46.駒落ちは適応外


「なんだなんだ、三人そろって酒を奪いよって!」



 テーブルいっぱいの料理。どれから食べようかと目移りする私の横で、お祖父様が不満げに吠えた。



「止めなければ際限なく飲まれるでしょう」


「俺ら二人で酔い潰れた団長を宿まで運ぶのは無理っす」


「ミシェルが一緒でそんなことをするわけがなかろう」



 どうだかな〜。入店して三分と経たないうちに酒瓶を持っていた人の言葉は、あまりあてにできない。

 そう思いながら、とりあえず目の前の大皿からお肉を数切れ小皿にとって食べた。

 うん、おいしい。それも大衆酒場というだけあって、酒の肴になりそうなちょっと濃いめの味付けだ。

 元日本人的には白米が欲しいけど、残念ながらここはヨーロッパ風の異世界。そんなものはない。私は腕を伸ばしてパンを取り、一口サイズにちぎって食べた。



「お祖父様、そこのサラダ取ってください」


「ん?これか?というかミシェル、お前さん馴染みすぎじゃないか?!」



 お祖父様は私の前にサラダボウルを置きながら、「初めてだよな?!」と今さらなことを言った。



「初めてですよ。当たり前じゃあないですか」


「にしては、ためらいがないと言うか……。ジャンですら戸惑ってたぞ?」


「お兄様もこういうお店に連れていったことがあるんですね。じゃあお姉様も?」


「いいや、ソフィアはさすがにないな。あの子は良くも悪くも貴族らしい性格だ」


「たしかにお姉様にこの空間はムリですね。あ、すみませーん。お水くださーい」


「はーい、ただいまー!」


「だから馴染みすぎだ!」



 なぜだと言いつつ、お祖父様は水を補充しに来てくれたお姉さんに酒を注文した。ちゃっかりしている。



「周りの様子を見れば、どうすればいいか分かりますよ」


「そりゃあそうだがなぁ……」


「それにホラ、郷に入っては郷に従えですよ」



 店内の雰囲気、特に周囲の酔っ払いによるどんちゃん騒ぎは、たしかに普通の貴族令嬢にとっては異空間だろう。

 でも私には前世の記憶がある。

 このどんちゃん騒ぎっぷりは、忘年会シーズンの居酒屋とそれとまったく同じ。驚くどころか「あ、乙女ゲームの世界にも、突然泣いたり歌ったり服脱ぎだしたりする酔っ払いっているんだ」とちょっと感心しつつホッとしているぐらいだった。

 私はどんちゃん騒ぎを見るついでに、周囲に意識を向ける。



「ねぇお祖父様。ここにいる人、みんなこの街の……パールグレイの領民ですか?」


「全員ではないな。ここは王都へ繋がる街道の店だ、儂らのように遠出の途中で立ち寄った者もいるだろう」


「そうですか」



 酔って気が大きくなったらしい笑い声に混ざって、今日はどうだった、明日はどこで作業すると、仕事について話す声が聞こえてくる。さらに耳をすませば、「嵐が来なけりゃあ、もっと収穫できたのにな」と嘆きの声が聞こえた。

 私は領主の娘なのに、この土地に生きる人たちの声を聞くのは初めてだ。



「お祖父様」


「いかんぞ」


「ちょっとそのへんの人とおしゃべりしてきますね!」


「ダメだと言って、あっ、これ待たんか!せめてルアンを連れていけ!」


「ひとりでいい!」



 伸びてきた大きな手をサッとかわし、私は小柄を利用してごった返す店内を移動した。店内隅のカウンター席へと座れば、まるでバーテンダーのようにグラスを吹いていた小太りのおじさんと目が合う。



「どうしたお嬢ちゃん、なんか注文か?」


「ううん。あっちは酔っ払いばっかでうるさいから逃げてきたの」


「そいつは悪かったな。今日は嵐でぶっ壊れた橋が直ったもんで、どいつもこいつも浮かれてんだ」



 言いながらおじさんはグラスに紫色の液体を注ぎ、私の前に置いた。視線で何かと問えば「サービス。酔っ払いどもの詫びだよ」と肩をすくめる。

 グラスの中身は、酔っ払いにブドウ酒だとごまかす用のブドウジュースらしい。

 前世の飲み会と同じ。泥酔した人に日本酒と水を入れ換えて渡し、酔いをセーブさせるのと同じ手口だ。



「嵐ってこの前の?やっぱりこの辺りでもいろいろあったの?」


「そんなこと聞くなんて……よく見りゃこの辺の子じゃないな。どっから来たんだ?」


「もうちょっと北のほう」



 公爵家の屋敷はここから北へ行ったところにあるのだから、決して嘘ではない。



「それで嵐の被害ってどうだったの?」


「ひでぇ雨と風でな、川は溢れるわ、橋は壊れるわ、収穫直前だった畑は水浸しになるわで散々なもんさ。まあ、他所に比べりゃあ俺らは恵まれてる」


「恵まれてる?」


「他所じゃあ領主が仕事しねぇで、街や村がどうなってようと知らん顔ってこともあるらしい。その点ここの領主は真っ当だ」



 私は黙って、ブドウジュースに口をつけた。



「嵐が去ったすぐ後に材木屋に連絡して、ここいらの男を雇って橋を直す用意をしてくれた。畑がダメになっても、こうやって仕事をもらえりゃあ家族を食わせてやれる」



 今ここにいるのはそういう連中だ。おじさんは、中身の減ったグラスにブドウジュースを注ぎながら言った。

 その目は私から外れ、テーブルに上がって歌い始めた酔っ払い達へと向かう。



「働いた後の酒はうまいつって、うちに集まる。おかげでうちも売り上げアップだ」


「……そっか」



 満足そうなおじさんに、そう返すことしかできなかった。

 その後もグラスが空になるまでの間、おじさんと……パールグレイ家の治める土地で生きる人の言葉を聞いた。

 ここは王都へ続く街道のある宿場町。だからいろいろな人が訪れる。そしてそのほとんどの人が、いい土地だと言って去っていくと。それが誇らしい、自分が何をやったわけではないけれど誇らしいと。でも欲を言えば、もう少し税を安くしてほしいなと。

 この領で採れたブドウで作ったジュースを飲みながら、明日の朝この土地を離れる私は聞いた。


 その後宿に戻り、与えられた一人部屋からすっかり暗くなった街の様子を眺めた。

 寝支度はとっくに整えたけれど、眠れる気がしなかったのだ。

 窓辺のいすに腰掛け、カバンの中に入れていた角砂糖を毛玉に渡す。



「毛玉、おじさんの話の途中で寝てたでしょ」


「ブッ!」


「嘘だぁ〜。自分の食べられそうなものがないって分かったら、すぐに飽きてたじゃん」



 一本のろうそくにしか火は灯していないけれど、毛玉が砂糖をかじる姿はよく見える。

 たぶん今夜の月は真ん丸で、遮る雲がないからだろう。月明かりだけで読書ができてしまいそうなぐらいだ。



「この宿、貴族向けの宿なんだって。看板の紋章は、領主の……パールグレイ公爵公認の証らしいよ」


「プピ?」


「ほら、やっぱり聞いてなかった。おじさんが教えてくれたんだよ」


「ブゥン……」



 パールグレイ家から離れるために屋敷を出た。

 出ればもうその存在を考えることはないと、その影を見ることはないと思ったのに。

 結局泊まるのはパールグレイ家と関係する場所だし、その話題を耳にする。これではなんの意味もない。


 そもそもこの家出に、いったいどんな意味があるんだろう。

 なにが変わるっていうんだろう。

 割れてしまった鏡は、破片を集めて繋ぎ合わせたところで映る姿は歪。二度と同じようには映らないのだ。

 なにをしたって意味がない。

 だったら見知らぬ土地に行くのはやめて、慣れ親しんだ家で、お母様やお姉様といった今の私を愛してくれる人と一緒にいるべきなのではないだろうか。



「……これって、ホームシックってやつかな」



 青白い月を見上げて小さく笑った────その時だった。


 ろうそくの火が、消えた。


 窓辺だけど隙間風はない。そもそも今夜は風など吹いていない。

 なんでと驚き、火の消えたろうそくを見る。その一瞬の驚きが、気付くのを遅らせた。



「……うっ」



 身動きが取れなくなる重圧感。

 冷たい手に足首を掴まれたような寒気。

 王城でのお茶会の場に現れ、誘拐犯から逃げている時にも現れた、あの存在が振り返った先にいた。

 しかしその姿は、少し変化していた。

 以前は無色透明の、まさに真夏に見る陽炎のような曖昧なものだった。けれど今目の前にいるそれは形がある。

 黒いもや。よくないものを燃やすと出る黒煙を集めたような、どこからどこまでがそいつなのかが分かるようになっていたのだ。


 姿が変わっていても、あの存在だと分かる。

 この少しでも気を許したら引きずり込まれそうな不気味さを、そういろいろなものに感じるわけがない。



「……っ」



 どうしてこれがここにいるんだ。

 あの誘拐事件以降、王都の屋敷にいる間も、領地に戻ってきてからも、一度も姿を見ていなかったのに。どうしてよりにもよって、ひとりでいる時に現れたんだ。

 生唾を飲み込み様子をうかがっていれば、月明かりに照らされたもやが揺れ、音が届いた。

 低く、重いものを引きずるような音。それは徐々にうめき声のようになり、



『……ァエ、オ……カエ、ロ……カエロウ……』



 帰ろうと、言葉になった。



「うわっ、しゃべった」



 キェェェアァァァシャベッタァァァ!、なんてボケをかます余裕すらなく。私はただただシンプルに驚いた。

 反応を、してしまった。



『──ア゛』


「──あっ」


『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!』


「あああああ待って待って待って!違う!違うから!今のなし!」



 ボワッと膨れ上がったもやに、とっさに両手を突き出し落ち着けと訴える。

 反応しない方がいいと本能的に判断していたけれど、こうなってはもう無理だ。

 向こうも、私は自分の存在を見聞きできると気付いてしまっている。



『アア……ガ、エ、ロオ、カエロ、カエロウカエロウ』


「め、めっちゃしゃべるやん……」



 まるでそれしか言葉を知らないように、帰ろうと繰り返す。

 その声をよく聞けば、声は複数ある。低く唸るようなものもあれば、甲高いものや囁くようなか細いものもあった。

 たぶんこれは、ひとつだけど、ひとりではない。

 誘い、願い、乞う。優しく手招くような声に、目玉の裏が痛んだ。



『カエロォ、カ、エロウ』


「やだ」



 少し声が震えてしまった。

 大きく息を吸って、今度ははっきりと言う。



「帰らない。私は、自分で家を出たの」



 お祖父様が、出る手はず整えてくれた。

 お母様が、行ってこいと背中を押してくれた。

 お姉様だってさんざん嫌がったけど、結局はそれがミシェルのためになるのならと頷いてくれた。

 帰りを待つと、留守を預かると言ってくれた人がいる。

 なにより私自身がこうすることを望んだんだ。やっぱやーめた、ではお話にならない。



「きみ達とは、一緒にいかない」



 首を振り、拒絶する。

 するともやは膨れる前の大きさに戻り、ぐにゃりぐにゃりと形を変える。まるで悩んでいるようだった。

 私はもう一度「帰らない」と念を押した。



『……アァ、ア゛……』



 最後に小さく呻くと、もやは月明かりの届かない部屋の角の闇に溶け込むように消えた。

 重圧と寒気から解放されて、身体から力が抜ける。椅子の背に深くもたれれば、髪の中に隠れていた毛玉が「ブギュウ」と悲鳴をあげた。



「あ、ごめんごめん」


「プゥン」



 押しつぶされて不満げな毛玉を撫で、もう一方の手で痛んだ目元をさする。目というより、頭の奥深くが痛かった。



「あれ、なにか分かる?」



 問えば、少しの間の後に毛玉は否定の鳴き声をあげる。

 私はそんな毛玉を椅子の肘置きに置くと、立ち上がり、備え付けのマッチを擦ってろうそくに火をつけた。今度は一本ではなく、燭台に刺さった三本すべてに。

 それを持って、もやの消えた部屋の隅へと近づく。照らしてみても見えるのはクリーム色の壁紙だけだった。



「いない……」



 いや、実はまだいましたぁ〜なんていうのも嫌だけど。

 念のため部屋中を照らして歩き、どこにも異常がないと分かってようやくほっと息をつくことができた。

 燭台をテーブルに置き、ベッドに倒れこむ。



「帰ろう、ね」



 ファンタジー系のお話で、ああいうこの世のものじゃない存在が子どもを攫うというのは定番だ。前世でも神隠しだのアブダクションだのといった、言い伝えや都市伝説があった。

 ここは魔法もあるし、毛玉みたいな普通ではない生き物もいるファンタジー世界なのだから、本当に攫われる可能性は高いだろう。

 でもあのタイミングで現れるなんて、まるで、私の願いを叶えるために現れたみたいだ。



「考えすぎかな」



 仮にそうだったとしても、今の私の願いは帰ることじゃあない。

 あれがどんな存在だったとしても、その言葉にうなずくことは、絶対にない。

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