目付けと目利き

 カルーニアは本日も晴天、相も変わらずだるような猛暑日である。直射日光を避ける為、薄布を頭に巻いたガロアは、現住居である掘っ立て小屋に気持ちばかりの小さな鍵を掛けた。

 盗まれて困る物など大してない。その上、数少ない貴重品も普段から各人が持ち歩いている。しかし、まぁ、用心に越した事は無いだろう、とガロアは考えていた。


 ほぼ毎日の様に歩く、イェートへの乾いた道のりを、ガロアはぼんやりと踏み締める。献立を立てようにも、今日のいちに広がる品揃えは見当も付かないのだから、そんな事に頭を悩ますのは全くの無駄である。

 ふと思い立ち、ガロアは懐を弄った。手に触れた財布の感覚を確かめ、どうやら忘れてはいないようだ、と安心したガロアは、ついでに中身を覗く。肩から指した陽射しがカルーニア貨幣を照らし、鈍いきらめきを返した。

 夕餉を用意するには十分な量。カルーニアの貨幣は汚いな、なんて取り留めの無い事を考えながら、ガロアは懐に財布を仕舞い込む。「カルーニアに貨幣制度はない。取引は全て物々交換だ」と、ウォーフからは聞いていたのだが、実際には徐々に独自の貨幣が浸透し始めており、首都イェートでは問題なく使用できた。


 ファートから持ってきた貨幣が、そこそこの額に両替できたのは彼らに取って本当に幸運だった。ハンナ達も護衛や首都開発の仕事を受け持って収入はある。

 本当に食うに困ったら、家に置いてある自分の剣でも売ればいい、ガロアの足取りは至極軽いものであった。


 最近建設されたと言う今にも倒れそうな見窄みすぼらしい門を潜り、ガロアは首都の雑踏へと足を踏み入れる。通りの両側に広がる品揃えを眺めながら、ガロアは背に突き刺さるじっとりとした湿っぽい気配を感じていた。

 嫌な気分がした。堂々とさえしていれば、ジャンミー教の後ろ盾もあり、とやかく言われる心配はない。しかし、どうも、この湿っぽい注目にガロアは慣れなかった。

 そんな心情を反映するかの様に早まっていた足が、ある店の前に止まる。看板を読むまでもなく“肉屋”と分かる店構え。ガロアは一匹だけ隔離され、孤立させられている商品の値段を指差し、獣人の店主に尋ねた。


「おじさん、なんだってこの“肉”はこんなに安いんだ?」


 他の商品も同様の痩せ具合だが、そっちの方は普段どおり割高なのだ。何の違いがあるというのだろう。奥でぼけっと惚けていた店主が、呼びかけに応えて悠閑のんびりと歩み出てくる。


「……ん、ああ、高く買いたいなら高くしてやるぞ」

「意地悪しないで教えてよ、言っとくけど無い袖は振れないから」

「なんだ、冷やかしか」


 店主は懐からスカィラを取り出し、煙を二、三吸い込んだ。ガロアは少しだけ、眉をひそめた。このスカィラはイェートの路地で広く出回っている効きの悪い安物。だが、“儀式”でもない娯楽として用いるのなら、庶民にはこれで十分だった。


「ケツんトコ見てみろ」

「ケツ?」


 痩せた商品の裏に回り込んでみると一部円形に脱毛した部分があった。そこの皮膚はドス黒く青みがかかっている。商品元来の皮膚でないのなら、内出血の跡かもしれない。

 獣人の店主が煙を吐き出した。


「そのコールファは病気になっちまってる。カルーニアに来てから新しく出た病気だ。食えなくはない。だが、肉が固くなる。だから他のコールファから離してあるし、安い」

「コールファって言うんだ、コレ」

「“シリィオ”の言葉――あー、“獣人”の言葉ではそう呼んでる」

「食べても問題ない?」

「知らねぇ。気分が悪いってんなら、そこんトコだけ切り取りゃいいんじゃねぇか?」

「そうかも……でもなぁ、う~ん」


 うんうん唸るガロアは、買おうか買うまいか考えるのに気を取られ、背後より近付く人物に気付かなかった。ガロアと向かい合う店主は即座に気付き、慌ててスカィラの煙を仕舞い込む。その人物は店主を咎める事無くガロアの背に影を落とし、にこやかに微笑んだ。


「何か、お困りですか?」

「これはこれは、リオーサ様!」


 声につられて振り向いたガロアの視線の先には、カルーニアで良く見られる風通しの良い衣服を纏い、首元にジャンミー教の象徴を揺らす、恰幅の良い“人族”の男が居た。ガロアは思わず歪んでいく表情を押し留めるのに必死だったが、それが果たして上手く出来ていたか、当人には分からなかった。


「折角ですけど、人からお金と肌着は借りないようにしているので……」

「はは、誘いの類じゃありませんよ。何か困り事ですか?」


 にこやかなる、再三の問いかけに、ガロアではなく店主が答えた。


「いえいえいえ! このお客様が商品を買うかどうか悩んでただけですよ!」

「そうなんですか?」

「はい、そういう訳なので……僕はもう行きますね。この、コールファでしたっけ、帰りはもうちょっと安くしといて下さいね。それじゃ!」

「ちょ、ちょっと待――、あら」


 リオーサの呼び止めに無視を決め込み、ガロアは足早に首都中央の方角へ走り去って行った。追う様に突き出されたリオーサの手が、曖昧に揺れる。

 暫く、去って行った方角を眺めていたリオーサだったが、やがて笑みを作り直し、店主に向き直った。


「あの子は、よくこの店に?」

「いいえ。目立つ風体ですから……けれども、来店は今日が初めてで……」

「ふむ、所で――」


 言葉を切ったリオーサの両眼球が、ぐるんと一瞬だけ上を向く。直後、落下してきた両眼球は、店主の奥を覗き込んだ。


「あの子の“瞳”、どうでしたか?」

「瞳? はぁ『奇麗』でしょうか、それで余計目立って――」

「そうですか! 奇麗に見えましたか」


 そう言うとリオーサは場に微笑みを残して路地裏へ消えて行く。店に置き去られた店主は困惑し、所在無げにスカィラを炙った。



 息を荒げ、往来の中程で立ち止まるガロアは、先の肉屋が豆粒程に小さくなるのを確認し、大きく息を吐き出した。


「ふぅ……」


 あのジャンミー教の男は追いかけてくるだろうか……このまま通りを行けば、鉢合わせてしまうかも知れない、そう考えたガロアはチラと路地裏を横目に見た。

 しかし、その考えは奥に広がる暗がりを見て、すぐに萎んだ。薄暗い路地の隅っこにうずくまり、よだれで水溜りを作る心神喪失者の群れ。あの奥にはどれだけの惨禍が渦巻いているのだろうか、ガロアにその全貌を想像する事は出来なかった。

 これだけの量の“スカィラ”、一体何処で栽培していると言うのか。カルーニアでは無い……。ガロアは、通り過ぎた貸金業の看板を見て見ぬふりした。あれこそは正しく、ジャンミー教が憚る事なく掲げる拝金主義の標榜。

 カルーニアは良い国だ。暗部に首を突っ込まなければ、と但書ただしがきが付くが。


 ガロアは脳天に太陽の熱を感じて、日陰に避難する。何時の間にか昼頃になっていたようだ。


「――ッ!」


 炎熱のカルーニアにあって、唐突に現れた寒気が全身を駆け抜けてゆく。肌が粟立ち、ドクン、と心臓が大きく跳ねた。今ではすっかり意識から外れていた“縁”の揺らめきが、指向性を持ち始める。ガロアは視た。


「――ヴィシルダ?」


 無意識的に口を付いた感触には、確かな直覚、予感が含まれていた。

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