十年の間

「マ……ベロウソフ。お前、どうしてここに、それに……エレーナも」

 約束の時間よりも大分早く訪れたクルスク。

「……」

 俺は彼に何と言えば良いのか分からなかった。

「……ク、クルスク様? お久しぶりでございます。エレーナ、エレーナですわ」

 エレーナさんは間を置いて、立ち上がり、クルスクに名乗った。

「……久しぶりだね。もう十年にもなるか。見違えたよ」

 クルスクはエレーナさんの成長ぶりに驚いているようだ。

「この方はマルスさん。クルスク様はご存じですわよね? 実は、先程偶然お知り合いになって、一緒にお食事中でしたの」

「偶然? お前たちもここに用事があったとはな」

 クルスクは俺とマイラを見て言った。

「……ああ。マイラのバレエシューズを買いに来たんだ」

「うん。えれーなのおかげでね、素敵なシューズが買えたの」

「……」

 クルスクはにこりともせず、無言だった。

「クルスク様、座って下さいませ。マルスさんには私たちの面談の立ち合いをしてもらおうと思いましたの」

「こいつが、立ち合い?」

「俺がいるのは不満だと思うけど、エレーナさんの頼みだ。座ってくれないか。席を移すから」

 俺は立ち上がり、席を左に移す。

「……分かった」

 クルスクは渋々と言った感じで、エレーナさんの前に座った。

「では、クルスク様にもお茶とブリヌイを頼みますわね。もし、」

「いや、俺はお茶だけでいい」

 エレーナさんの提案に、クルスクはお茶のみで良いと修正する。

「……あ、分かりました」

 言われた通り、エレーナさんは店員にクルスク用のお茶を頼む。

 数分後、お茶は運ばれ、クルスクとエレーナさんの対面は始まった。

「クルスク様、まだちゃんとした挨拶はまだでしたわね。エレーナ・ブレジネワ。お久しぶりでございます」

 エレーナさんは頭を深々と下げて挨拶をする。

「最後に会ったのは、俺が十五、君が一〇だった時か。今ではもう、お互いすっかり大人になってしまったな」

 クルスクとエレーナさんは見つめあっている。お互いに、十年前を懐かしんでいるのだろうか。

「……そうですわね。クルスク様はわたくしの思った以上に凛々しくなられました。今は、空軍中尉殿。御立派ですわ」

「誉められるものじゃないよ。親父の元から離れたかっただけだ。君は……いや、綺麗になったね」

 クルスクはエレーナさんの容姿を誉めた。しかし、その前に何を言いたかったのか。

「あ、ありがとうございます」

「君の弟さんは今、お父上の後を継ぐために大学で勉強中かい? 彼は素直な子だったからね。……俺とは違って」

「そんなことありませんわ。私は思うのです。あの子の純粋さが、果たして政治の世界で……い、いえ、私ったら、口が過ぎましたわね。……すみません。貴方と会話を交わすのも文が途絶えてから、一年ぶりですので……」

「……俺のほうこそすまないと思っているよ。ここ一年、色々と忙しかったからね」

 二人の会話は、どこか、ぎこちなかった。許嫁の十年振りの再会だというのに。

 お互い、もっと別のことを言いたいのだが、言えないでいる。

「まるす、どうして二人とも、また会えたことを喜ばないの? 十年振りに会うんでしょ?」

 俺と同じことをマイラも思い、口に出す。

「……色々、複雑なんだと思う。十年という月日は、俺が思っていた以上に……」

 俺は隣の二人に聞こえないよう、小声で答えた。

 直接会えなくても、手紙の交換はしていたと聞いた。しかし、それも一年前に途絶えている。

 その理由は多分、二人の人生に重大な転機が訪れたこと。

 エレーナさんはバレエを諦め、クルスクは候補生にスカウトされた。

 音信不通になってしまった一年前から、二人は互いに対し何を思っていたのか。

 エレーナさんはそれでも婚約者を慕っていた。しかし、クルスクは……?

 俺は身につまされる。エヴァの件で、似た想いをしたから。

「……」

 いつのまにか、二人の会話は途切れていた。エレーナさんはうつむき、クルスクはカップに口をつけている。

 周囲の席のにぎやかさとは反対に、この席の静けさが際立つ。

 せっかくの再会なのに、このままじゃ駄目だ。俺は二人の会話の弾みに、話題を提供しようと思った。

「そ、そういえばさ、クルスクはどうしてエレーナさんに会おうと思ったんだい。このお店を指定して」

「……」

 さりげない質問に、クルスクは俺を睨む。まるで、余計なことをするなと言うように。    

 彼の目が怖くて、俺はうっと口を閉じてしまった。

 クルスクは視線を前に戻し、……ふぅと少し息を吐く。

「もう、まどろっこしいのは止めだ。エレーナ。俺たちの関係はもう終わりにしよう。元々は親どうしが決めたもの。俺は家を継ぐつもりはないし、君もいつまでも縛られるべきではない」

 彼から出た宣言は、驚くべきものだった。

 許嫁の縁を切ろうと言ったのだ。

「そんな――」

 俺も驚いたが、一番衝撃を受けたのは、エレーナさんだった。

「君のお父さんは別の男を勧めていると聞く。だから、」

「待てよ、クルスク! それはあまりにも酷いんじゃないか?」

 俺はクルスクの言葉を遮る。彼のあまりの態度に、頭に血が昇っていた。

「エレーナさんはお前に会うのを楽しみにしていたんたぞ? 十年。十年お前のことをずっと想っていたのに! 何でそんなことを言うんだ! この際だから言わせてもらう。彼女がバレエを諦めた時、お前は何も言ってあげなかったのか?」

 怒りが収まらず、大声で叫ぶ。

 そのせいで、周囲の人々が口を停め、俺を見る。しかし、今はそんなこと気にしていられなかった。

「……」

 クルスクは少しの間、黙っていたが、きっと俺を見返す。

「ベロウソフ。これは俺たちの事、お前が口を出すなとは今更言うまい。だがな、お前のような嘘つきが、俺を非難する資格はあるのか? 俺だけじゃない。お前の行為は、みなに対する背信だ。そんな奴を俺たちは友人だとは認めん。お前が死んでも――」

 ばしゃり。と、俺を蔑むクルスクの顔にコップの水がかけられた。

 衝撃的な出来事に、俺たちのテーブルだけでなく、店内の音が停まる。

「クルスク様、いい加減にして!」

 その張本人、エレーナさんは立ち上がり、顔を赤くしていた。

「マルスさんは貴方のことを友人と思っていたのよ? それなのに、貴方は何ですか? 嘘つき? 背信? 死んでも? 私の知っているクルスク様はそんな非道なことを言う方ではなかった!」

 彼女は大声でクルスクを非難する。先程までの上品で清楚な人と同じ人かと思うほどに。

「……もういいわ。わたしの方から許嫁の件は解消します。さようなら!」

 そして、テーブルから離れ、店の出入り口に駆け出してしまう。

「……エレーナさん? クルスク、良いのか? このままだと……」

 それまで呆気に取られていた俺は我を取り戻す。クルスクに彼女の追わないのかと聞くが……。

「……」

 肝心のクルスクは慌てもせず、冷静にハンカチで顔をぬぐっていた。

 つまりは、追いかけるつもりもないのだ。

「ああもう! いいよ。俺が彼女を追う。お前、ここで待ってろよ!」

「まるす! 私がくるすくと一緒にいる。だから、えれーなを捕まえて!」

 まいらが手を上げて呼びかけた。

「分かった。マイラ、頼んだぞ」

 俺は彼女にクルスクを頼み、エレーナさんの後を追いかけようとした。

 店を出た直後、黒服の男が俺を停める。

「ベロウソフ候補生、どこに行くつもりだ? 勝手な行動は慎め。今日の午後六時までには町に戻らなければならないのだぞ」

「六時……距離も考えれば、五時には首都を出ないといけないのか。……分かっているよ。頼む。それまでには絶対に戻って来るから、行かせて欲しい」

 俺は黒服に頭を下げる。もしこれで駄目なら、無理矢理でも行くつもりで。

「……定時連絡。ベロウソフ候補生はパートナーと別行動を取る。……多少、長くなるかもしれないが、安心されたし」

 彼は通信機に向かってそう呟いた。

「ありがとう……!」

 俺は彼に感謝し、手を伸ばした。

「早く行きたまえ。ブレネジワ嬢はあちらに走って行ったぞ」

 彼は手を出さず、エレーナさんの向かった先を指さす。

 俺は頷き、その方向に走り出した。

 クルスクとエレーナさん。あの二人をこのまま別れさせるわけにはいかない。絶対にだ。

 クルスクは今でもエレーナさんのことを想っている。だからこそ、あんなことを言った。

 そうだよね、父さん、母さん……。

 

 


 

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