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塩麹 絢乃

第一章 合縁奇縁

一巡目のプロローグ その1

 1:26 アレスは最後に人と獣を創造された。 1:27 力を失い、天に横臥おうがせんとするアレスに、人々は「行かないでくれ」と縋った。 1:28 アレスは慈悲を決し、生きとし生けるものに“赤糸”を垂れた。“縁”である。 1:29 アレスは言われた、「手繰りなさい、然すれば(――欠文――)」と。


 ――アレス 口語訳 1章26-29節





第一章 合縁奇縁



 無計画にも等しい侵略によってローレリア帝国の領地は広がり、領内には為政の影響が及びにくい僻地が多々生まれた。


 帝国領東端に位置するこの村も、又そうである。


 青々とした木々に囲まれた山麓の村、その外れに、ひとつ離れてポツンと建てられた寂しい民家があった。


 あちこちに穴が開き、色はくすみ、どう贔屓目に評してもぼろ屋であるそれにも、人は住んでいる様で、あちこちに修理のあとが伺えた。

 しかし壁も屋根も全く追い付いておらず、すっかり雨風の通り道だ。


 ぼろ屋に老いた男の呻きが響く。


「ガ、ガロア……」


 “ガロア”とは、老醜を晒す男の眼の前で朝食に勤しむ少年の名だろうか。

 呼び掛けられた少年は否とも応とも言わず、ただ静かに食器を動かしていた。


 膨らんだ寝床がもぞもぞと揺れ動く。


「ガロア……」


 痺れを切らしたのか、老いた男はとうとう寝床から這い出して来た。

 その数度目の呼び掛けに至って、少年は漸く応対する。


「ふぅ……。何? 父さん。 飯、食えるようになった?」


 “ガロア”とは、音も立てず静かに食器を置いた少年の名で正しかった様だが、呼ばれて差し向けたその碧眼は、剥き出しの侮蔑で満ちていた。

 この目を見れば、誰だって彼らが健全な親子関係を築いていない事を察せられる。


 それもそのはず、「父さん」と呼ばれた老人とガロアはたった二日前に顔を合わせたばかりなのだ。

 健全な親子関係など築けるはずもない。


 ガロアは母と幼い自分を置いて何処かに行ってしまった父親を恨んでいたし、母が病に倒れた時からその恨みは日に日に増すばかりだった。


 母さんはその所為で死んだんだ。いつか合ったら殺してやりたい。

 ガロアはそう思ってさえいた。


 しかし、いざ面と向かってみると、自ら手をかけるまでもなく父親を名乗る男は死に体。家に辿り着くまでに力を使い果たしたのか、床を這う程度にしか動けなくなっていた。


 直視し難いその姿はガロアの胸中から殺意という物を綺麗さっぱり取り除き、かわりに侮蔑と哀れみを生んだ。


 だから、なのだろう。

 ガロアは父親が家に来た事を村の誰にも話さなかった。


「ガロア……これをお前にやる」

「……なに、これ」


 父親が懐から取り出したのは、一枚の、これまた酷くボロボロになった古い紙切れだった。

 ガロアは震えを伴って差し出された紙切れを素直にも受け取り、無感情に眺める。


「はぁ、はぁ、……こ、この場所に……置いて、来た」


 息を荒げ、声も絶え絶え、父親は少ない言葉を絞り出した。

 手は震え、顔色は青を通り越して病的な白になり始めている。

 ガロアは紙に視線を落として、そんな父親を見向きもしなかった。


「ふーん、何を――」


 置いてきたのか。

 ガロアの問いかけが父親に届くことは無かった。


 この世に唯一残る肉親の元まで遥々やってきた男は、しかし看取られる事なくその生涯を終えた。

 ガロアは特に何を思うでもなく、手元の紙切れを疎ましげに見つめた。


「金目の物、じゃなさそうだな」


 コンコン。


 こんな朝早くに朽ちかけたドアを何者かが優しく叩く。

 二度目の合図にガロアの視線は音の方角へ向かい、次いで床に転がる父親を見た。


 舌打ち。

 来訪者の出す合図が三を数えた頃、ガロアはゆっくりとドアを開いた。


 開かれたドアの向こう側に立っていたのは、左手を腰の麻袋に添えたヒゲモジャの人物だった。

 ガロアは朗らかに挨拶を交わす。


「ああ、村長。おはようございます」

「なんじゃ、寝ておったのか? 床に布団を散らかしおって……」

「今の時期は割と暇ですから」

「まぁ、そうじゃが……。お前さんはまだ若いのに――」


 “村長”そう呼ばれた老人が家に上がろうと足を踏み出した時、ガロアはそれを阻む為、右足を踏み出した。

 驚く村長に疑問を挟ませる余地を与えず、ガロアは矢継早に話を切り出す。


「それより、こんな朝早くにどうしたんですか」

「ああ、いや、大した用事じゃない。ここ二日程、誰もガロアの顔を見ておらんと言うのでな。体でも悪くしたのかと思って顔を見に来たんじゃが――元気そうじゃな」


 田舎村という擬似的な閉鎖空間だからこその気遣いである。

 ガロアはその境遇が故、そんな雰囲気に助けられてはいたのだが、同時に過剰な干渉を疎ましくも思っていた。


 ガロアの歳は今年で16を数える。

 これは成人であり、その事実から生まれた自立心からくる小さな反抗心だった。

 しかし、ガロアは内心を押し殺し、破顔して言葉を返す。


「心配かけちゃったみたいで……。でも、ばっちり、元気ですよ」

「皆も心配していたぞ、後で顔を見せてやりなさい」

「はい」


 ガロアは村長を見送った。

 村長は途中で何度も振り返り、その度に腰に提げた革袋が右に左に激しく揺れる。


 中身は帝国の役人に渡す税、これは村人には周知の事実だ。

 村長は「大事な物は常に身に着けていないと不安なのだ」と常日頃から公言しており、今もその通りにしている。


「……」


 村長の姿が見えなくなると、ガロアの顔から笑みが消える。

 陽が大分高くなっているので、ガロアは自らが所有する畑に向かった。

 とは言っても、この時期にする仕事は作物の確認ぐらいで、すぐに終わってしまう。


 家で出来る仕事をこなしてもいいが、ガロアは村長に言われた通り、村をぐるっと一周、顔を見せてまわった。


 道中、昼食まで世話になったガロアは、巡回を終えて自宅の朽ちかけたドアに対面した。


 ふっ、と一息。


 ドアを壊れないよう優しく開けば――死体が消えていた、なんて事もなく朝と変わらぬ光景が迎える。

 は床に布団を被せられたまま、伏せっていた。


「……」


 ガロアは布団を取っ払って死体を担ぎあげる。

 外へ運び出すガロアだが、墓を作ってやるつもりは毛頭なかった。


 世話になってもいない父親に上等な墓を拵えてやるほど、殊勝ではない。

 崖から投げ捨てて、仮に見つかったとしてもすっとぼけよう、と思っていた。


 ガロアは薄暮はくぼの中を死体を背負って進もうとしたが、少年の様な小さな体躯に、痩せているとはいえ成人男性の体重は荷が重かった。


 仕方なく、作物の持ち運びに使っている台車を持ち出して、これに乗せる。

 ガロアは踏み固められていない草道を汗だくになりながら突き進み始めた。


 崖を目指すガロアの正面に太陽が輝き、目が眩む。


「くそっ……眩しいな」


 一度、足を休める事にして、太陽を背に座り込んだ。

 ここは目的地まで残り半分と言った所。


 何故だろう。


 ガロアは突然強い虚無感に襲われた。

 何故……父親の為にこんな重労働をやっているのだろう。


「この場所に置いてきた、か」


 父親の遺言が脳内に蘇る。繰り返し、繰り返し。

 “この場所に置いてきた”……何を?


 地に落ち始める陽の光を背に浴びながら、ガロアが胸元へと手を伸ばせば、微かに紙切れの感触が返ってくる。


 風が吹く。

 とても生温い風だった。


「……」


 気が付けば、ガロアは走り出していた。

 死体を道中に放り出し、一路、村の中心へ。


 父親の言葉を信じた訳でもない。

 この村で暮らすのが嫌になった訳でもない。

 両親のいないガロアを皆は優しく助けてくれた。


 けれど――。


 ガロアが村に辿り着いた頃、夕陽は地平線に落ち切り、辺りは闇に覆われていた。

 しかし、土地勘のあるガロアは躓く事なく村長の家に辿り着く。


 走るガロアは、戸惑うことなくドアを蹴破った。

 突然、家に飛び込んできたガロアに村長は目を見開いて驚く。


「うぉっ、ガロア。どうしたんじゃいきなり――」


 ガロアは勢いをそのままに、棒立ちしていた村長を殴った。


「ぐっ、な、何をっ」


 倒れた隙を突き、腰に蓄えられた税を奪い取る。

 この期に及んでも状況全く理解できずに居る村長へ、ガロアは心からの感謝を述べた。


「村長。お世話になりました」

「なっ――」


 用は済んだとばかりに、ガロアは村長宅を飛び出していく。

 村長は暫くの間唖然としていたが、状況を飲み込むにつれて顔を紅潮させながら大声で叫んだ。


「この――恩知らず! 誰か! 来てくれ!」

「ははっ、あははは」


 ガロアが目指すは山を降りた先にある村。

 怒号飛び交う夜の村を、ガロアは力の限り駆け抜けた。





 この日、この時に至って、決意を定めたのは彼だけではなかった。


 男、女、高貴なる者、貧しき者。

 それは人の種に限らない。


 己に結び付けられた糸を手繰り、引いて引かれて交わり消える。

 エゴと運命の狭間で生きる彼らが見るのは――


 果たして恍惚の花園か、鬱積の霊園か。

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