ダリの村
ガロアは金属の擦れ合う音で目を覚ました。
「おはよう、ガロア」
「……おはよう」
高級感溢れるソファの寝心地はすこぶる良かった。山奥でこれ程良質な睡眠が出来るとは誰も思うまい。
ガロアは本来であれば昨日到着していた安宿の固いベッドを思い、獣道での苛立ちも無駄ではなかったなと感じていた。
「良い朝だな。旅立ちには相応しい」
ハンナは肉を焼いていた。夜に続き、朝にも肉である。いくら上質とはいえ、寝る前にはち切れる程食べたばかりだ。
ガロアは込み上げて来た思いやら何やらを飲み込んでから、肉に手を伸ばした。
「あれ、ハンナ、その服は?」
「ああ、汚れたのでな。奥で見つけた物を拝借した」
ハンナの服装は昨日の夜まで身に着けていた穴だらけの衣服ではなく、血も匂いもない清潔なものに変わっていた。
その服を何処から持ってきたのか、ガロアには皆目見当もつかなかった。彼女は大剣以外には何も持っていなかったのだから。
少し悩んだが、ソファがあるぐらいなのだから、女物の服だってあるだろうとガロアは自分を納得させた。
「ぐぐ……」
漸く、といった思いでガロアが最後の一切れを胃に押し込むと、ハンナは真新しい地図を差し出した。
「最終的には何処まで行くんだ?」
「アンリ。紙切れにはそう書いてある」
「そんな地名聞いたこともないな。アンリ、アンリ……ここか」
ハンナが指し示したのは地図の端。その帝国領内と領外とも言える場所に、見切れながらも"アンリ"と記載されていた。
「村の外に埋めてある、らしい」
「ふむ、ひと先ずダリを目指そう。すぐそこだからな。ガロアもそこを目指していたよな?」
「うん。ダリが近いんだったら、更に足を伸ばして今日中にサンテまで行きたいけど……」
「行けない事もないが……。すまん、私の方の準備が出来ていないんだ。手持ちの食料が心許無い。それに、この賊も依頼を受けて来ているのだ。報告と確認作業もあるからサンテへの出発は明日にしてくれないか?」
ガロアとしては出鼻を挫かれた思いだったが、すぐに気を取り直した。
先を急ぐ旅でもない、一日ぐらい足踏みをしてもいいだろう。
「わかった。別にいいよ」
「すまん」
「じゃあ、もう出ようよ。ここは臭う」
ガロアは方針を確認するとすぐに出たがった。
昨日は疲れと酔い、肉の焼ける匂いも相まって気付かなかったが、奥から漂う血腥い気配に少し参ってしまっていたのだ。
「そうか? まぁ、長居する必要もない、行こうか」
ドアがハンナの手によって開かれると、二人を朝の優しい陽射しが迎えた。
「下を見てみろ。多少だが、地面が踏み固められていだろ?」
「うん」
「賊が歩いていた道だ。これを辿って村人に発見されてな。間抜けな話だろう? お世辞にも狡猾な奴らだったとは言えないな」
ははは、とハンナは大声で笑った。
「まぁ、多少遠回りになるが、これを辿れば確実に馬車道に出れる」
そう言ってハンナは早歩きで先導した。ガロアはその小さな歩幅で置いて行かれまいと必死に追随する。
そんなハンナが急に立ち止まるので、ガロアは危うく背に激突してしまう所だった。
「なぁ、この実は何と言ったかな」
ハンナが指差していたのは、木に生っていた緑色の小さな実だった。
「訓練で教わったのだが、すっかり忘れてしまったな。ガロア、お前は分かるか?」
「いや、畑仕事は良くやってたけど……。森に生ってる実とかには詳しくない」
「食えるぞ。おいしくはないが」
ハンナはその実を摘み食いしながら幾つも摘み取った。「食べるか?」と差し出された実をガロアはやんわりと断る。
「あのさ、もっとゆっくり歩いてくれない?」
「速かったか?」
「うん」
歩調を緩めて再開し、数十分もすれば二人は広い馬車道に出た。
昨日から鬱蒼とした森を無理に押し抜けるばかりだったガロアは、途轍もない解放感を感じていた。
それに少しばかり浸っていたが、気付けばハンナの姿が遠くなっているのに気付き、慌てて追い掛ける。
ハンナの背に追い付いた所で、森の先に村が見え隠れし始めた。
「本当にすぐそこだね」
「ああ……。そういえば、私は騎士をやめたと言ったが、この村の連中には騎士の振りをして依頼を受けたんだ。話を合わせてくれ」
「んー、わかった」
会話を交えつつ歩けば到着はすぐだった。
豊かな緑に囲まれた村は、ガロアの故郷ほどではないがこじんまりと纏まっている。
「小さい村だね。俺の故郷の村よりは大きいけど。教会もあるみたいだし」
「教会がないとは、それは結構な田舎だな。その話も聞きたいが……後にしよう」
村に複数ある大きな建物に向かっていたので、ガロアは薄々そうではないかと勘付いていた。
しかし大きい家だなぁ、とガロアが体を反らしてその建物を見上げていると、ハンナが悪戯っ子の様な顔をした。
「ガロア、お前は自分でも言うように田舎者だろうから言っておくが」
「……? なに?」
「驚くのは失礼に値するぞ。場合によっては……ふふ」
「……どういう事?」
「庇ってはやるから、安心しろ。ふふふ」
要領を得ない言葉に、ガロアは苛立ち混じりに尋ねるも、返ってきたのは薄笑いだけだった。
釈然としない思いを抱えつつも、ハンナはさっさと家に上がり込んでしまったので、ガロアも渋々と後に続いた。
「おーい! 村長!」
ハンナが大声で呼び掛けると、家の奥から物々しい音を立てながら老人が姿を現す。
頻りに手を動かし続けるその老人は、驚きを隠さず出迎えた。
「騎士様! よくぞご無事で……! そのお連れの方は?」
「道中で拾った。それよりもだ。奴らはやはり賊だったぞ。斬りかかって来たので、成敗しておいたぞ」
「……まさか本当に片付けてしまうとは」
「確認の為に人を寄越してくれないか?」
「承知しました! すぐに若いのを連れて参ります! 暫しお待ちを!」
「……ああ」
村長は途轍もない早口で捲し立てると、尻に火でもつけられたかの様に飛び出していった。
確かに村長は物凄くせっかちな人物だったが、別段驚くほどの事でもない。ガロアは横目でハンナを見た。
「忙しい奴だ。しかし、奥さんは不在だった様だな。絶対に驚くと思ったのだが」
「……失礼に値するとか言ってなかった?」
当てが外れた、表情がそう物語っていた。
すると、そこに武装した若者を引き連れた村長が戻ってくる。
「お待たせしました!」
「……早いな。じゃあ、ガロア。行ってくるから適当に待っててくれ」
「わかった」
「お連れの方! この家を我が家の様に思って寛いで下され! さぁ、参りましょう!」
ハンナを先頭に村の若者たち数人と村長は、かなりの早足で駆けていった。
どうやらせっかちは村長だけでなく、村の気風の様だ。
ガロアは取り敢えず、荷を降ろそうとする。「我が家の様に」とは言っても、あまり奥までずけずけと入り込むのもマズいだろう。迷った挙句、荷は玄関横の壁に寄せ置く事にした。
距離や確認作業がある事を考慮すると、すぐに戻ってくるとは思えなかった。ならばその間、村でも見て回ろうかと踏み出した矢先、玄関のドアが静かに開かれる。
右手は反射的に腰の剣へと伸びた。
その時、ガロアが抱いたのは一抹の驚き、そして得心の念だ。田舎者を自称したガロアだが、昨今の潮流を全て見失う程ではない。
思わず剣に沿えた右手をゆっくりと離していった。
「奥様……ですか?」
「は、はい」
彼女の肌は岩石を薄く塗り重ねた様に分厚く、色は雑草を煮出した様な汚い緑色。
そんな皮膚を引き裂いて、頭に際立つ二本の角がちょっぴり素敵な――"ゴブリン"の奥さんだった。
奥さんからはかなりの警戒心が見て取れ、それは自分が見せたちょっとした肉体的反応の所為だとガロアは自戒する。
「俺は……き、騎士様の……あー、お、お供です。」
「騎士様の……」
「今! 騎士様と村長さんが討伐のした賊の確認に向かってまして……待機を命じられていた所です。お邪魔でしたらすぐ! 出ていきますので!」
面倒事を背負い込むつもりは毛頭なかった。このご時勢、教会に目を付けられる以上に厄介なことはないのだから。
問題になる前に、とガロアは一目散に外を目指した。
「お待ち下さい」
不意に呼び止められ、ガロアはビクつく。
「な、何か……?」
「騎士様のお供の方でしたら、持てなさない訳にも行きません。お茶をお持ちしますので、こちらへどうぞ」
そう言って奥さんはガロアの手を優しく取った。まるで、幼い子供にそうする様に。
ぎゅっと握った奥さんの手は存外柔らかく、かつ節榑立っていて、傷だらけで薄汚かった。
ゴブリンの目にも果たして幼く見えているのだろうか。ガロアは苦笑する。
それでも、その手が振り解かれる事はなかった。
ガロアは促されるままに椅子へと座らされる。奥さんが台所へ引っ込んで、それほど間をおかずにコップを携えて出てきた。
やはり、この村の住民は皆せっかちなのだろう。
「あ、頂きます」
ガロアは反射的にそう言ったが、コップ中身に目を見開いた。
真緑。ゴブリンは茶の色まで真緑か。口に出せば
コップは持ち上げてしまっている。「頂きます」とも言ってしまった。これで口をつけずに戻せば失礼だろう。
ガロアは意を決して飲み込んだ。
「故郷のお茶です。お気に召すと良いのですが……」
「……」
口内を甘味が蹂躙していく。飲み下した後も後を引く甘ったるさ。
――だが、悪くない。
ガロアはつい無言で飲み干してしまった。
美味しいが口の中が
「この辺りでよく取れるシルサの実です。ここの村の人たちは美味しくないと言って普段は食べないのですが、故郷のお茶には良く合うと評判なんです。お茶のおかわりもどうぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
皿に盛られたシルサの実を一つ放ると、ガロアの頬は即座に緩んだ。
前情報から期待せずにいたのだが、実の渋さや酸味がゴブリン茶の甘ったるさを見事に中和している。
――これは素晴らしい組み合わせだ! これも"縁"だと言うのなら、俺は今日からアレス信者を名乗るだろう!
ガロアは山盛りのシルサの実をあっという間に全て平らげてしまった。
「お気に召して頂けたようで、幸いです」
ガロアは奥さんが微笑ましいものを見る目をしている事に気付き、赤面した。
「はは……ご馳走さまでした……」
苦笑する他ない。ガロアは思わず乗り出していた身を戻した。
「お供の方はまだ幼いのに騎士様と――」
「あ~、いや! 奥さんが思っているほど幼くはないですよ、多分。16です」
「2つ下、ですね……」
「2つ下? 奥さんの方こそ、18で異種間の結婚は珍しいんじゃないですか? "縁婚"ですか?」
「はい、そうなんです」
「そりゃあ、お目出度いですね!」
自分の赤糸に繋がる"縁者"にだって、一生巡り合わないことも多いのだ。
そこから更に一歩進んで結婚まで行くとなれば、アレス教徒なら必ず「神がどうたら」と騒ぐ事だろう。目出度いことだ。
「有難うございます。あ、自己紹介がまだでしたね。ソル・ゲ・ルブル。ゴブリンの名前は【故郷の名・性別・名】ですので、"ルブル"とお呼びください」
「わ、わかりました。自分はガロアです」
ゴブリンの命名規則。これは田舎者じゃなくても得難い知識だ。
「えーと、ルブルさん?」
「はい」
「不躾な話題かもしれませんが、出会いの話とか……聞いてもいいですか?」
「ええ、良いですよ。でもその前にガロアさん。無理に言葉に気を使って頂かなくても大丈夫ですよ。教会に突き出したりなんかしませんから」
奥さんは優しくそう諭す。
硬い言葉を負担に思っていたことは確かなので、ガロアはそれに甘えることにした。
「えっと、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「それに私もガロアさんのお話を聞きたいです。騎士様の事とか――」
二人会話は思いのほか盛り上がり、ガロアは昼食にゴブリン料理まで頂いてしまった。
しかし、そんな時間になっても駆け足で出ていったハンナ達はまだ戻らない。
様子でも見に行こうかと思い始めた頃になって、ようやく戻ってきた。
「ルブルよ! 今戻ったぞ!」
「お帰りなさいませ」
「ふぅ……」
「ハンナ、おつかれ」
戻ってきたハンナの腰には見覚えのない、装飾の施された剣が吊るされていた。あの大剣とは比べるまでもなく騎士向けだ。
「あれ、ハンナ。その剣は?」
「これか? 報酬の一部として貰い受けたんだ。愛剣は賊との戦いで折れてしまったからな」
「あれ以外も使うんだ」
「まあ、な」
あの大剣はおどろおどろし過ぎる。別に武器を持つのが妥当な選択だろう。
村長は家に戻ってからも落ち着かない様子で、忙しなく動き回って奥の部屋から袋を持ってきた。
「これはほんのお礼です。少ないですが、これが精一杯です」
「ああ、いや、戦利品からも幾つか貰い受けている。気を使わなくて、結構」
ハンナはむんずと袋を鷲掴んだ。そこへ、奥さんがハンナの前にずいっと出る。
「騎士様、昼食はどうなされますか?」
「賊の品々を漁ったら腐りそうな物もあったのでな。それで村長らと共に済ませた」
「あら、そうですか」
盗品か、俺も食いたかったな。ついて行くべきだったかも。そんな事を考えていたガロアの方を抱いて村長達から距離をとった。
「ガロア、驚いたか?」
「……驚いた」
「田舎では中々見れないだろう? 人の出入りが多い帝都でも珍しいんだ。ふふふ、驚く顔が見れなくて残念だよ」
ハンナはニヤニヤと笑っていた。腹が立ったガロアが小突くのも意に返さず、笑い続ける。
ガロアは咎めるのを諦め、先程奥さんから聞いた話を伝えた。
「あのさ、今、この村に"司教"が来てるんだって」
「何? それは本当か?」
「村長に頼んで縁を視て貰おうよ!」
「笠に着る様で好かんが、報酬が少なかったのは事実だしな……。よし、頼んでみるか」
そう言うと、ハンナは素早く村長に駆け寄った。村人たちのせっかちが伝染したのかもしれない、と思うほどの素早さだ。
「その程度はお安い御用です! 村の者より優先して見て頂けるように取り計らいましょう!」
「助かる」
村長は又、家を飛び出していった。全く忙しない村だ。
村長の帰りを待つ間、奥さんが茶とシルサの実を出してくれたので、それを抓んだ。
ハンナは茶も実も気に入らない様だったが、ガロアは村の事も含めて結構気に入り始めていた。
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