鳥籠のような東屋の中。いつもの如く、屋根を叩く雨音を聞きながら読書をしていたはずの巴が、突然読んでいた本をバタンと閉じ、ずいっと顔をつきだして訊いた。

 梅雨の時期も終わりに近付いているが、雨の日はまだ冷える。巴はベージュのカーデガンを羽織り、袖を手のひらまで伸ばしている。

 今日もタオルを返しにきたつもりだが、晴れた日に返してくれればいいと言われてしまったので、なかなか返せない。そのせいか、仕事の休憩時間にここを訪れることが日課となっていた。

 今日はちゃんと傘を持ってきた。もちろん天気予報は晴れのはずだった。突然降りだすこの奇妙は雨には慣れてしまった。

 スマホのゲームに夢中だった隆雅は、急に声をかけられたためにゲームオーバーになり、仕方なく顔を上げる。

「いつもゲームしてるから。他に趣味とかないのかなって思って」

「ああ……趣味、ですか。最近はやってないですけど、シルバーアクセサリー作るのは好きでやってました。一〇代の頃はイカツイ物が好きで。バイクとか、ゴツゴツしたシルバーアクセサリーとか、服装もなんか……いや、恥ずかしいな。まあ、その頃から友人と一緒に独学で作ってたんですよ。自分でデザイン考えて、一から全部。工具は友人と一緒に買い揃えて。その友人は、今はシルバーアクセサリー作る仕事に就いてるんですよ。俺は、最低限の工具だけ揃えて、気が向いた時に作るくらいかな。最近はもう、全く——」

「作ればいいじゃん!」

 立ち上がった巴が、目を輝かせながら叫んだ。驚いて見上げていると、瞳を輝かせながら、興奮したように鼻息を荒くした。

「作りなよ! せっかくアクセサリー作れるんなら、サプライズで指輪つくって彼女にプロポーズしちゃいなよ。もう長いんだし、この前のデートも楽しかったんでしょう? いい感じじゃない。今、すっごくいいタイミングなんじゃない?」

 主張を終えた巴が、どすんとベンチに座った。

 驚いて巴を見つめていた隆雅は、視界の隅で動く何かに気を取られた。雨の中、多彩な紫陽花にじゃれつくサビ猫だ。紫陽花に飛びつこうとして、雨で濡れた石垣に足を取られて転んだサビ猫に、思わず吹き出しそうになったのを必死で堪えた。

 夏が近付き、雨の降らない日も増えてきたのだが、この場所に差し込む日差しは僅かなためか、相変わらず艶やかなままの花弁が煌めいている。

「手作りなんて素敵じゃない! 世界にたった一つの指輪だなんて……きっと喜んでくれるわよ」

 視線を巴に戻した。巴の興奮は収まっていなかった。

「いや、でも手作りなんて……」

「そっか。指のサイズがわからないわね。教えてなんて言ったら気付きそうだし。そうしたらサプライズじゃなくなっちゃうもんね」

「指のサイズは聞かなくても簡単に測れるんですけど、そうじゃなくて……」

「そうなのね! どうやって測るの? 測ったらばれるじゃない」

「多分ばれないですよ」

 巴が食い気味に聞いてくるので、押し負けた隆雅は、ズボンのポケットに差し込んでいた財布から、一枚のレシートを取り出した。興味津々で眺めていた巴が首をかしげる。レシートの端を縦にちぎって、細長い状態にしていく。その様子に巴が釘付けになっているので、子供相手に手品を披露しているような気分になり、隆雅は思わず吹き出した。

「なによ」

 巴が頬を膨らませて睨んだ。

「いや、面白くて、つい」

「え? 何が? 私の顔? まーくん、いくらなんでもそれは酷すぎじゃない?」

「すんません、嘘です、ジョーダンです。ほら、巴さん、手出してくださいよ」

 ちぎり終えて細長くなったレシートをひらひらと見せながら、空いてる手のひらを、巴の前に差し出した。巴はむくれた顔で、隆雅の手のひらに自分の手のひらを乱暴に重ねた。

(ずいぶんと冷たいな。氷みたいだ)

 雨で体が冷えたのだろうか。細く長い五本の指が、カーデガンの袖から覗いている。触れている指先から伝わってきたのは、人の体温とは思えないほどの冷たさだった。指の関節には鮮血が何本も走っている。乾燥するのだろうか。皮膚の表面も白く、潤いを失った砂漠のようだ。

「痛いですか?」

「ううん、大丈夫」

 二〇代の女性の手とは思えない、痛々しいものだった。

「ばあちゃんみたいな手っすね」

 湿った空気を吹き飛ばす乾いた音が響いた。

 目尻に涙を浮かべた隆雅が、じんじんと痺れる頬を押さえながら、怯えるように体を小さくした。

「冗談ですよ。なにも、ひっぱたくことないじゃないですか」

「デリカシーのないこと言うから」

「はいはい、すんませんでしたー。ほら、早く手を見せてください。サイズ測りますから」

 少し強引に手を引くと、今度は巴が怯えたように「あっ」と小さな声を漏らして抵抗した。仕返しに叩かれることを恐れて怯えたのかと思い、隆雅は悪戯に笑った。

「痛くないんでしょう?」

 再び手を引いてみる。今度はゆっくりと。巴は「ええ」と一言、頷くと視線を逸らした。隆雅は、巴の様子を不思議に思いながらも、指のサイズを測ろうと視線を手元に戻すと、カーデガンの袖に隠れていた白い腕が顔を出し、ちらりと青痣が見えた。初めて会った時に見た、ふくらはぎにあった腐った果実と同じもの。

 それきり互いに言葉はなく、雨が地面を打ち続ける音に包まれ、ひっそりと体温を交わした。隆雅は、青痣を見て見ぬふりをして、細長くちぎったレシートを巴の薬指に巻きつけた。

 志穂以外の女性の肌に触れるのは久しぶりだった。自然と鼓動が大きく速くなる。うるさい心臓の音が、指先から伝わってしまわないか不安だった。東屋の外で激しく地面を叩いていた雨音よりも、鼓動の音が勝る。

 巴の薬指に巻き付けた紙に力を入れ、爪の先で印をつけて解いた。

「はい、サイズ測りましたよ」

 彼女にはバレなかっただろうか。

 やっとの思いで顔を上げると、彼女は頬を桃色に染めてはにかんでいた。

「完成したら私にも見せてね」

 面白い顔だった。

 照れている、のだと思う。ただ、必死にそれを隠そうとしている。そのせいか口がどんな形になろうか迷走してピクピクしていた。

「……ふっ、わかりましたよ」

「あれ、今笑った?」

「笑ってませんよ。ただ、おかしい顔だなと思っただけですから」

「さっきから失礼なこと言ってるって気付いてる? あと敬語、いつまで使うの?」

「親しくない方にタメ口はどうかと……」

「なにそれ悲しい」

「間違えました。親しき仲にも礼儀ありですね」

 巴はまた面白い顔をした。ころころと表情が変わるので、見ていて飽きることがない。

「そういえば、さっきのでサイズわかったの?」

 思い出したように巴が訊く。隆雅は、さきほどの細長くちぎったレシートを見せた。爪で印をつけてある場所を指差し、

「印をつけたところに合わせて丸めて円を作る。これで指の外回りのサイズがわかるでしょう? これに合わせて指輪を作るんです。この方法なら寝てる時に測ってもバレにくいですし。サイズは後からでも直せますし」

「まーくん、すごいね。作り終わったら私のも作ってよ。私っぽいデザインで」

「巴さんっぽい……雨のイメージしかないっすね」

「何それ、私そんなに湿気っぽいイメージなの?」

 隆雅は声をあげて笑った。

「わかりましたよ。時間があったら巴さんっぽいの作ります」

「やった。約束ね。じゃあ、お礼にいいこと教えてあげる」

 そう言って巴は、プロポーズにオススメな場所があると自慢げに説明を始めた。なぜ他人の恋愛事情にここまで世話を焼くのか不思議に思ったが、巴の熱弁ぶりに、大人しく聞くことにした。

 その場所は、この東屋からさほど離れていない公園の中だそうだ。街中に突如現れる巨大な森林公園。都会の喧騒を遮るように、木々に囲まれた広い公園の中には、四季に合わせて色とりどりの花が咲き、大きな池や、散歩コースまである。

 多くの人が利用し賑わいをみせているその公園には、隆雅も行ったことがあった。といっても、その公園の反対側へ行くために、近道として通過しただけなのだが。

 巴が言うには、平日でも賑わっているその公園には、人通りの少ない、花に囲まれた綺麗な場所があるという。秘密の隠れ家みたいな東屋だ。この場所ほど神秘的ではないのだが、とても雰囲気がよくてプロポーズには最適だと。

 今いるこの東屋はオススメではないのかと問うと、

「私との秘密の場所があってもいいでしょ?」

 と、笑っていた。

 どんよりとした雨模様の中、巴の笑顔はなぜか太陽のように眩しかった。東屋の外で雨に打たれている紫陽花たちが、この陽の光に焼かれてしまわないか不安を抱くほどに。



 それきり、巴の姿を見ることはなくなった。隆雅は何度か東屋を訪れたが、行く日はいつも晴れていて、雨が降ることは一度もなかった。艶やかな花弁を煌めかせる紫陽花に囲まれて、サビ猫が昼寝をしている。

「巴さんは今日も来てないのか?」

 サビ猫に声をかけても、耳をぴくりと動かすだけで、あの憎たらしい顔を上げることすらなかった。

「猫に話しかけるなんて、どうかしてるな」

 そうひとりごち、東屋をあとにした。

 もうすぐ、梅雨が終わる。

 夏を前に、手作りの指輪はついに完成した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます