寝台列車は西に ―エヴァ четыре―

 エヴァの祖母の元に行くと決心してすぐ、俺は中佐に外出許可を申し出た。

「……二人してクズネフォワの祖母を見舞いに行くか。それが何を意味するのか分かっているのだろうな」

「はい。遅れた分は、後で取り戻します」

 数日間訓練を休むことである。それでも、俺は肯定の返事をした。

「……そこまでの覚悟なら、私からは何も言わない。ただし、監視をつけさせてもらう。任務の件を話せば……分かるだろう」

 ・当施設で見たこと、聞いたことは、外では他言禁止。たとえ家族でも。

 の、一文だ。

 俺はそれも充分承知していると頷いた。

「車を用意する。それで首都の駅まで行け」

 中佐から許可をもらった俺は遠出の用意をする。エヴァの故郷まで、鉄道で二日ほど。

「……まるす、わたしも行っていい?」

 それを静かに見ていたマイラが、遠慮がちに聞いた。

「もちろんだよ。君も行けばエヴァも喜ぶ」

「うん」

 準備を済ませ、俺たちは車が待つ管理センター前に歩いた。そこに、意外な人物を見る。

「タチアナ医師? 何で……あんたが監視か」

 白衣を脱いだ彼女が立っていたのだ。 

「そう構えないでくれたまえよ。付き添いみたいなものだ。それに、ボクも一応は医者。クズネフォワお祖母ちゃんの診察が出来るかもしれない」

「医者……そうだったよな」

 この町に医師として勤めているのだ。腕は良いと思うが。

「みなさん、お待たせしました」

 最後にエヴァが現れて、俺たちは車に乗り込む。助手席にタチアナ、後部座席に俺、マイラ、エヴァと並んで。

 車は発車し、ゲートをくぐり、星への始発駅を発った。

 俺とエヴァは自然に首を後ろに回し、離れゆく町を眺める。

「エヴァ、また一緒に戻ろう」

 その呼びかけに、彼女は頷いてくれた。


 車で首都ツェントル、ザパト駅に送られた後は、鉄道での移動になる。俺たちは共和国西方面行きの寝台列車の切符を買い、優等一号車(一部屋二人泊まり)に乗った。

「こんな良い列車に乗せてもらえるなんて思わなかったよ」

 俺は生涯で初めて乗る豪華列車に内心興奮していた。ふかふかのシートで、これなら長距離の移動も快適そうだ。

「喜んでもらえて何よりだよ。まあ、キミたちは国家の機密計画に携わる人物だからね。それはそうと、部屋割りはどうする? マルス君とマイラちゃん、ボクとエヴァちゃん?」

「うん、それで……」

「あ、あのっ……私、マルスさんと一緒がいいです」

 タチアナの案に賛成しようとした時、エヴァが意見する。俺と一緒がいいと。

「おや、ボクはそのほうが良いけど……マイラちゃんは?」

 タチアナはマイラを見て聞いた。

「わたしは……ううん、たちあなと一緒で……いい」

 マイラはどこか含みのあるような言い方をする。

 俺ははじめ、「まるすと一緒が良い」と言うと思ったのに。

「じゃ、そういうことで。さ、マイラちゃん、お姉さんと一緒に行こうか。……変なことしないから、大丈夫、ボクハイタッテジンチクムガイダヨ……うふふ」

 言葉と裏腹に、鼻息荒く、よだれを垂らす女医はマイラをさらう……いや、連れて行く。

 俺は間違った部屋割りをしてしまっただろうか。

「先輩は……嫌でした?」

「そ、そんなことないよ」

 これはただの里帰りに済まない……と、俺は予感した。


 広大な面積を持つ共和国に、網の目のように敷かれた国営鉄道。その上を列車は西に走る。

 夜の帳は降り、窓の外は完全に闇の世界になった。相部屋のエヴァはベッドで眠っている。ここ数日の心体への負担を癒すように。

 俺はすぐ側にエヴァが寝ているという事実にいささか緊張しているのか、目が冴え、ぼんやりと窓外を眺め続けていた。

「うん……」

 と、不意に発せられたエヴァの艶のある寝声にどきりとし、視線を彼女の顔に移す。

 ……あれから一年、ますます綺麗になった。初めて会った時は、まだ子どもっぽい部分が多かったのに。俺はエヴァの顔を見つめながら、養成校時代の思い出を振り返る。


 初めての出会いは、彼女が最短時間で単独飛行を認められ、天才という評判が学校中に広まったころ。俺はそんな天才に興味を持ち、彼女の飛行をじっくりと観察した。

 ――君がエヴァ・クズネフォワだね。なるほど、垂直飛行、降下は上手いけど……欠点がある。

 ――……欠点? あなた、何様のつもりですか?

 ――着陸だよ。君の背丈じゃ滑走路が見にくいだろ? だから、クッションを座席に敷くんだ。試してみなよ、俺もその方法で上手くいったから。

 ――……余計なお世話です。……あなたのお名前は? 一応、聞いておきます。

 俺の指摘に反感を持ちつつも、ちゃんと欠点を直そうとしている。

 意外とかわいいところがあるじゃないか。

 それが俺の彼女への初印象だった。氷の皇女という異名から、どんな冷たい女かと思いきや。

 次に会った時、エヴァは着陸を正していた。負けず嫌いな彼女は俺の方法を認めなかった。けれども、背中に隠したクッションを俺に見つかった瞬間の表情は今でも忘れられない。

 それから、俺たちは顔を合わせる度に互いの操縦技術について論じて、時にはエヴァから欠点が挙げられることも。

 ――ベロウソフ先輩は射撃がお上手じゃありませんね。わざと外していませんか?

 ――……俺は、相手の命を奪いたくないんだ。おかしいだろ? 飛行士になろうと思ってる奴が。

 ――……おかしくはないです。私も将来、軍に入った時、ためらいなく引き金を引けるかと思えば……。

 ――俺が飛行士になるのは、行きたい場所があるからなんだ。空の、もっと先へ……。

 どちらも家族が一人であることを知って、親近感が湧き、俺たちは先輩後輩の枠を越え、何でも話せる仲になっていた。仲が深まるにつれ、俺はエヴァと呼び捨てするようになり、エヴァは俺をマルス先輩と。

 そんな俺たちを見て、たまに周りの連中はからかったものだ。

 ――おまえら、つきあっているんだろ? 飛行機バカどうし、お似合いじゃないか。

 ――いや、そんな関係じゃないよ。それと、飛行機バカは余計だ。な、エヴァ。

 ――……

 俺は恥ずかしさからか、否定していた。エヴァとは男女の仲でなく、性別を越えた友情……停まりにしておきたかったのだ。前者になってしまうと、何かが変わってしまう気がしたから。

 でも、エヴァの無言は、今思えばきっと……。

 一歩踏み出せなかった俺と違い、エヴァは心の奥底で重大な決心をしていたのだろう。

 一九五九年の四月、卒業式も間際のころ。

 ――マルス先輩、卒業後は空軍大学校に行かれるんですよね。私も、行きます。だから……その時まで、待っていてください。

 ――ああ。一緒にまた飛ぼう。俺も新しい場所で君に会った時、素直になれると思うから。

 だが、彼女の大事な告白を、俺は反故にした。

 父の件があったとはいえ、俺は彼女の純粋な願いを、台無しにしてしまったんだ。


「……先輩、さっきからずっと何を考えていたんですか?」

 いつのまにか目を開けていたエヴァが俺に聞く。

「……昔のことを」

「私も、です。クッションは良い考えでしたね。実は、あの時のものを今でも使っているんですよ」

「ああ、あの……つぎはぎだらけで、不細工な犬の刺繍ししゅうつきのだろ? あれを見た時は何だか安心したよ。天才でも、苦手なことはあるんだなって」

「不細工……だって、家事はお祖母様がしてくれたから。でも、近所のおばさんからよくワンちゃんの世話を任されましたよ。イヌの気持ちが分かるエヴァちゃんって評判でした」

 ふふんと鼻を鳴らすエヴァがほほえましくて、俺はくすりと笑みがこぼれる。

 それから、俺たちは思い出を懐かしみながら列車の旅を続けた。


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