ジャルダンに生ける花々の語り草

橘 ちさ

Prolog.. 箱庭は物語る



 ぴちゃっ。


 ぴちゃっ。


 規則正しく落ちる水の音で目が覚めた。ゆっくり瞼を上げると、視界に色鮮やかな花が飛び込んできた。だが、ここは山の中でも、川辺でも、大草原のど真ん中でもなければ花屋でもないようだ。

 鮮明に映しだすようになった両目で周囲を見渡した。ここは小さな部屋のようだ。下は白い木の床板が敷き詰められ、壁もまた真っ白で飾り気がない。天井には何も無いが、上から強い光が差し込み、部屋の中心を照らしている。そしてこの質素な部屋の中には、色鮮やかな花たちが、あちらこちらで好き好きに咲き誇っていた。

 飾り窓の外から顔を覗かせるように入り込む白いマーガレットと、窓枠にちょこんと張り付いた小さな蜜蜂の置き物。壁に立て掛けられた、子どもの身長くらいある豪奢な金の額縁の中には、雪がしんしんと降り積もり、中央には薄紅色の花弁をつけた桜の木が佇んでいる。苔に覆われているような深い緑色をした陶器鉢からは、真っ赤な菊の花。ドーム型のガラスのショーケースの中で、踊りに誘うように揺れるコスモスの花束。開かれた本のレプリカに突き刺さる一輪のカーネーション。壁の隅にある奇怪なオブジェの中に、隠れるように咲く黄色いタンポポ。床板に作られた溝に、ちろちろと流れる小さな川の側には、無造作に置かれた大きな鳥籠があり、そこにはたくさんの紫陽花が押し込められていた。鳥籠の隙間から思い思いに顔を出している中で、一朶の紫陽花に引っかかっているシルバーリングが、水に濡れたようにしっとりと輝いている。

 凛々しく、生花のように艶やかに咲く花たちの姿に魅了されて眺めていると、まるで自分が箱庭の中に落とし込まれてしまったようだ。色とりどりの花たちが顔をこちらに向け、闖入者を観察しているように見え、少しだけ不気味に思った。


 ぴちゃっ。


 ぴちゃっ。


 絶えず規則正しく音を立てて落ちる水は、上から部屋中に降ってきているようだが、その雫がどこから落ちてくるのかは確認できなかった。床が濡れていないので、花たちが吸い上げているのだろう。そして、溢れた雫たちは、ちろちろと流れる小川に合流しているに違いない。

 この箱庭のような部屋の中には、花以外にも、揺り籠のような木の椅子や、そこら中に散乱している古い本があった。近くにあった一冊の本に触れ、はらはらとページを捲ってみたが、見たことのない文字で書かれているために読めなかった。


「君、迷い込んでしまったのかい?」


 突然、男とも女ともとれる、少年のような澄んだ声が降ってきた。驚いて顔を上げると、いつの間にか、揺り椅子に真っ白な妖精が座っていた。色素の抜けきった真っ白な髪。上下白の洋服。その洋服から無防備に投げ出されているのは、透き通るような白い肌をした、しなやかな四肢。煌めく灰色に縁取られた白い瞳。微かに震える睫毛も白く、唇はほんのり桃色をしている。

 アルビノの人間だ。

 顔立ちがはっきりとした少年は、よく見ると子供ではなく、弱々しい小さな青年だった。あまりにも肌が白く、手足も細く病的なほどに痩せていたために、小柄な少年だと思ったが、どうやら実際は違ったようだ。細くなった筋肉の様子から、彼はしばらく外に出ていないのかもしれない。もしかしたら、その特殊な体質なせいで陽の光を浴びることができないのかもしれない。

 彼の虚弱体質を思わせる見た目は、どこか不安を煽られるようで怖かった。

 まるで何年もこの箱庭に閉じ込められているかのように。

 彼は揺り椅子を揺らし、微睡んだ双眸でこちらを見つめている。

「君、大丈夫かい? どうやら迷子みたいだね」

 戸惑いながら、見たことのないほど美しい真っ白な青年を見つめ返した。

 四方を真っ白な壁に囲まれ、床にも天井にもどこにも出入口はない。どうやら本当にこの箱庭に迷い込んでしまったようだ。

「どうだい? 迎えが来るまで、退屈凌ぎに僕の話を聞く気はないかい?」

 迎えが来るのだろうか。だが、こうして箱庭に迷い込んできたのだから、いずれは外に出られるのだろう。

 彼の煌めく瞳に吸い込まれそうになりながら、無意識にこくりと頷いた。

「では、まずは素敵なお話からしてあげよう。まるで子犬のように震えている君を、太陽のようにあたたかいお話で安心させてあげよう。きっと心もあたたまるよ」

 何年ぶりかの話し相手に心踊らせるように、青年は澄んだ声音で楽しそうに喋る。揺り椅子から立ち上がると、散乱している古書を一冊ずつ重たそうに運んできて、数冊積み重ねた。

「ここに座りなよ。気にしないで。丈夫な本だから」

 古くて貴重な書物に見えたので少し気が引けたが、他に座る場所も無さそうなので、遠慮なく座ることにした。座った瞬間に、埃とカビと古い歴史のにおいがした。

 青年は揺り椅子に身を預けるように深く座った。そして、ほんのりとした桃色の唇を開き、静かに語り始めた。

「これは一人の少女の話さ。少女が八歳だった時のこと——」

 色鮮やかな花たちが耳を傾けるような気配がした。


 ぴちゃっ。


 ぴちゃっ。


 絶えず落ちる水の音を背景に、一つの物語が幕を開けた。

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