Episode.4 秋の花と秋の桜と



 九月生まれだからだろうか。

 名前のせいだろうか。

「私ね、春の桜も好きだけど、秋の桜の方が好きなんだ」

 秋花はそう言ってコスモスを見ると飛びついた。

 細くしなやかな首の先に、白やピンクの大きな花を咲かせたコスモスは、秋の風が吹く度、誘うように大きく揺れた。

 秋花が一番好きな花。

 だから秋花は秋になると、またたびを見つけた猫みたいにおかしくなる。普段から猫のように気まぐれな感じもするが、この季節は特にだ。

 だってそうだろう? 

 そこに好きな花が咲いていたとして、それを見て飛びつくなんて、奇怪な行動だなと思うじゃないか。猫がマタタビを追いかけてるようなものだ。いや、好きなのはわかるよ。俺だって目の前に可愛い猫がいたら……あ、いや、なんでもないけど。とにかく、飛びつくまではいかないだろう。コスモスなんて秋になればそこら中に咲いているありふれた花で、正直つらまない。ましてや花なんて、俺には何がいいかわからなかった。確かに綺麗だけど、秋花のほうが、よっぽど——

「おわっ!」

 ああ、馬鹿だ。

 何をどうしたらあんな転がり方をしたのかわからないが、コスモスの群衆に頭を突っ込むような体勢で静止している。お尻がこちらにむいているせいで、制服のスカートの裾から色々見えそうだ。

 先程、脳裏を過ぎった言葉を訂正したくなった。

「おい、大丈夫か? 怪我してないか?」

 笑いを堪えて、秋花を助け起こそうと手を伸ばした。すると、指先が触れる前に勢いよく起き上がり、「えへへ」と小さな舌を出して見せた。

 俺は花が嫌いだった。特にコスモスが。ただ咲いてるだけなのに秋花をあんなに笑顔にすることができるなんて。いけ好かない。

「早くしないと学校遅れちゃうよ!」

「いや、お前のせいだろ」

 立ち上がって制服についた砂を払い、何のこと? と言わんばかりに首をもたげ、俺の手を引いて「早く早く!」と駆け出した。

 俺は、そばにいるだけで秋花を笑顔にすることができるだろうか。花なんかに嫉妬する反面、君の笑顔が見られるのなら秋の桜も悪くないかなと思った。

 もうすぐ彼女の誕生日。

 彼女が大好きな花、羨ましくも恨めしくもあるコスモスで花束を作ったら喜ぶだろうか?



 秋花の誕生日当日。

 まだ祝ってない。

 生花は摘み取ったらすぐ萎びるイメージだったので、学校帰りに摘んで花束にして渡そうと思っていた。

 放課後は秋花に見つからないように素早く学校を出た。下校途中に何度かコスモスを見かけたが、人目のある場所で摘むのは気が引ける……というか単純に恥ずかしい。秋花に見つかるといけないし。だから人目のなさそうな山に行くことにした。

 田舎だから、どこにでも咲いていると思った。

 下校途中の道路沿いの花壇や、あぜ道には飽きるほど見かけたのに、山の中に入った途端に見かけなくなった。山の小道には赤や黄、橙に染まった葉が落ちて、滑りやすくなっている。

 夏はすでに終わっているというのに、汗はとめどなく流れ、足場の悪い山道は体力を奪っていった。途中、茂みが激しく揺れて、誰かが横切ったような気がしたのだが、何も見えなかった。小さな動物でもいたのだろう。驚かせるなよ、と内心ひやひやした。

 生い茂る緑の葉や紅葉し始めの暖色の中に、白やピンクが混ざっていないか、目を凝らして確認しながら進む。どこも秋色だらけで、淡く可愛らしい色は見当たらない。紅葉狩りには少し早いが、中途半端な秋模様も悪くはなかった。だが呑気に綺麗だなぁなんて言ってる場合じゃない。日が傾いてきている。

 こうも見つからないと後悔が押し寄せてくる。

 なぜコスモスで花束を作ろうと思ったのか。生花で、しかも野花で。あの、枯れないやつ、なんとかフラワーってやつにしたら良かったんじゃないだろうか。そしたら探す手間もかからないし、綺麗なまま残るのに。誕生日に間に合わなくてもいいから、そっちにしよう。ああ、思い出した。ブリザードフラワーだ。やたらとカッコイイ名前だと思ってたやつだ。後日コスモスのブリザードフラワーを買いに行こう。

 そう考えながらも進んでいると、とうとう頂上近くに辿り着いた。もう諦めて引き返そうと思ったが、少し開けた場所で、差し込んだ夕日の影に小さく群がるコスモスを見つけた。

 思わず「あっ」と、小さく叫んだ。

 風が吹く度に優雅に揺れ、夕日を受けて橙に煌めく姿は、ああ、確かに美しいのかもしれない。

 その姿にしばし見とれたあと、マタタビを見つけた猫のように飛びついた。

 一輪のピンクのコスモスに手をかけ、そっと摘み取った。これで花束を作って持っていこう。一応すぐに束ねられるようにリボンは持ってきてある。

 また摘み取ろうと手を伸ばした瞬間、足場がぐらりと揺れ、視界が歪んで体ががくんと落ちた。何が起こっているのかわからない。地震かと思った。

 目の前のコスモスたちは優雅に揺れたまま、こちらを優しく見下ろし、どんどん離れていった。夕日が全身を包み、右手に掴んだ一輪のコスモスを見つめ、それから——



 最後に大きな音を聞いた。全身に強い衝撃も走った。崖から落ちて地面に叩きつけられて死んだんだと悟った。

 せめて秋花におめでとうだけでも言っておけばよかったと後悔した。何も伝えてこなかった。まさか自分が死ぬだなんて。

 だが、生臭い血肉の臭いがすることはなく、優しい花の香りが鼻腔をくすぐるので、不思議に思ってゆっくりと目を開いた。周囲を見渡すと、辺り一面に見たことのない色とりどりの花が咲き乱れ、花弁の舞う華やかな場所にいた。虹色の空がどこまでも広がり、黄色い鳥が気持ちよさそうに空中を遊泳している。

 呆けた顔でゆっくり体を起こす。

「大丈夫ですか?」

 聞き覚えのある声がした。

 振り返るとそこには、摘んだ花でいっぱいにした籠を持って、お城から抜け出したお姫様のような、豪奢なドレスに身を包んだ女性が立っていた。

「秋花!」

「えっ……?」

 秋花と同じ声で同じ顔の彼女は、困ったように首をかしげた。

 どういうことだろうか。目の前にいる女性は、確かに秋花だ。だが、この反応はまるで人違いをされて戸惑っている時のそれだ。状況が掴めない。

 記憶を辿って今の状況を把握しようとした。

 さっきまでいた場所は通学路の途中にある山の上で、今いる場所は見たことのない虹色の空とどこまでも続く色鮮やかな花畑。もしかしたら別の世界にでも飛ばされたのだろうか。いや、まさか。物語の主人公じゃあるまいし。

 崖から落ちて目が覚めたらこの場所にいたということは、もしかしたらここは天国で、彼女は迎えに来た天使か何か。

「すみません、知人に似ていたもので。あなたの名前は?」

「サラです」

 ほら、別人だ。

 俺はさっき、崖から落ちて死んだのだ。証拠に今いる場所は花畑。天国は花畑がどこまでも続いているというではないか。それに見たことのないこの虹色の空。三途の川を渡った記憶はないが、天国に間違いないだろう。

 彼女に視線を戻すと、口元に手を当ててクスクスと笑っていた。成仏させてくれるのかな、なんて思いながら彼女を眺めていると目が合た。彼女は言葉を続けた。

「よかったわ、言葉が通じて。最初はどこの国の言葉かと思ったわ。あなた、ずっとその花を 握りしめて横たわっていたから心配したのよ。見たことのない花ね」

「見たこと、ない?」

「ええ。花が好きで、いろんな花を見てきたけれど、こんな素敵な花は見たことないわ」

 天国にはこんなに花があるのに、コスモスはないんだ。俺は生前、飽きるほど見かけたというのに。花が好きだという天使様は見たことがないそうだ。ふーん。

「あなた、お名前は?」

「圭太」

 秋花と同じ見た目をしているのに、コスモスを見ても飛びつかないなんて違和感でしかない。本当に他人なんだな、と少し肩を落とし、短く名乗った。

「名前も、服装も、手に持っている花も、馴染みのないものね。あなたはどこからきたのかしら。ひょっとしたら遠い国から迷い込んできてしまったのかもしれないわね」

 自分の着ている服に視線を落とす。学校帰りだったので学ランのままだった。サラは「衛兵さんみたいな格好ね」と笑っている。

 サラの言葉が少し引っかかった。遠い国からとは、天国もいくつかの国から成っているのだろうか。それとも天国とは違う、別の国なのだろうか。何かの比喩なのか。

「あの、ここはどこですか?」

 一応聞いてみる。

「フルールという国よ」

 知らない。聞いたことがない。

「ここは天国じゃないんですか?」

 サラは一瞬驚いたように目を見開き、そしてまた口元に手を当てて笑った。

「違うわ。私はまだ死んでないもの。圭太はこれを見たことがあるかしら?」

 そう言ってサラは手のひらを天に向けた。そして聞きなれない呪文のようなものを唱えたかと思うと、手のひらから水が飛び出した、優しく飛び出した水は霧状になり、周辺の花たちの上に散布された。

「魔法で水やり。便利でしょう? でも魔法には限りがあるから無駄遣いはできないんだけれどね。そうだわ! その花、このままでは枯れてしまうわね。ちょっといいかしら」

 初めて見た魔法に目を奪われて呆然としていると、サラが俺の手に握られていたコスモスに手をかざした。あたたかな光が手の中のコスモスを包んだ。

「魔法、見たことないの? この魔法は貴重でなかなか使えないけど、この素敵な花を守るためなら使用する価値はあるわ。あなた、やっぱり他所の国、いえ、もしかしたら他所の世界から来たのかもしれないわね」

 少し萎びたコスモスは、たちまち元気になり、しなやかな首も持ち上げた。そして手の中から離れると、サラが作り出したガラス玉の中に閉じ込められた。

「これで、この花は永遠に枯れないわ」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。本当に何も知らないのね。あなた、一人じゃ困るでしょう? この国での生活や……そうだわ、お洋服も変えないと! いらっしゃい。私があなたの面倒をみてあげるわ」

 そう言って彼女は俺の手をとり、花畑の中を歩き出した。

 俺はガラス玉を抱え、引かれるがままに後をついていった。

 俺はまだ死んでない。

 この花もまだ生きている。

 見知らぬ場所で頼れるのは、どうやら彼女しかいないようだ。秋花と同じ顔のサラと名乗る彼女しか。

 彼女にいろいろと教えてもらおう。この国に来ることができたのだから、帰ることもできるだろう。幸か不幸か魔法が使えるようだ。危険もありそうだが、今まで不可能だったことが可能になる。

 希望は、ある。

 いつか秋の花に再び会えることを願って。

 おめでとうと秋の桜を手渡せる日がくることを願って。

 甘く優しい花の香りに鼻腔をくすぐられながら、前に進み始めた。  

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