1-16 フンガー

「君たちが……その格好は何とかならなかったのかね?」


 衛兵に咎められた。


「今これしかなくて」


 にっとピエロフェイスで笑って見せた。


「ふざけた奴だ。まあ、いいだろう」


 やや呆れた風に笑って、衛兵は入れと顎をしゃくった。判事の屋敷、やはりこの街の裁定者の住まいだけあって豪華だった。ざっと外観を見ても窓の数が二十を超えていた。両翼に広がる建物の建築は下層の粗雑な造りとは明らかに違っていた。

 ヨーロッパの貴族の屋敷のイメージが俺の中では合致しているが、中庭の噴水を通り過ぎる時に、これは粗相をしたらやばいな、という冷ややかな恐怖があった。


 玄関を過ぎて、エントランスへ入る。中心に剣と本を持った巨大な男性の像が立っていて、その台座の近くに青い尼僧服の女性が立っていた。アシュリー異端審問官だ。


「良かった。少し前にお客様が到着されています。こちらへ」


 アシュリーがゆっくりと階段を上る。俺は立ち止まったまま、ピアスに行けよ、と顎をしゃくる。


「何をしているのです? あなたたち全員が来るのです」


 アシュリーがやや尖った口調で咎める。


「は? 俺たちに何の用が? ピアスの家族なんでしょう、そのお客さん?」

「そうです。だから全員と話をする必要がある、という事です」


 それ以上は聞くな、という冷ややかな視線を寄越された。

 あー、これ、ちょっと厄介事だな。でもな、ここまで来て、帰るわけにもいかない。

 俺は諦めて、歩き始めた。ギルティとパワーも歩き出す。ちらりとピアスの横顔を覗くと、やや強張っているように見えた。

 ああ、年下に面倒掛けて気まずいって感じ。

 階段を上りながら俺は苦笑する。こんなピアスは今後お目に掛かれないかも知れないからちょっと楽しい。しかし、ピアスの家族とはどんな人たちなのだろう? いや、一人だけ使いが寄越されたという可能性もあるか……。

 あり得る話だと思った。何を言われるのか知らないが、どう言いわけをされても、ピアスの意思を尊重しよう。

 長い廊下を歩いて、先を行くアシュリーが立ち止まった事に気付いた。


「ピアス・レ・ミルフィーユ・ブラッドフェイス様です」

「入れ」


 中から男性の声がして、アシュリーがドアを開けた。ピアスが先に入り、俺はやや緊張しつつ部屋に入った。

 室内をざっと一望して、俺はどうコメントすべきか迷った。薄暗く、燭台の明かりが室内に適切に配置してあった。昼間なのに厚いカーテンを引いているからだ。何でそんな事を? 分かっている。相手が夜の住人だからだ。

 闇の貴族、吸血鬼だ。


「久しいな、ピアス」


 上座に座る何者かが厳然と言った。そちらに視線を向ける。ぼんやりと輪郭が見えるが、顔が判別出来ない。雰囲気は若い……気がする。が、気配が普通ではない。何か、とても冷たい。見ているだけで肩が震えてしまう程の冷気を感じる。


「驚きました。てっきりパーセス辺りを寄越されるかと……お父さま」


 ピアスが言うのを聞いて、俺はぎょっとした。


「ええ?」

「これ、控えろ。キュグレール・ラ・ストーク・ブラッドフェイス様の御前である」


 下座に座る男性に咎められた。


「アクストン判事、この者は女神シャル・シュ様の導きでメラリオに転生して日も浅く、礼儀作法にいささか疎い所があります。平にご容赦を」


 アシュリーが代わりに謝罪してくれた。


「ほう、転生者という話は真であったか。シャル・シュ、確か女神長タナ・ハサ様の御息女だったな」

「左様で」


 キュグレールにアシュリーが答える。


「その格好は……仕事中だったかね?」


 水を向けられた。俺はやや緊張しつつ、お答えした。


「駆け出しですので、労働に出ていました」

「ふむ、感心な事だ。しかし、ピアスは格好が……まさかさぼっていたとでも?」


 ぎろりとピアスを睨みつける視線を感じた。俺は慌てて弁解した。


「冬に向けて、毛糸が不足しています。モルモルシープの毛刈りの仕事をして頂きました。その、棺桶に便利な器具が」


 薄闇の中で嘆息が聞こえた。


「まだ手を加えているのか。まったく困った子だ」


 頭痛の種だったのだろう。キュグレールの落胆した様はこちらの気が重くなる程にいたわしい。


「私は好きにやっているだけです」


 ピアスが口答えをする。


「それを快く思わない者が血族にいる事は知っていよう? 我々は古い血筋だ。しきたりを重んじ、かび臭いながらも今までやってこられた。だが、この先は分からない」

「お父さま?」

「もはや夜ですら我々は生きられぬやも知れぬ。昨今月明かりで重度の火傷を負う者が現れ始めている」


 月明かり、火傷……。

 俺はうっすらと答えを感じた。


「それで、私にどうしろと?」

「この先どのように生きても構わぬ。だが、旅が終わった時に家に戻って欲しい。お前のデイウォーカーの才能が救いをもたらすと、老人たちが言っている」

「私の棺桶を散々けなしたあの人たちが?」

「しきたりを重んじると言った。良いか、あれらは頑なで言う事を聞かん。気が済むように配慮をする事も必要だ。お前にはまだ少し早い事かも知れんが」


 キュグレールは嘆息をついて、厳かに言った。


「いずれお前と兄のリベットが家督を争う事になるだろうが、あれもデイウォーカーで変わり者ときた。お前と違って尻尾を掴ませない頭の良さもある。あの子は強い」

「知っています。憧れていましたから」

「話は以上だ。私はリベットを探すためにここを立つ。今日は話せて良かった」


 ぱちんとキュグレールが指を鳴らした。ドアが開いて、誰かが入ってきた。


「あの……私に何か?」


 怯えた様子でそこに立っているのは法務官だ。何であいつが呼ばれた?

 キュグレールが椅子から立ち上がった気配がした。直後、闇の中で風が走った。こんな閉め切った部屋の中で何故風が?


「貴公、我が娘に破廉恥な格好をさせて余興を楽しんだようだな」

「え?」


 法務官が後ろを向こうとしたが、がっちりとキュグレールに掴まれて、そのまま天地が逆転した。


「フンガー」


 気合の声とともにキュグレールが反り返っていた。薄闇の中でもはっきりと見えた。あれはジャーマンスープレックス。しっかり決まっている。


「ご苦労だったな、アシュリー異端審問官」


 判事が冷めた声でアシュリーを労う。アシュリーは胸に手を添えて、そっとお辞儀した。


「では、諸君、これにて失礼」


 闇が渦巻いて、冷たい気配が消えた。もうキュグレールはそこにはいなかった。


「家督相続の宣告か……予想外だったな」


 ピアスがそう呟くのを俺は聞き逃さず、そっと法務官に中指を立ててやった。

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