会談前夜

 議会の面々との対峙を明日に控え、ヴィシルダ一行は客人用を迎え入れる為に建設された宿に通された。案内したカルーニアの役人は「王子には高待遇を」と申し付けられていた為、その仰せ付けに従い、現状で一番良い部屋へ通したのだが、ヴィシルダは顔色を一切変えずに彼方此方を端から端まで見て回るので、役人は気が気ではなかった。

 ヴィシルダは部屋に入ると、まず床を見、次に木製の戸で閉じられた窓を見た。その窓を開けようと伸ばされた手を、役人は恐る恐る、やんわりと止める。


「そこの窓は……」

「む、開けてはならぬのか」

「いえ、そういう訳では……。この時間帯になると……風が、少し、吹き込んできますので……」

「それが、どうかしたのか」


 何を言いたいのか、ヴィシルダには全く察しがつかなかった。だが、役人はもごもごと口を動かすだけで、何の言葉も発さない。痺れを切らしたヴィシルダが、続きをす。


はよう申せ」

「は、はい! 風と共に砂粒が入って来るのです!」


 役人はこの国が持つ気候について、話し始める。

 カルーニアは緩やかな潮風が吹き抜ける国である。海の満ち引きと太陽の影響で風が吹くのだ。潮引く昼は海から陸への海風うみかぜ、潮満ちる夜は陸から海への陸風りくかぜ、これらが切り替わる朝夕の時間帯のみがむふうとなる。

 今は夜、陸風が吹く時間帯。その事を辿々たどたどしく説明されたヴィシルダは、素直に事情を飲み込んだ。


「成程。壁でも作れば良いのではないか?」

「は、はい。それは御尤もです。しかし、首都の開発も終わっていない現状、風除けの為だけに割く労力は無く……。『風除けに木を植えてはどうか』という声もあるのですが、何分なにぶん、木々が根を張るには、厳しい地ですので……」

「難儀な事だな」


 ヴィシルダはつい先日通ってきたファート沿岸の街を思い返していた。あれらの街には潮風を阻む目的で植樹された場所があった筈である。潮風に伴う塩害を防ぐ為という説明も合わせて、遥か昔に聞いた覚えがあった。


「この地にも根を張る木……ファートでも探させよう」

「本当ですか! いえ、有り難い事なのですが」

「気にするな、儲かるのはファートだ。フハハハハ!」

「あ、ははは……」


 天真爛漫に笑うヴィシルダとは対象的に、役人の表情は曖昧な作り笑いで彩られていた。

 コンコン、と軽い叩扉こうひされた木の音が笑う二人に届く。二人は音の発生源を探り、程なくして開かれた扉にもたれ掛かるニヴァーリを発見した。

 十分な注目を確認したニヴァーリが気怠げに口を開く。


「お邪魔っスか? 話があるんスけど……」

「暫し待て。其のほう、他に注意は在るか?」

「いえ……御座いません」

「ならば、今は退室願おう。夕餉の時刻には呼びに来てれ」

「畏まりました」

「カルーニアの腕を振るった一膳、期待しているぞ」


 ヴィシルダの言葉に礼で応え、役人は速やかに退室する。ニヴァーリは半身になって役人をやり過ごし、遠ざかる背を見届けた後、扉を閉めた。


「して、用のおもむきは?」

「これ、ホントは王城の謁見で話すつもりだったんスけど、忘れてました」

「もしや、文の要旨の事か?」

「そうっス」

「であれば、既に把握している。我が王と回し読んだわ!」

「あ、それなら安心ス。寝てすぐ出発だったんで、説明の機会を逃してたっス」


 ニヴァーリは胸を撫で下ろした。

 文とは、ニヴァーリが王城に参上した時、ヴィシルダに手渡した物を指している。その文の内容はこうである。悪魔の使いとはジャンミー教のしもべであり、邪悪なる儀式によって創り出される物である事。これの本拠点はカルーニアであり、カルーニアへはジャンミー教独自の人脈を通じて、ファート、ローレリアの金銀、物資、人が流れている事。これに対抗すべくこれまで以上にジャンミー教徒への取り締まりを強化、特に沿岸部の監視を強めて欲しい事。上記と同様の事をローレリアにも送っている事。

 そして最後に、カルーニアにどれ程ジャンミー教が食い込んでいるのか、影響力を調査して欲しいと書かれていた。これに関しては問題ない。ヴィシルダは既に手を打っていた。


「昨日の宴に紛れ、数人の手の者をカルーニアへ放った」

「え……気付かなかったっス」

「ああ、司祭の身の上では動き辛いであろう? わかりやすく囮に使わせて貰った。カルーニア兵の注意を引く、な」

「なんか複雑ス……考えなしに好き勝手飲み食いしてて、申し訳ないっス」

「気にするな! 為人ひととなりは旅路で把握している。『人品骨柄卑しからず』との教皇の御墨付もあった。悪気は無かろう」

「あの文、そんなコトまで書いてあったんスか……」


 自分の居ない所で伝聞されていた評価に、ニヴァーリは面映ゆい思いだった。しかし、何とか気を取り直して、笑うヴィシルダに向き直る。


「実はそれだけじゃなくて、もう一つあるっス」

「なに?」

「これっス」


 そう言ってニヴァーリが取り出したのは別の文、というより二つ折にされた一枚の紙であった。ヴィシルダは破れんばかりの勢いで開く。


 “縁が呼んでいる ガキには手を出さない ――カイマン”


「あの蜥蜴、抜け駆けしおったか!」


 言葉とは裏腹に、ヴィシルダの顔は喜色満面の笑みを形作っていた。

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