氷の皇女と図書館で ―エヴァ один―
一九六〇年八月末。
「よ、お二人さん、仲が良いじゃないの。……うんうん、若いってのはいいもんだねぇ」
候補生で最年長の大尉が俺たちを茶化す。
「大尉、何を言っているんですか。あなただって充分若いでしょうに」
「大尉、私たちは勉強中です。それを見て……な、仲が良い……というのは場違いな感想かと」
俺とエヴァはすぐに彼に突っ込んだ。
はいはいと彼は手を振り、去って行く。
エヴァの言う通り、俺たちは中枢区の図書館で自習をしていた。明日の座学の試験勉強である。
無音響低圧室での事故から、ひと月が経つ。俺が候補生となり、星への始発駅に訪れてから三か月。毎日の座学、訓練は相変わらずきついが、ここでの生活も慣れ、他の候補生との壁もすっかり消えてしまった感はある。
きっかけは、
「続きをしましょう……つまり、ユマシュワの公式によってロケットの速さ=(押し出したガス質量×押し出すガスの速さ)÷ロケット全体の質量。となり、ガスの質量が大きい、速いほどロケットは速く進むのですよ」
「そっか……なるほど。じゃあ、エンジンをいっぱい積んで、燃料を一気に放出すれば速く、遠くに行けるんだな。いや、ユマシュワって人は凄いよ。何十年も前に人がロケットに行く方法を具体的にここまで考えられるなんて」
エドワルト・ユマシュワ。旧皇国時代に生まれ、ロケットの研究に生涯を尽くした科学者。
皇国時代はあまりにも先進的な考えから不遇な扱いを受けていたが、革命後評価された。現共和国のロケット開発は、彼の理論を元に進められている。まさしく、タチアナが予測した彼も、
「旧皇国……ロシュフェルトは旧態依然とした国だったから、彼の考えが受け入られなかったのでしょうね……。それはそうと、マルスさん、相変わらず自分の好きなことになると、凄い集中力です。昔もそうでしたね」
「……ありがとう。昔もこうして二人で一緒に勉強したね」
「……ま、マイラちゃんと遊ばせてもらっているお返しです。あの子といると、とても癒されますから」
エヴァはほぅと顔を赤らめる。彼女は大の動物好きだったのだ。
俺の前で、昔のような顔を見せるようになったエヴァ。
それもマイラのおかげだ。彼女は今や候補生の間でマスコットキャラ扱いになっていた。俺以外からもおやつをもらったり、毛を撫でてもらっている可愛がりぶり。
「あの……マルスさんとマイラちゃんって話せるんですか?」
「あ……ほら、あの子、頭が良いから俺の言っていることが分かるんだと思うよ」
エヴァの質問に、俺は適当にはぐらかす。
他の候補生には、俺がマイラを少女として見えており、意思疎通が可能なのは話していない。しかし、エヴァのように勘の良い者は気づいているだろう。
「そういえばさ、君たちがマイラを見たのはあの時が初めてじゃないんだよね」
「ええ。候補生試験の時です。あの子の写真を見せられて、君にはこれが何に見える? と、問われました。白い狼が何に関係するのか全く分かりませんでしたが」
やはり、他の候補生にはマイラが見えていない。
「マルスさんとあの子の関係に余計な詮索はしませんが、人間だったらきっとカ・ワ・イ・イのでしょうね。そんな子と一つの部屋で共に過ごすなんて……不純です」
エヴァはカワイイを強調し、ジト目で俺を見た。
「……ハハ、さすがは委員長、風紀には厳しいね」
ああ、何だかエヴァとこんなたあいもない話をするのが懐かしくて楽しい。
「ふふ……」
彼女も同じことを思っているのか、微笑する。
もしも俺が養成校を辞めず、あの時の約束通り別の場所で再会していたら――と、違う可能性を思う。
不意に、エヴァは俺の目を見つめ、顔を近づけた。
「――マルスさんは、どうして突然、私の前からいなくなったんですか? あなたのお父様が原因なのは察しています。でも、そうなら私に言って欲しかった」
「ごめん。あの時、俺は……」
今なら話せるかもしれない。俺がなぜ彼女の元を去ったのか。
が、突然館内放送が鳴る。
『クズネフォワ候補生、お電話が入っています。至急管理センターにお越しください』
「……っ!」
その連絡でエヴァははっとし、立ち上がった。
「エヴァ?」
「ごめんなさい、私、行かないと!」
彼女は走り、机の上もそのままに行ってしまった。
何かあったのは間違いない。
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