Episode.1 ずっとあなたのタンポポで②



 翌週。今にも雨が降り出しそうな分厚い雲に覆われてはいるが、なんとか雨は降らなかったため、アリソンとジェナは今日もテニスコートで奮闘した。結果はアリソンの圧勝だった。

 ジェナが悔しそうに地団駄を踏んでいる。

「なんで勝てないかなぁ」

 アリソンは首にかけたタオルで汗を拭った。

 ラケットを振り子のようにぶら下げながら、美しく整えられた生垣に沿って歩いていく。

「いいじゃない、ジェナは勉強で私に勝ってるわ」

「よくないわ! 勉強は勉強、スポーツはスポーツ! それに勉強は全勝できてないのにスポーツで全敗だから、私の方が負けてるの。悔しいよーう」

「ジェナは偉いわね。頑張り屋さんで」

「あら、アリソンだって偉いわ。男の子みたいに活発なのに、好きな男のために、女の子らしくなるよう自分磨きしてるじゃない。アリソンも頑張り屋さんよ」

 耳を疑った。ジェナには自分磨きしてることや、デヴィンのことは言ってない。ましてやジェナとデヴィンには接点がない。思い違いだろうか。

 アリソンは顔を伝う嫌な汗をタオルで拭った。

「ジェナ? なんのことを言ってるの?」

「なんのって……アリソンいつも眺めてるじゃない。いつも読書をしている男の子のことが好きなんでしょう? 隣のクラスのとても優しそうな彼」

「なんで知ってるの!」

「え、やだ。バレバレよ? 先週だって、そこのベンチに座ってた彼のこと見てたじゃない。あら、今日はいないのね」

 あ、本当だ。今日はデヴィンがいない……じゃなくて!

「わ、私ってそんなにデヴィンのこと見てたかしら。ていうか別にデヴィンのことが好きなわけではないし、彼のために自分を磨いていたわけでもないわ。子供の時に私の方から絶交してるし」

「絶交? なんで? ていうか好きじゃないの? どういうことなの? 詳しく話なさい」

 ジェナに迫られ、仕方なく打ち明けることにした。先週デヴィンが座って読書をしていたベンチに二人で座り、アリソンが話し始める。子供の時は仲が良くて、よく一緒に遊んだこと。ある日、雑草呼ばわりされたこと。それから自分を磨いて見返してやろうと励んでいること。熱心に話すアリソンの横でクスクスと笑ったり、驚いたりと、ころころ表情を変えて話を聞くジェナ。一通り話し終えると、ジェナは不思議そうにアリソンの顔を覗き込んだ。

「それって、彼のことが好きだからじゃないの?」

「違うわよ!」

 アリソンは驚いて立ち上がり、大きな声で否定した。ジェナも一瞬、目を見開いてアリソンを見たが、すぐに口元に手を当ててクスクスと笑った。手に持ったテニスラケットをくるくる回しながら「私はそうだと思うけどなぁ」と独り言のように小さな声で呟いた。その言葉はアリソンの耳にしっかり届いたようで、萎びたようにベンチに座り込み、子供のように「違うもん」と呟いた。

「アリソンは意固地になってるのよ」

 冷たい風が二人の間を通り抜けていった。ブロンドの髪を玩び、よく手入れのされた生垣の葉を揺らして。

 テニスをして燃え上がった体も、デヴィンのことを話して興奮した心もすっかり落ち着いていた。風が吹くたびに少しずつ体温が下がり、アリソンは小さくくしゃみをした。

「子供の時からずっとそんなこと考えてたから、今更素直になれないのね。うんうん、わかるわよ」

 一人で納得したように頷くジェナを横目に、アリソンはラケットのガットを膝で弾いている。不満そうに頬を膨らませながら思考を巡らせた。

 自分のことは素直な人間だと思ってたし、デヴィンのことも、見返すことが出来れば充分だった。

「私はデヴィンに変わったねって、バラのような素敵なレディになったねって言わせたいだけ。見返して、どうだ、参ったか! って、雑草呼ばわりしたことを後悔させたいの」

「それだけ?」

「それだけよ」

「ふーん」

 ジェナは相変わらず片手でラケットを玩びながら、口元に手を当ててクスクスと笑っている。

 また風が吹いた。冷たい風が肌を撫で上げ、思わず身震いした。

(こんな寒いところで読書なんて、デヴィンはバカなのかしら)

 アリソンは立ち上がると、ジェナを放って歩き出した。せっかく体を動かして温まったのに、これではすぐに冷えてしまう。校内に置いてきた服に着替えようと急いだ。後方でジェナの慌てて駆け出す足音が聞こえた。クスクスという笑い声も一緒に追いかけてくる。

「ジェナったら笑いすぎ。私、変なこと言ったかしら?」

 追いついたジェナがついに吹き出した。

「ごめんごめん。アリソンが可愛くてつい。あ、晴れてきた」

 ジェナの声に空を見上げると、分厚い雲が風に煽られて移動し、所々から陽の光が差し込み、ちらりと青空が覗いていた。

「このまま晴れるかもしれないわ。私はまだ用事があるから、アリソン先に帰ってて。来週も相手してくれるんでしょう?」

「来週も? まあ、いいわ。またね、ジェナ」

 校舎に入ったところで互いに手を振り、それぞれの方角に歩き出した。ひんやりとした廊下を歩くたびに、靴底が活気のある音を鳴らす。校舎内に人がいないせいか、反響する音が淋しさをつれて戻ってきた。より一層体温が下がった気がした。

 


 スポーツウェアから着替えて、荷物を担いですぐに出てきたのに、さっきまで青空がちらついていたはずの上空は、再び分厚い雲が全てを覆い、土砂降りの雨を降らせていた。白いシャツと真紅のベロアスカート。その上から厚手のコートを羽織っただけでは、この時期の雨の日は寒かった。

 今日は雨は降らないだろうという予想は見事に外れ、曇りのまま一日が終わると思っていたアリソンは、傘を持ってきていなかった。雨の強さに戸惑うも、どこまでも続く分厚い雲は、すぐに雨を止ませてくれそうにはない。

(仕方ない。走るしかないか)

 校舎を飛び出した途端、大きな雨粒は容赦なくアリソンに降りかかった。頭に落ちた雨雫が頭皮を伝う感覚や顔をぱちぱちと叩く雨、徐々に雨を吸収して重たくなる服に苛立ちながらも、長い脚を軽快に回して駆け抜ける。地面を蹴るたびに跳ね上がった雨水が自分の足にかかり、タイツが濡れて冷たくなっていく。

 明日は風邪かな、と諦め半分で、濡れる時間を短縮するためだけに走り続けた。我ながら体力あるなぁ、と自画自賛しながら視界の悪い道をひたすらに。

 家まであと半分というところで、デヴィンがよく本を読んでいる公園の横を通った。ベンチはびしょ濡れで、さすがにデヴィンの姿はなかった。地面にぽっかりと穴が空いたように、大きな水溜りがいくつもできている。

 公園の中央には、へんてこなドーム型の大きなオブジェがあった。おもに子供がよじ登ったりして遊べるように、表面が凸凹している風変わりな遊具だ。中は空洞で、入れるようにと一箇所だけ控えめに小さな穴が空いている。あの中なら雨宿りできそうだ。

(あれだ! あそこで雨宿りしよう)

 猛ダッシュで方向転換し、スピードをそのままに、雨で濡れた砂地をべちゃべちゃと走り抜けてオブジェの中へ滑り込んだ。

 雨は凌げるようになったが、すでにだいぶ濡れてしまっていた。

 コートは雨をかなり吸ったようで、ずっしりと重たい。中に着ている白いシャツまで濡れて肌にへばりついている。スカートは滑り込んだ時に泥がついて、可愛かった真紅のベロア生地が茶色く汚れてしまった。豪快すぎたのかな、と反省するアリソン。

 子供用に作られたこのオブジェは、立ち上がると天井に頭をぶつけるので、かがみながら泥を払い、コートの雨水を絞った。

 鞄の中をあさってタオルを探すも、見つからずに項垂れた。

「タオル学校に忘れた……最悪だぁー」

 絶望していると、「はい」という低い声と共に、視界の端から白いタオルが差し出された。思わぬ出来事にアリソンは飛び上がり、頭をぶつけた。しゃがみ込んで悶絶していると、頭上からクスクスと笑い声が降りかかった。

「アリソンは相変わらず、おてんばだね」

 低くて太い男らしい声。昔とは違うけど誰だかわかる。デヴィンだ。

 子供の時はあんなに背が低かったのに、今はずいぶんと背が高い。少し頭を下げて天井にぶつかることを避けていたアリソンとは違い、デヴィンは腰から上体を折っていた。しばらく隣に並んでいなかったので、一〇年の間にこれほどの差がついていたことに驚いた。ずっとデヴィンのことを見ていたので、身長が伸びていることくらい知っていた。だが実際に近くで見ると、思った以上に高身長だった。

「ほら、風邪ひくよ?」

 デヴィンは差し出していたタオルで服や肌についた水滴を払ってくれた。黙々と髪を乾かしてくれるデヴィンの顔を見ていると、目が合った。デヴィンの顔が近くて顔が熱くなる。至近距離で顔を合わせるのは一〇年ぶりだ。赤くなった顔なんか見られたくないので、すぐに目を逸らした。

「もう大丈夫!」

 デヴィンの腕を振り払って睨みつけた。

 なにこれ、可愛くない。本当はありがとうって言いたい。

「でもまだ濡れてる……」

「うるさいなぁ!」

 デヴィンがびっくりしてる。なんで? って顔してる。親切にしたのに怒られたとか意味がわからないよね。せっかく女の子らしく振舞ってきたのに、言葉遣いだって女の子らしくしてきたのに、デヴィンの前だと乱暴になってしまう。素直になれない自分が恥ずかしい。まるで子供の時に戻ってしまったみたい。お願いだから、こっちを見ないで……。

 アリソンはデヴィンに背を向けて、オブジェの隅っこで、膝を曲げて小さくなった。

 横目でこっそりとデヴィンを見ると、彼も隅っこにしゃがみこんでいた。その傍らには一冊の本。雨が降るまでは、いつものベンチで読書をしていたのだろう。

(天気予報が雨の時くらい家で読めばいいのに)

 予報を無視し、自分の勘を信じて傘を持ってこなかった自分に言えることではないのだが、とアリソンは心の中で軽く自嘲した。

 雨が地面を強く打ち続ける音だけが聞こえている。濡れた服が肌にへばりついて、どんどん体温を奪っていく。会話のない気まずい空気に身じろぎもできず、早く雨が止まないかなと願うばかりだった。


「アリソンはタンポポみたいだね」


 唐突にデヴィンが言った。

 思わず振り返ると、目が合った。デヴィンは微笑みながら、さっきまでしゃがみこんでいた隅っこを指差した。そこにはタンポポが咲いていた。よじ登ったり滑り落ちたりして遊ぶための奇怪な形をした遊具。その中の陰に隠れて、黄色い雑草はひっそりと佇んでいた。誰かが目を留めるわけでもないのに、外からは見えないこんな場所に。

 生命力の強いタンポポは一年中見かける。本当に、どこでも咲くんだ、この雑草は。

 八歳の時、今の言葉を言われて怒ったはずだが、デヴィンは忘れてるようで、同じセリフを口にした。

 どうやら私は、昔と変わらず雑草のままなようで、一〇年頑張ってもバラやチューリップやガーベラになれなかったみたい。溢れる元気を抑えて、女性らしく振舞ってきたつもりだったが無駄な努力だったようだ。

 雨のせいだろうか。いつもなら笑い飛ばすか誤魔化すか、また怒ったりして否定してやるのに、今日は何も言えなかった。目の奥が熱くなって、喉の奥が痛くなって、込み上げてくるものを抑えることができなかった。

 声も出せずに固まっているアリソンに向けて、デヴィンは言葉を続けた。

「君は昔から変わらないね。いつも元気で、いつ見てもニコニコで、周りを笑顔にする。太陽みたいだなって思ってたよ。タンポポって太陽に似ていないかい? 子供の時からずっと思ってた。君にそっくりだって」

「なによ……」

 込み上げてきたものは形を変えて、瞳の奥に溜まっていった。

「アリソンと喋らなくなってからも、ずっと君のことは見てたよ。明るくて眩しい君のこと。君は変わらず明るくて元気な女の子だった。ちょっぴり大人っぽくなったけど、やっぱりアリソンはアリソンだね」

「なにそれ……」

「だからタンポポが一番好きな花なんだ」

「なにそれぇ……!」

 溜まっていったものが、ついに溢れ出して、タオルで雨水を拭ったばかりの頬を濡らした。

 私はバラになんかなれなかった。赤やピンクの可愛い花びらなんてなくても、目立たなくても良かった。なる必要なんてなかったんだ。昔から私は雑草で、それでも掛け替えのない雑草で、あたたかい太陽のような雑草で、彼の大好きな唯一無二の雑草で——。

「ずっとアリソンが好きだったんだよ」

 デヴィンは照れくさそうに頬をポリポリと引っ掻いている。

 その言葉を一〇年待ったよ。

 こんな時くらい、素直になってもいいかな。

「私もずっと好きだったよ」

 今日はタンポポを好きになった記念日になった。

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