終章

 夕食を終えた頃には日も落ちて、外は暗くなっていた。


 由宇ユウはあの日以来、身体を動かすことも、言葉を発することも出来なくなってしまっていた。食事や入浴も自分では出来ないので、その都度、私が介添えをしている。


「食事も終わったことだし、お風呂に入ろうか」


 灯りをつけてカーテンを閉め、振り向いて由宇ユウに話しかける。


 ところどころ破れ始めた、青白い肌。

 乱れたままの、艶のない黒髪。

 伏し目がちで、白く濁った虚ろな目。

 だらりと開いた、暗い紫色の唇。


 由宇ユウの姿は日に日に変わっていく。今や、かつての美しい面影は喪われつつあった。だが、それがどうしたというのか。そのようなことで、由宇ユウが私の大切な弟であるという事実は変わらない。どれほどの歳月を経ても、どれほど醜悪な姿に成り果てても、おそらくそれは変わらないだろう。


 私と由宇ユウ比翼ひよくの鳥だ。ずっと二人で、二人きりで生きていくのだ。なんと幸せなことであろう。あの時、林に差し込んだ光の束。あの祝福するような光に包まれて、私の願いは叶ったのだ。


 しかし、未だに残っている疑問がある。

 由宇ユウが眠っていたあの部屋、その扉に掛かっていたネームプレート。

 そこに書かれていた「悠」という名前は、いったい誰の名前だったのだろうか。


    *


 翌朝、家の庭を掃除していると、視界の端になにか見慣れぬ物体を捉えた。

 小石かなにかかとも思ったが、なんとなく気になって、近くまで歩いていく。

 それは、胸から緋色ひいろの血を流して動かない一羽の小鳥であった。どうやら死んでいるらしい。


 私が鳥の死骸を覗き込んでいると、どこからか、濡羽色ぬればいろのアゲハ蝶が飛んできた。

 アゲハ蝶はしばらく周囲を舞うと、まるで鳥の血を吸うかのように、死骸の上にふわりととまった。


 私はその異様な光景に目を疑い、しばらくまばたきを繰り返した。

 そうして再び目を凝らすと、あるのは鳥の亡骸だけで、蝶の姿はどこにもなかった。


    *


(鳥は地に墜ち、血にまみれた。

 蝶は、その血にはねを浸した。

 濡羽ぬれはって飛ぶ蝶は、比翼ひよくの夢を見たのだろうか)


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