第四幕
ふるさと
瞼が開き、光が目に入る。それをまぶしいと感じた。
まぶしい……感覚があるということは、俺は、生きている。
両手を上げ、十本の指があるかを確認した。包帯が巻かれ、動きは鈍いが大丈夫だ。生還しただけでなく、体も無事だったことに胸を撫で下ろした。
白を基調とした内装に、少し鼻につくアルコールのにおい。病院の個室だ。どこの医院なのかは分からないけども。
お腹の辺りに重みを感じ、体を起こす。俺のお腹を枕代わりに眠っていたのは、白髪の少女だった。
「……マイラ?」
「……む、にゅ? あ、マルスが起きた! ……ぅ、う~、良かった、わたし、心配で心配で――」
マイラは飛び起き、俺に強く抱き着いた。わんわんと涙を流し、鼻水も。
「ま、マイラ!? ……ごめん、心配させて」
俺は彼女の体に両手をまわす。
良かったのは俺も同じ。マイラも無事だったことに心の底から嬉しかった。
ああ、この匂い、温かみ、柔らかさ。生きてこそ、味わえる。俺たちは互いに生への喜びを噛み締めていた。
あの状況でどうやって生還したかは分からない。今はそんなことがどうでもいいと思えるほどに、相手への愛を確かめたかった。
このまま抱き合えば、次の展開に……
「マルス君、タチアナ先生の診察の時間だよ」「先輩、先生がそろそろ起きる頃だろうって……」「全く、心配させやがって」「そのおかげで、チャーチフのあんな顔、初めて見れたよ」
しかし、タチアナ、エヴァ、クルスク、イワンたちが室内にどっと押し込んだ。
「「あっ――」」
と、彼女たちと俺の目が合い、病室は気まずい空気になった。
「まるす……どうしたの?」
ただ一人、マイラは構わず俺に抱き着いて。
数分後、窓を開けてもらい空気を入れ換え、俺は咳ばらいをした。来客の四人はベッドの周囲に立ち、マイラは椅子に座って俺の右手を握っている。恥ずかしいから今は……という視線を送っても、マイラはいやと返す。重ねられた右手を見て、タチアナは複雑な表情を、クルスク、イワンはあえて無反応、エヴァは……目を逸らしているような気がした。
「……と、ともかく、俺たちはなぜ助かったんだい? 気を失う前、君たちの声が聴こえた……覚えがあるんだ」
「君が宿舎から消えた後、僕たちは中佐に行方を聞いた」
「それで、リェビジ村の場所を教えてもらい、私たちもすぐに向かいました」
「その一番近い町でお前を車に乗せたという男性から情報を得て、確信を持ったのだ」
俺の問いに、イワン、エヴァ、クルスクが順に説明してくれる。
「僕たちだけじゃない。町からも探索隊を募り、君を捜した。しかし、肝心のリェビジ村跡に全く着かない。地図に表記された場所付近をぐるぐる回ることに」
「……まるで、俺たちを拒絶しているかのようだった。過去のことを踏まえれば、分かる気もする」
「でも、不思議なことが起きたんです。それまで降り続けていた雪が急に止んで、雲から光が射し、マルスさんの声が聴こえました。それに、マイラちゃんの……声も? 二人の声に導かれて、進むと」
「俺たちを発見したんだね」
俺は確信する。あの時聴いたみんなの声は幻聴では無かったことを。
「……」
俺、エヴァ、クルスク、イワンは一緒にうなずいた。この奇跡を起こしたのは、俺たちの絆と、マイラによるものだと。
「発見したお前とマイラはすぐにでも病院に連れて行く必要があった。その時に、ヘリコプターが上空に現れ、中には中佐が。彼女は上にお前の救助を要請してくれたんだ」
「ボクも参加していいかな? その後、病院で待っていたボクがキミたちを治療したわけさ。全く、彼の手術が終わったと思ったら、リーリヤちゃんに引っ張り出されて、
それまで喋るのを我慢していたかのようにタチアナはまくしたてる。
「ありがとう。みんなのおかげで俺は今、ここにいるんだ」
俺は素直に感謝し、この場にいる全員に頭を下げる。
「うん。みんな、ありがとう」
マイラもお礼を言った。
「おお、今のはボクにも分かるよ! よし、マイラちゃんからのお礼は何がいいかなあ? 一緒にお風呂? それともねんね? いやいや、今ならどんなお願いも……ふひひ」
「お礼なんてこそばゆいな。君たちは僕たちの仲間。助けるのは当然さ」
「軍人……ではなく人として当たり前のことだ。それに、初の飛宙士が選ばれるまで誰一人欠けるべきではない。最後まで互いに競争することで、最良の……」
「もう、お二人とも固いですよ。友だちを助けるのに理由なんかいりません」
タチアナの妄想をよそに、三人はそれぞれの理由を語る。
やっぱり、生きて戻って良かった。あそこで諦めてしまえば、二度とこの友たちとは会えなかったのだから。
「ああ、そうだ。俺のことを君たちに教えた人の名は? たしか、俺を車に乗せてくれた人と同じだったんだよね。あと、町の名も」
感謝すべきは、彼も同じだった。それに、探索隊に志願してくれた人たちも。
「えっと、町の名はロジィナ。青年はアランと言ったかな」
「ロジィナ、それにアラン――」
俺は縁というものを感じた。ロジィナは俺の拾われた教会のあった町。アランは幼少時、よく遊んでいた子と同じ名だったのだ。それを知れば、幼少時の彼が成長したらあの顔になると思った。戦争中、家族とともにどこかへ行ってしまったアラン。それから十数年、まさかあんな形で再会していたなんて。
「君は、町に戻っていたんだね……」
ロジィナ。父さんと一緒になってからは一度も戻っていない。機会があれば、町に行こう。そこで神父、シスターの墓を建て、今の自分を見せたかった。
故郷は俺の心に、ふるさとは今でも存在している。
「さて、そろそろお暇しようか。マルスは起きたばかり、数日前は生死をさまようほどだったんだ。あまり騒がしくしていると、回復に響くと思うよ」
「そうだな、では俺たちは訓練に戻る。お前はしっかり休めよ」
イワンの呼びかけにクルスクは賛同し、部屋を出て行こうとした。
エヴァはそれには答えず、意を決した顔になって俺の左手を握る。
「……先輩、私たち、中佐から事情は聞きました。それでも、あなたはこの国に……?」
「……」
イワン、クルスク、タチアナの表情が硬くなる。エヴァの問いが引き金のように。
みなあえてその話題を避けていたと思う。自分の一族が共和国軍に粛清されたことを知り、これから俺がどうするのかを。
「……」
俺も今すぐ答えは言えなかった。そもそも、俺はもう候補生ではない。今、何者でない俺がマイラとともに宇宙に行くためには……。
迷っているなか、マイラと目が合う。彼女はにこりとほほえみ、何も心配ないよという表情をしていた。
その顔を見れば、何とかなると気持ちが前向きになる。初めて会った時からそうだった。迷えば、マイラはいつも俺に道を示してくれたのだ。
「みんな、心配ないよ。俺はこれからも……」
四人に俺の気持ちを話そうとした時、病室のドアがノックされた。
「失礼……っと、大勢いるな。みな、私とベロウソフで話がしたい。退室してくれるだろうか」
入室したのは中佐だった。彼女は真剣な表情で退室を促す。
その令を受け、イワン、クルスクは中佐に敬礼し素早く出る。タチアナはマイラとはまだ離れたくないと不満げに。最後に残ったエヴァは、俺の左手から名残り惜しそうに手を離した。
「マイラちゃんは……先輩と一緒なんですよね」
「ああ。この子は俺とずっと一緒だよ」
「……はい。じゃあ、私も行きます」
エヴァも去って行く。去り際の彼女の表情に、俺の胸はちくりと痛んだ。
もっと言葉を選んで答えれば良かったのかもしれない。
人の少なくなった病室で中佐は俺の元に寄り、ほほえんだ。
「よく生きて戻ってきたな。我々は君を再び、候補生として迎え入れる」
「えっ? ……でも、俺の資格は剥奪されたんじゃ」
「教授が目覚め、復職されたのだ。そのため、計画は彼が再び主導することになった」
「教授が!? ……良かった。そうか、タチアナが手術した彼って」
意識不明になった教授を復帰させるなんて。やっぱりあの人は天才……か?
候補生資格の復権、教授の復活。二つの大朗報に俺は喜ぶ。マイラのさっきの笑顔の意味が分かった。
顔がほころびそうになる俺とは反対に、中佐は目力を強めた。
「喜ぶのは分かるが、話はまだ終わっていない。お前が故郷に行き、ここで眠っていた間に事態は急変したのだ。有人飛行の打ち上げは、三週間後、一二月二五日に行われる」
「――さ、三週間後の二五日!!? 何でそんな早くに」
最後の発表が一番驚いた。俺が寝ている間に月は移り、打ち上げまでひと月もない。
「第一書記クハルチョク氏の厳令だ。年内に有人飛行を成功させ、新年に向け世界中に共和国主義の優位性を喧伝する。それは表向きで、私が思うに、焦りだ。先日開催されたアトラス大統領選挙で就任が決まった新大統領。史上最も若い大領領となった彼は、来年一月の就任演説で宇宙開発に関する重大な発表を行う。……という情報を政府は掴んだ。それが何なのかは分からない。有人飛行の打ち上げ日なのか、それとも……」
「なるほど、だからこそ共和国政府は先に有人飛行を成功させ、アトラスの出鼻をくじくというわけですね」
「よく分かっているな。そのおかげで、今の我々はてんてこまい。休日などありはしないよ。おかげで、ブリヌイもおちおち作っていられん」
中佐は不満そうに口をとがらせる。それを見て、俺はついくすりとしてしまった。
「……そ、それで、飛宙士は? もう決まったのですか?」
「……その件に関して、教授からお話がある。病み上がりだが、これから、第一試作局に行けるか?」
「もちろんです」
と、俺は二つ返事した。
まるで時間を跳んだ気分だった。俺が寝ている間に、こうまで事態は進展していたなんて。
とにもかくにも、これから赴く教授の元で、俺とマイラには重大な指針が下される。そんな予感をひしひしと感じる。
「……」
それは、マイラも同じ。彼女の手を握る力が強くなっていたから。
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