帰巣

 第一試作局を追い出され、俺は車で星への始発駅に送られる。宿舎前で降車し、中で待っていたのは、候補生たちだった。

「先輩、マイラちゃんは?」「マルス、候補生資格を失ったと聞くが……」「中佐はそれ以上教えてくれないんだ。一体何があったんだい?」

 エヴァ、クルスク、イワンが一斉に質問する。

「……」

 俺は何も言葉を出さず、彼、彼女たちを通り過ぎた。

 自室に戻っても、誰もいない。今はここが個室でなく、相部屋であることが余計に虚しく思えた。もう一脚のベッド、机、椅子は必要ないのだから。

 マイラと過ごした半年間を思い出す。俺が自習中、彼女は静かに本を読んでいた。構って欲しいのを我慢して。勉強が終わるとすぐに飛びつき、本を一緒に読もうとせがんだ。お気に入りの白鳥の姫と王子様のお話を。俺たちは一緒にベッドに入り、お互い眠くなるまで音読したのだ。

 そんな楽しいことばかりじゃない。感情を持った男女、時にはちょっとしたことでケンカになった。そんな時、マイラはぷぅとほおをふくらませ、部屋を出てしまう。行き先は大抵、エヴァか中佐の部屋だった。俺はやれやれと思いつつ、必死に捜すフリをして二人の部屋の元に行く。ドアをノックして、少し待つと、もじもじとしたマイラが顔をのぞかせる。

「ごめんなさい」

 と、互いが同時に謝って、笑って、ケンカはおしまい。

 後は一緒に部屋に戻り、寝て、朝起きれば元通り。

 ――ああ、今、気づいた。そんな当たり前の毎日が、かけがえのないものだったことに。

 だった……そう、もはや過去形なのだ。

 この部屋に、彼女が戻ることは、もう無い。

 ベッドに身体を沈めた時、シーツに彼女の白髪一本と、においが残っていたのに気づく。

「……マイ、ラ。……う、ぅ……まいらぁ……」

 もう触れられない彼女の名を繰り返し、涙でシーツを濡らす。

 かつて、父さんは俺に教えてくれた。


 ――お前が誰かを想って涙が止まらなかった時、きっと、その子が好きなんだよ。


 翌早暁、俺は荷物を鞄にまとめ、宿舎を出る。既に候補生でも何でもない俺はここにいる資格、理由もない。放り出されるより、出て行くのがせめてもの意地だ。

 玄関を出てすぐ、小さな人影が立っていた。

「……中佐」

 何となく、彼女が現れるのは分かっていた。

 こんな時間に偶然ということはない。俺を、待っていたのだ。

「みなに挨拶もせずに行ってしまうのか。薄情な奴だな」

 中佐はいつものように、淡々と話す。

 候補生を辞めるな――とは言わなかった。

「俺はもう彼らの仲間じゃありませんから」

「飛宙士は、諦めたのか?」

「……俺はもう飛びません。あの子を犠牲にしてまで。それに、他の誰かが飛ぶのも見たくない。では」

 頭を下げ、去ろうとする俺に、中佐は封筒を差し出す。

「この中に、君の生誕地のことが書かれてある」

「え? 俺の……」

「……あと、宿舎の鍵もあるわ」

 今、中佐の声色、言葉づかいが違った。今の彼女は、中佐でなく、リーリヤだ。

「あ、リーリヤさ……」

 真意を知りたかったが、彼女は行ってしまう。

 その後姿を俺は見えなくなるまで目で追った。


 懇意にしていたチャイカ店員の車に乗せてもらい、俺は町を出た。行き先は、ひとまず首都へ。街に入り、適当な場所で車を停めてもらうよう運転手に頼む。

「ベロウソフ君、また……会えるよね?」

 ハンドルを握る女性店員は真顔で俺に尋ねる。

 少し歳が上の彼女とは、チャイカで食事していくなか、仲が良くなった。

 彼女も動物好きで、はじめは猫派だった。けれども、マイラと接していくなか「犬も良いよね~。あ、マイラちゃんは狼か」と嗜好の範囲を広げたのだ。

「マイラちゃんと君、何があったか私は知らないよ。だけど、絶対に戻って来ると信じているから。私、二人を応援してるから! ……あ、色男のチャーチフさんは別枠だけどね」

 てへっと彼女は舌を出す。

「……ありがとう。俺みたいな奴を一人でも覚えていてくれれば嬉しいよ」

 俺は具体的な回答を出さず、彼女に礼を述べた。

 彼女とこれ以上いると気持ちが揺らぐ。そう思った俺は赤信号で停車した瞬間、助手席のドアを開け、ベルトを外し、急いで降りた。

 そのまま走り、車から離れる。背中越しに彼女の声が聞こえた気がしたが、あえて無視をした。

 街路をぐるぐると走り、見つけた公園に飛び込む。周辺を確認すれば、人は誰もいない。立つのは、茶葉をわずかに残す細い木々だけ。ここなら大丈夫だと、俺はベンチに腰かけた。

 さっそく、リーリヤさんからの封筒を開け、読む。

『マルス・ベロウソフ。君の生誕の地、それは、共和国北西、隣国との境にあったというリェビジ村だ。この情報はユーリさんから知り、私も君の故郷を調べていた。だが、この先記すことに、君は大変な衝撃を受けるかもしれない。もしそれを拒否するのなら、この手紙を破り、村に行く必要も無い。君の自由なのだ』

 今の俺に更なる衝撃? むしろ受けてやろうじゃないかと思い、続きを読む。

 ……手紙を読み終えた俺は、立ち、駅に向かった。

 自分の産まれた地を目指すために。

 まずは鉄道で共和国西果ての駅に向かう。一二時間以上を三等列車で過ごし、最終停車駅に着いた。既に辺りは闇に包まれ、降車するのは俺一人のみ。ホテルも無い町で、眠れる場所を探すのに難儀する。それでも民家に頼み込み、納屋で一晩を過ごした。

 翌朝、車をヒッチハイクし、進路は北西へ。当然、一台で済むわけもない。搭乗車は積み重なり、計十台にも及んだ。運転手は老若男女様々、時には外国人と思われる者も。乗せる理由は、俺への興味、親切、金銭……と、人それぞれだった。車と運転手が変わるなか、整備された道も荒土むき出しの細道に。さらに、雪が降り積もり、車のタイヤを滑らせる。

「……これ以上進むのは無理だね。それに、雪も激しくなるだろう。俺の家は近くだが、泊まっていくかい?」

 配送の仕事のついでと俺を拾ってくれた同年代の男性運転手。彼は進むのを断念し、宿泊を勧めた。 

「……いや、俺は行くよ」

「え? あんた……よしなよ。死にに行くようなもんだぞ。いいから、無理をせずに――って、おい!」

「……ありがとう」

 彼の制止を振り切り、俺はドアを開け、道に飛び出す。

 その時に思わずほおがゆるんでしまった。つい先日も同じことを言われたのだ。

 最期に会えたのが、君みたいな人で良かった。

 でも、俺は決めたんだ。故郷に辿り着き、そこで……。

 進行を再開した俺の頭に、降雪は容赦無く叩きつける。毛皮の帽子に、冬季用コート、皮手袋、ブーツ……寒さには備えていたが、すぐさま意味をなさなかった。両手足の指の感覚も既に無い。そのため、一旦足を停め、休み、火を焚いた。指先に感覚が戻ってきたら、再び進む。その繰り返しで、征く。いや、これは帰るのだ。動物の帰巣本能のように、己の生誕の地へ。


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