父母

 ――マルス。あなたの名前はお父さんの国では火の星を。私たちの言葉では、火の鳥を意味するのよ。

 

 死の間際、俺の目に、赤髪の女性の顔が映った。

 腰まで下ろした長髪の色は赤で、俺と同じ。碧色の瞳で俺を愛おしく見つめている。

 彼女が、母さんだ。直感的に分かった。

 母さんは産まれたばかりの赤子――俺――を、抱き上げている。女、母としての幸せを享受しているかのような満面の笑みで。

 そんな彼女を見て、俺は嬉しさをかみしめる。ちゃんと、愛されて産まれて来たのだと分かって。

 でも、疑問がある。母さんの伴侶、俺の父さんは、どこに? 


 次に映るのは、怒りに震える母と壮年の男性が向き合う場面。

 ――私の赤ちゃんをどこに? 族長……いえ、お父さん、答えて!

 ――あんなよそ者との間に作った子どもなど、認めん! お前がどうしてもと頼むから奴を助けてやった。それがいつのまにかあんな関係に……。我らが神は産まれる命を殺めることは禁じている。だから産ませてやった。それに、仮にも儂の孫だ。殺されないだけでも、有り難いと思え。


 男性は母さんの父、俺の祖父であり、オロルの族長だった。二人の言い争いから、俺の父は部外者であり、俺は長にとって望まぬ孫だと分かった。

 だとしたら、族長が赤子の俺を教会に捨てたのか。


 ――そんな、酷い。あなたはどうしてそこまで頑ななのです? だから私たちは滅んでいくというのに……。もっと広い世界を識らなければ、私たちに未来はありません!

 ――ええい、黙れ!! お前はもうここから二度と出るな。許嫁である彼の元に嫁ぎ、オロルの血を絶やさぬことだけを考えよ!


 族長は母に命令する。女性を子を産む道具にしか考えていない言動に、俺は憤慨した。これでは、オロルが滅びたのも時間の問題だっただろうと。

 実の父からそんな扱いを受け、母の心は大丈夫なのかと心配する。


 ――あかちゃん、わたしのあかちゃんはこれじゃないわ……。だって、わたしのあかちゃんはもっときれいなかみ、ひとみをしていたもの……。うふふ……そうよ、わすれていたわ。あのひととあかちゃんはすこしのあいだ、おそとにでているの。ふたりとも、まだかしら? ゆびきりでやくそくしたのに……


 その予測は当たり、母は、壊れてしまった。夫との間に産まれた子が死産になって。彼女の心は過去に戻り、愛する二人をいつまでも待ち続けていた。


 時は流れ、次は、ドラッヘ帝国軍によって村が占拠されている場面になる。

 オロルは弓、銃を持って対抗したが、しょせん、近代兵器に叶うはずもない。支配された民族の男女には強制の使役が待っていた。


 ――まさか、ここが帝国軍に占拠されるとは。……今にして思えば、奴の容姿、言語……つまり、帝国の間者。……くく、おとぎ話の幸せな結末など、現実には存在しないのだ。


 族長は自嘲気味に笑う。彼の言葉より、父は帝国人、おそらくは、スパイだ。俺が予測するに……彼は共和国侵攻のための情報を探っていた。その時接触した母と関係を深め、子を成した。

 父が母に対しどこまでの感情を持っていかは分からない。反対に、母が父の真意を知っていたかどうかも同じこと。それでも、二人の営みで俺が産まれたことは事実なのだ。

 

 過去を再現した場面は、遂にリェビジ村、オロル民族最期の日に移る。

 それは、地獄というにはまだ生ぬるい惨状だった。共和国軍隊の圧倒的暴力が、オロルの民、家、家畜、文化、宗教を破壊尽くしていく。民を悪魔として扱い、浄化するように。

 共和国兵の中でも、銃を撃つのをためらう者はいた。しかし、上官はそれを咎め、命令違反をしたと背中を撃つ。味方から撃たれる恐怖で兵たちは心を殺した。その結果、殺戮は加速していく。

 もはや、ここにいるのは人の皮を被ったかいぶつたちだった。リェビジ村はかいぶつたちの狂乱の場に捧げられたのだ。

 族長も倒れ、村に残るオロルの民はあと僅かになった。兵たちは一軒一軒探り、生き残りがいないかを確かめる。もちろん、逃がすためではない。

 そんななか、母は家の地下室で体を震わせていた。

 ――こわい。こわいよう。いきなりあらそいがはじまって、おとうさまがわたしをここにとじこめた。みんなのさけびごえが……わたしも、しぬの? やだ。やだやだやだ。あのひととわたしのあかちゃんにあうまで、わたし、しにたくない……!

 彼女は必死に頭を振る。絶対に愛する者が迎えに来てくれると信じて。

 その願いも虚しく、母の頭上から足音が聞こえた。

 ――ひっ? だれか……くるの?

 怯える母は部屋の隅に寄り、身を縮こめる。

 上の足音はこつこつと辺りを動き、何かを見つけようとしていた。音は止み、すぐさま地上と地下室を繋ぐ隠し扉が開かれる。そこから光が射しこみ、声が発せられた。

 ――誰かいるか? いたら返事をしてくれ!

 ――……え? その声は……。

 母はその声に覚えがあるのか、そおっと扉に近づく。

 地上から下を覗く兵士と、地下から見上げる母の目線が合う。

 ――生きて、いたんだね……。良かった……。

 ――あ、ああ……あなたは……。

 兵を見て、母は奇跡が起きたという表情を見せる。同時に壊れていた彼女の目に、正気の輝きが戻っていた。

 兵は地下室に駆けおり、軍帽を脱いで自分の顔をしっかりと見せる。

 ――遅れて、ごめん。君を迎えに来た。

 ――その金色の髪、空色の瞳。間違えるはずもないわ。やっと、やっと来てくれた!

 母は待っていた愛しい人――父――に抱き着く。

 父も彼女を思い切り抱き締める。

 二人は数年振りの再会を真に喜びあっていた。

 

 その姿を見て、俺の瞳から自然に涙がこぼれていた。

 父が母の元を何故去ったかは分からない。けれども、彼の愛は確かであった。


 ――ここから逃げよう。君の分の軍服も持ってきた。それを着て、何とか外に出さえすれば……。

 ――父が先程教えてくれました。教会の地下に、外の森に繋がる通路がある。自分が時間を稼ぐ、お前は逃げろと。……行きましょう。外の世界へ。私たちの子はきっと生きています。

 ――そうだ、マルス。遥か遠くへ飛び立って欲しいという願いで名をつけた、僕の子。君と再会出来たんだ。必ずもう一度奇跡は起きる。

 二人は村からの脱出を図ろうとする。が、地上に登った瞬間、新たに侵入した兵士に見つかってしまった。

 ――あ、生き、残り……? じゃない、味方?

 兵士は、まだ顔に幼さの残る新兵だった。彼は戦闘の興奮と恐怖で正常な判断がついていなさそうに見える。

 ――ここには誰もいなかった。お前は別の所へ行け。

 父は冷静に彼に命令した。

 ――は、はいっ。では……。

 新兵はびくっとして、慌てて体を反転させた。その背に向け――

 ――やめて!

 母は父の右手を停める。父は銃を持って、新兵を撃とうとしたのだ。

 ――なぜ停める? 見られたからには殺すしかない。僕たちが逃げ出すためには、ほんの少しの障害も……。

 冷酷に父は告げる。彼のほおには、小さな血の跡が着いていた。

 ――そんなことしないで……。あの子を撃っていたら、あなたはマルスを抱けなくなるわ。

 ――……でも、僕たちが助かるには……。

 母の説得に、父は悩む。


 彼の一瞬の迷い。その時に、二人の結末が定まってしまったのだと俺はやるせない思いになった。あるいは、新兵と出会った時には既に……。

 

 ――ひ、ひいっ!? ぼ、僕は命令違反なんかしていません! だから、殺さないで!

 自分の背後から聞こえる会話に新兵は気づく。

 ――こ、殺されるくらいなら……サキニコロシテヤルッ!

 父と母に振り返り、銃口を向け、引き金を引いた。かいぶつの顔と目になって。

 飛び出した弾丸は、二人へ容赦なく突き進む。


「父さんっ! 母さんっ!」

 俺はありったけの声で叫んだ。けれども、今見ているのは過去の事実。何も変えることは出来ないのだ。

 これから先は、見ていなくても分かっていた。

 先程見た場面で族長が言った皮肉、おとぎ話の幸せな結末は現実には起きない。

 俺はそれを痛感した。

「……二人の最期は、もう分かってる。次は、君が一番見せたいなんだろう」

 過去の投影者に対し、俺は言った。その者はかつて、別世界のクルスクの未来、エヴァの過去を俺に見せたこともある。

 そんな光景を見せるの真意を、俺は気づき始めていた。

 伝え通り、場面は変化する。おそらく、これが彼女の最も見せたかった情景だ。


 暗闇と吹雪の中、森の大木の下で赤ん坊が泣いていた。

 赤ん坊の身を護るものは、一枚の布のみ。こんな極限の環境のなかで、助けは誰も来ない。赤子の声が停まってしまうのは、明らかだった。

 それでも、赤ん坊は泣く。必死に、生きたい――と。

 その訴えに呼ばれたのか、赤ん坊の元に、あるものが現れた。

 全身を白毛で覆われた狼が。

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