47.新しい盤上にて



 ガタンと突き上げるような衝撃に、目が開いた。



「起きたか。気分はどうだ?」



 正面に座るお祖父様の姿と声に、寝起きの頭で状況を把握する。

 ああ、そうだった。私、お祖父様の私邸でしばらく暮らすことになって、今は移動の馬車の中なんだった。

 昨日はあの後なかなか寝つけず、ようやく眠れたと思ったら、秋口から頻繁に見るようになった例の夢のせいで起こされて。それを何度か繰り返すうちに朝が来てしまい、結局ほとんど眠れなかった。

 おかげで酔い止めの薬を飲んでもほとんど効かず、家出二日目にして超絶グロッキー。宿を出てからはほとんど気絶するように寝ていたんだった。



「あんまり変わらないです……。今、どの辺りですか?」


「ちょうど屋敷のある街に入ったところだ。あと十分もすれば着くぞ」


「じゅっぷん……」



 どうしよう、今の私にとってはすごく長く感じる。



「窓開けてもいいですか?」


「ああ、少し外の空気を吸った方がいいだろう」



 起き上がれば毛玉が定位置である肩によじ登ってくる。私は小さな友人が落ちないよう注意しながら、お祖父様が開けてくれた窓から外を見た。

 すると目に飛び込んだ光景に、気分の悪さが吹っ飛んだ。



「うわぁ!」



 高台を走る馬車から見えたのは、茶色がかったオレンジ色の瓦屋根で統一された街並み。奥には湖と見間違えそうな大河が冬の冴えた光を浴びて輝き、その街側の岸辺には、いくつもの木造船が停められているではないか。

 ここからでも分かる太い三本の柱はマスト。停泊中なので帆は畳まれているけれど、帆船のようだ。



「お祖父様!船!なんの船ですか?」


「あれは商船だ。このエルブは商売の街。天気のいい日は毎日ああやって、商船が海から川を遡って人と物が運ばれてくるぞ」



 川を下った先。この国の西の端にある海辺の街が、交易の玄関になっている。人も物もそこで降ろされ、馬車を使い陸路で国中に運ばれていく。

 けれど陸路での長距離移動は時間もかかるし、危険も伴う。そこで港街で大型船から中型船に荷を積み換え、河川舟運で内陸であるこのエバーグリーン侯爵領エルブの街まで運ばれるようになった。

 お祖父様は船の航路を教えるように、下流から上流へ指差しながら教えてくれた。

 要するに、この街は物流の中継地ということのようだ。



「帆船で遡るのはこのあたりまでが限界でな。ここまで運ばれた荷は、馬車に積み替えて王都などに運ばれていく。もちろん逆に、ここに集められたもんが船で地方や海外に運ばれてもいくぞ」


「限界って……この街は帆船で川を上れるぐらい、強い風が吹くんですか?」



 帆船の動力は風。川幅は十分足りているようだけど、中型帆船で遡上できるほどの風がこの内陸で吹くとは思えない。まさか櫂を漕ぐ人力の限界という意味かと思い、恐ろしくなりながら尋ねる。

 するとお祖父様は「船の仕組みを知っていたのか」と感心しながらも、違うと首を振った。



「ここへ集まる船には、ちぃとばかし専用の細工がしてある。その効果で、櫂を漕がんでも上がってこられるわけだ」


「専用の細工?」


「ふむ。ミシェルには口で説明するより、直接見せた方が良さそうだな。明日か明後日にでも街へ降りて見に行くか」


「いいの!?」



 お祖父様は当然だとうなずいた。



「そのために、ルアンとバッカスを護衛につけたんだ。あの二人と一緒であれば、儂がいない時も好きに街へ出るといい」


「やった!────ん?」



 今までの生活とは真逆の待遇に飛び上がって喜ぶ。しかしその言葉を理解しきった瞬間、違和感を覚えた。



「……お祖父様」


「どうした?」


「ルアンさんとバッカスさんは、この移動中だけの護衛じゃあないんですか?」



 いぶかしむ私に、お祖父様はゆっくり三つ数えられる間を置いて、



「いいや。ミシェルが儂のもとで生活する間、護衛としてあいつらも屋敷で暮らすぞ」


「なっ?!聞いてない!」


「お?そうだったか?すまん、すまん」


「すまんで済んだら騎士はいらないんですよぉ……」



 ああ、すっかり忘れていた……。

 この人は以前、なんの事前連絡もなく私を遠乗りに連れ出した前科がある。

 報告、連絡、相談。社会人の鉄則であるホウレンソウをやらない人なんだった。しかもそれはわざとだからタチが悪い。

 私は豪快に笑うお祖父様を前に、こめかみを揉んでため息をついた。



「この話はもうすでに二人に言ってある。屋敷についたら、改めて紹介しよう」


「つまり私だけが知らなかったんですね」



 もう一度ハアとため息をついていれば、窓の外に屋敷が見え、近づくにつれて馬車は速度を落としてその正面に停まった。



「おかえりなさいませ、旦那様」



 出迎えの使用人を代表するように、お祖父様と同じ年ぐらいの老執事が言う。その横で頭を下げる年配の女性使用人の顔を見て、あっ、と思った。

 目が合えば、その人は懐かしむように細めた目で私を見て微笑む。



「お待ちしておりました、ミシェル様。わたくしは当屋敷の家政婦を務めております、パメラと申します」


「もしかしてデボラばあやの妹さん?」


「左様でございます。ミシェル様のお話は、姉からの手紙で聞き及んでおります」


「やっぱり!しばらくの間、お世話になります」



 お祖父様の私邸にはばあやの妹がいると、お母様が言っていた。

 パメラと名乗ったその人は全体的にはそっくりと言えないけれど、背格好と優しい栗色の瞳、笑った時の目尻のシワはばあやとまったく同じだった。



「慣れない移動でお疲れでしょう。どうぞ中へ」



 荷物は使用人達が下ろし、私の愛馬であるユーゴもここの馬丁が馬小屋へ連れていってくれるらしい。ユーゴは最近は比較的大人しいが気難しい性格だからと忠告し、私はパメラの案内で屋敷へと入った。



「わっ……」



 初めて来たお祖父様の私邸。その内観に、小さな驚きの声がこぼれ出た。

 まず目に入るのは、階段を上った先の大きな窓。そこから差し込む陽の光が、白い壁や深紅の絨毯、木目を生かした重厚なこげ茶の柱と手すりを照らしている。



「私、今日からここに住むんですね」



 私は元引きこもり令嬢なので、この世界の住宅事情について詳しくない。

 けれど唯一分かる公爵邸を基準に考えれば、お祖父様の私邸は小さく、簡素だった。二階建てで、玄関ホールを入ってすぐの階段など基本的に構造は公爵邸と同じだけど、天井のシャンデリア以外は無駄な装飾がない落ち着いたデザインだ。



「馴染めそうか?」


「はい!落ち着く屋敷ですね」


「それならば良かった」



 私がうなづけば、お祖父様もうなづいた。



「慣れん移動で疲れただろう。まずは部屋で休むといい。パメラ、案内を」


「畏まりました。ミシェル様、お部屋へご案内いたします」



 お祖父様と別れ、パメラの案内で階段を上がり廊下を進む。

 キョロキョロと見回してみるけれど、玄関ホール同様、無駄な装飾はないけれど地味ではない。上質な落ち着いた空気の屋敷だ。



「ミシェル様のお部屋はこちらになります」



 案内されたのは、窓の大きな明るい部屋だった。

 家具はやっぱり重厚な色とデザインの木製。でもカーテンやクッションは子どもである私に合わせたのか、華やかなレモン色。

 窓に駆け寄れば、馬車から見えたのと同じ光景が見えた。窓を開けると秋と冬の境の風が入り込み、髪が揺れる。



「いい部屋だね」


「お気に召しましたか?」


「明るいし、街の様子がよく見えるから、すっごく気に入った!」



 思ったままを言うと、パメラは目を大きく開いた。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、驚いたように私を見る。

 どうしたのかと思っていれば、その顔は到着時に見た、過去を懐かしむものへと変わった。



「ふふ、奥様もそうおっしゃって、このお部屋をいたく気に入っておいででした」


「奥様って、お祖母様?」


「ええ。元は客室であったこちらを、今のミシェル様と同じことをおっしゃって、ご自分のものにしてしまったのですよ」


「客室を乗っ取ったの?」


「ええ」



 パメラはくすくすと笑い、「日中はよくあそこに椅子を置いて、読書や刺繍をしておいででした」と一つの窓の近くを指差す。



「ねえ、お祖母様ってどんな方だったの?」



 お祖母様について、私はほとんど知らない。

 知っているのはマリエッタという名前と、私の生まれる少し前に亡くなっているということ。あとは瞳の色が空色ということのみ。

 でも瞳の色は、誰かから聞いて知っていたわけではない。お母様の瞳が空色なのに、その父親であるお祖父様が深緑だから、きっとお母様はお祖母様譲りの色なんだろうなぁと察していただけだ。



「美しく聡明で、常に笑みを浮かべていて。そしてとても、とてもとても肝の据わった、心が鋼でできていると評される方でした」


「は、鋼?!」


「ええ。旦那様の留守を狙い侯爵家へ踏み入った賊を、笑いながら返り討ちにして騎士団詰所に突き出すぐらいに」


「ンン????」



 混乱する私を差し置いて、パメラはのほほんとした態度で「ああ、不貞一歩手前の行為をした旦那様を叩きのめし、縄で縛って一昼夜木に吊るしたこともありましたね」と言う。

 ちょっと待って理解が追いつかない。



「木に吊るす……。というかお祖父様、不貞行為って……」


「その件は奥様の誤解でしたが、誤解を招いた旦那様も旦那様です」



 おかしい。私は今、名門侯爵家の奥様にして、社交界の華と評される美女の産みの親について質問したはずだ。

 間違っても脳筋ゴリラの話題を聞いたわけではない。


 ────いや、ちょっと待てよ?


 社交界の華と評される我が母は、ブチギレた時に何をした?

 風の魔力を暴発させて食堂の窓を粉砕し、執務室の半壊させなかったか?

 話し合いは、肉体言語ではなかったか?



「……ねぇ、パメラ。もしかして私のお母様は、お祖母様似?」


「ええ、ご幼少の頃より見た目も中身も奥様によく似ていらっしゃいましたよ」



 や、やっぱりかーーーーーーッ!!

 お祖父様はおおらかを通り越した大雑把な性格。見た目と同様に器も大きくて、怒った姿を見たことがない。

 そんな人の娘なのに、どうしてお母様はああなんだ。その孫なのに、どうしてお姉様はああなんだ。

 取り扱い要注意な悪役令嬢遺伝子の元はどこかと思っていたら、どうやらお祖母様だったようだ。

 ああ、めまいがするぅ……。



「ミシェル様も、奥様に似ていらっしゃいますよ」


「えっ私も?!」



 髪は銀、瞳は褪せた黄緑。顔のパーツですらお母様と似ていないんだ、お祖母様と似ているとは思えない。



「先ほどのご発言も同じですが、奥様のお髪は豊かに波打つ金糸。風にふわりと揺れる様は見事なものでした」


「波打つ……」


「ご本人はまとまらないくせ毛だと嫌っておいででしたが、旦那様も、私も、とても美しく愛おしく思っておりました」



 同じだ。

 私もこの好き勝手にうねって、寝起きや湿気の多い日にはとんでもないことになるくせ毛が嫌いだ。

 でもお母様とお姉様がふわふわで可愛いと言い、ニナやばあや、他の侍女達は優しくクシで梳かして結ってくれた。

 今は銀だけど、もし本当に生まれた時は金だったのなら────全部が、同じだ。



「……そっか、私の髪、お祖母様からもらったものだったんだ」



 お互いに、一度も会うことのできなかったお祖母様。もらったのは、マリーという名前だけだと思っていた。

 でもそれだけじゃあなかったんだ。



「そうだったんだね」



 初めて知った事実を噛み締め飲み込めば、嫌いだったくせ毛が、急に大事なものに思えてきた。



「お祖母様の絵ってある?見てみたい」


「それでしたらサロンに肖像画が」


「サロンはどこ?」


「後ほどご案内いたします」


「今がいいの。自分のお祖母様のお顔を知らないなんて、絶対におかしいでしょう?」



 きゅるるんと、久しぶりにあざとく『幼気なミシェルちゃん十歳』を演じる。

 だがしかし、パメラは頑として譲らない。「いけません」という声色と目つきは、ばあやと全く同じだった。

 チッ、並みの使用人ならこれでうなずくのに。さすがはばあやの妹だ。



「ミシェル様にはまず、荷解きの指示をしていただかねばなりません」



 言いながらパメラは部屋の扉を開ける。すると廊下には、大勢の使用人が両手にカバンを持って入室の許可を待っていた。

 そのカバンの数は、およそ十歳の子どもが祖父の家にお泊まりする量ではない。



「そ、そうだった……」



 過保護なお母様やお姉様、使用人達が、私の荷物を荷馬車いっぱいにしてしまったんだった……。

 どんどん運び込まれ、高く積み上がっていくカバン。口元を引きつらせながらそれを眺めれば、パメラが「夕食の前には終わらせましょうね」と追い討ちをかける。

 ちらりと時計を見ると現在の時刻は十六時四十二分だ。



「この家の夕食の時間は……?」


「十八時半となっております」


「早くない?」


「旦那様の就寝時間が二十二時ですので」


「老人時間ッ!!」




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