Episode.6 ありがとう



 俺は父子家庭で育った。物心ついた時には母親はいなかったので、母親がどんな存在なのかは知らない。

 父親と一緒に家を出て保育園へ行き、夜遅くに仕事を終わらせた父親が迎えに来て帰宅する。休日はたまに近くの公園でボール遊びをする。これが俺の保育園児の時の思い出。ご飯は買ってくることが多かったが、たまに父親が作ることもあった。祖父母とは別居していたので、母親や祖母がいない俺は、大人の女性と関わることがほとんどなかった。

 唯一、女性と関わる機会というと、保育園にいる時だ。先生がみんな女性だった。その中でも一番若い浦田先生は、よく面倒を見てくれた。

 片親だったので、周りに迷惑をかけないようにと、子供なりに気遣いはできていたと思う。一人で着替えはできるし、ご飯も残さず食べたし、悲しいことがあっても泣かなかった。



 ある日、父親がちっとも迎えに来ない日があった。いつも一番最後に迎えに来るのだが、どれだけ待っても迎えに来る気配がなかった。残業だったらしいけど、子供の俺からしたら、そんなことは知ったことではない。一大事だった。

 母親もいないのに、父親までいなくなってしまったら……。

 考えれば考えるほど不安になった。周りに迷惑をかけないようにと日頃から気をつけていた。喜んでもらえるようにと頑張っていた。そんな自分の何がいけなかったのかと、父親を待っている間、ずっと自分を責め続けた。

 もう、他の子供たちはとっくに帰っていた、一人ぼっちの不安に負けた俺は号泣していた。今まで我慢してきたことが限界に達し、ついにはち切れてしまったのだ。

「たっくん、大丈夫。お父さん必ず迎えにきてくれるから。大事な大事なたった一人の大好きなたっくんを置いて、いなくなっちゃうはずがないじゃない」

 そう言って、優しく抱きしめてくれたのは浦田先生だった。

 父親のごつごつした大きな手とは違う。柔らかくて優しい手。父親とは違う安心感。

 あたたかくて、花のような匂いがした。



 その後、母の日があった。

 一人一輪ずつカーネーションを渡されて、母親への手紙を書かされた。

 母親がいないからといって、母の日を忌み嫌うことはなかった。それなのに「たっくんは、お父さんに書こうね」と、浦田先生は気遣ってくれた。だが、俺は違う人に書いた。

「お家に帰ったら、お母さんにお手紙とカーネーションを渡してね。ありがとうって感謝の気持ちを伝えましょう!」

 みんなが声を揃えて「はーい」と返事をした。

 その後は、それぞれ迎えが来て一人ずつ帰っていった。父親の迎えは相変わらず一番最後。 

 みんながいなくなり、父親が迎えに来る前に浦田先生の元へ行き、手紙とカーネーションを突き出した。

 無愛想に、

「浦田先生、ありがとう」

 それだけ。恥ずかしかったんだ。

 子供の俺の精一杯の気持ちだった。

 浦田先生はにこにこ微笑みながら、ずっとありがとうと言っていた。髪が抜けるんじゃないかってくらい頭を撫でられた。俺は、その日はもう一言も喋れなかった。



 ああ、懐かしいな。

 あれから一〇年か。

 俺は学校の職場体験で、昔通っていた保育園を選択した。

 浦田先生はいなかった。

 その日はひたすら子供の遊び相手をし、泣き叫ぶ子供をあやし、現役の男子高校生だというのに、どっと疲れてしまった。

 大変なんだな。

 夕方には保育園を後にし、明日に備えて真っ直ぐ帰宅することにした。

 近くの公園を通ると、小さな子供が、おぼつかない足取りでよたよたと駆け回り、両手に玩具を握って振り回している。その横についてまわるように、若い男性がかがみながら追いかけ回す。親子だろう。俺もあんな時があったんだな。

 そのすぐ近くのベンチで、本を読んでいる女性がいた。

 その女性に浦田先生の面影を見た気がした。だが一瞬だった。

 ベンチの後ろを通り過ぎようとして、はっと振り返った。女性が腰を上げ、駆け回る子供に声をかけるところだった。色褪せた赤い花弁を押し花にした栞を本に挟んで……。



 急いで帰らないと。

 明日も子供たちとの追いかけっこが待っている。

 前を向いて歩き始めた。

 なんでだろう。

 どこからか漂ってきた花の香りに癒され、心があたたかくなったのに、顔は笑ってるのに……。

 知らずのうちに頬を伝っていたのは、一筋の涙だった。

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