新規雇用
マリーヤ殺害の下手人に人員を割いている為、この度、豪商ラーザリ・マスロフスキーの屋敷は新たな人員を雇い入れることに決めた。
最も、理由はそれだけではなく……。最近圧力を増しつつあるアレス教への体面も合ってのことだった。これまでは既にいる人員を理由にのらりくらりと躱してきたが、この頃はそれだけで押し通すことが難しくなってきている。
「アクートゥスさんはその先駆けとして雇われたって訳」
「よ、宜しくお願いします」
暇を取ったゲイルに代わって使用人連中を取り仕切っていたヘルムが、彼女――アクートゥスを皆に紹介した。紹介された女性のリザードマンは短い挨拶を場に残して、それっきり黙りこくる。
アクートゥスはローレリア帝国の植民地出身で、つい先日、帝都に来たばかりというお上りさんだ。植民地では同種リザードマンに囲まれて暮らし、人という種との関わりは少なかったが故の緊張だった。
そんな石の様に固い肩にヘルムは手を添え、耳元で囁くようにこう言った。
「最初は慣れないだろうけど、アクートゥスさんにしか出来ない事もあるんだ。期待してるよ」
「は、はい」
ヘルムの言う「アクートゥスさんにしか出来ない事」とは何か、使用人は皆、理解していた。
その後、アクートゥスには教育係が割り当てられ、午前は荷解き、午後に実習という手筈を通達したヘルムは解散を命じる。
次々と使用人たちが新入りに暖かい言葉を掛けては部屋を出て行く。ヘルムは部屋に自分とアクートゥスの二人になった所で、新入りの緊張の篭った手を引いた。
「部屋に案内するよ。アクートゥスさんの荷物は運んであるから」
アクートゥスは先程から繰り返される軟派な触れ合いに内心狼狽していたが、言い出せる筈もなく、手を引かれるままに部屋を出た。廊下を右に曲がり直進、すぐに見えてきた使用人区画の一室をヘルムは指差す。
「本当は二人部屋なんだけど、今はアクートゥスさんだけなんだ。もう一人はそのうち来ると思うから、はいコレ」
ヘルムはアクートゥスの手に部屋の鍵を握り込ませる。この薄い金色の真新しい鍵はこの日の為に新調された物だ。それを眺めていると、アクートゥスは何だか心の底から熱が競り上がってくるようで、その蜥蜴面をぎしりと歪めた。
ヘルムが「開けてみて」と促すので、彼女は鍵穴に鍵を挿し、ゆっくりと回す。すると小ささ解錠音が鳴り、扉が至極滑らかにすり動いた。
清潔で簡素な部屋であったが、乱雑な印象を受けるのはアレの所為であろう。内装は椅子二つと机一つ、二段のベッドと後は本棚ぐらいのものだが、そこにどっとアクートゥスの荷物が山積みにされていたのだ。
正面から光が射し込む窓からは覗き込めば屋敷の塀と、その向こうに広がる帝都が望む。食い入るように窓に張り付いたアクートゥスを、ヘルムは暖かく見守った。
「荷解きの前に、合わせたい人がいるんだ」
「合わせたい人、ですか?」
「付いて来て」
案内されたのは使用人区画の奥、突き当たりに配置された部屋だった。ヘルムは部屋の戸を優しく二、三度叩いた。
扉は程なくして開かれる。中から顔をのぞかせたゲイルは悪友の隣に立つ、リザードマンに目を見開いた。そこへ、さっとヘルムが耳打つ。
「ラーザリ様のご厚意だ」
「わかってる」
どうして良いか分からず戸惑うアクートゥスを、ゲイルは中へ誘う。
「あの、私、アクートゥスと言います。宜しくお願いします」
「ゲイル・ローズだ。ラーザリ様が君を雇ったのは――恐らくこの子の為だ」
そう言って、ゲイルは部屋の奥を指差した。ゲイルが示した場所、そこにはマーシャが寝かされていた。その体躯は初めに用意した揺り籠に収まりきらず、新たに買い付けた子供用のベッドに寝かされている。
ラーザリはこの屋敷の誰にもリザードマンの育児経験がないだろう、と助っ人を用意してくれたのだ。
「この子は捨子だったんだ。何とか今までやってきたが、やはり分からぬことも多くてな」
「それで、私なんですね」
アクートゥスはすやすやと眠るトカゲ頭を撫でながら、帝都に張り出されていた募集要項を思い返した。『リザードマンの女性、子育ての経験者優遇』、アクートゥスは自分が選ばれた理由、先の「自分にしかできない事」の意味を悟った。
撫でられたマーシャはくすぐったそうに身を捩って、静かに寝返りを打つ。
「大きいですね、4歳ぐらいですか?」
「正確な年齢は分からないが、すぐ大きくなってな」
「あ、そうですよね。すみません、軽率でした」
少し解れたかに思われたアクートゥスの緊張も、少しの失言にで固さを取り戻してしまった。それを見兼ねてか、ヘルムが声を掛ける。
「あー、それで、この頃のリザードマンに何を食べさせたらいいのか、まるで分からないんだよ」
「えーと、この体格でしたら……柔らかくした肉を入れた『カーペ』という料理が一般的です。歯も生え揃っているようですし……」
アクートゥスはマーシャの口元をチラと覗き、ゲイルとヘルムの二人も揃って口元を見た。そこには確かに鋭い牙が生え揃っており、白く輝いている。ゲイルは餌に食いつく魚の様に勢いよく、けれども、努めて穏やかに詰め寄った。
「作り方を教えてもらっても!?」
「は、はい」
ヘルムは悪友の必死な形相に苦笑しながらも、何か書き留めておく物はないかと探してやるのだった。
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