44.誰にとってのツークツワンク


 この家を……パールグレイ家の屋敷を出る。

 夏にも家を出たけれど、あれは社交期という限定された期間のみのことで、行き先だって王都にあるパールグレイ家所有の屋敷だ。

 土地が変わっても、建物が変わっても、パールグレイ家の屋敷であることに変わりはなかった。住むのも四人だった。

 でも今度は違う。一人で、パールグレイ家以外の屋敷へ行って暮らすということだ。



「……その提案は、誰からですか?」


「儂だ。ミシェルは夏に王都へ行ったのを最後に、一度も遠出をしていないだろう。こもりきりでは気も滅入る。その憂さ晴らしとして、しばらくどうだ?」



 こもりきりでは気が滅入る?

 あいにくこっちは十年間、遠出どころか庭すら出ず、屋敷の中だけで生きてきた本物の引きこもりだ。その程度で滅入ってしまうような軟弱なメンタルはしていない。

 身体は軟弱だか、心は強固なのが私だ。

 だからお祖父様の心配も提案もありがたいけれど、私は大丈夫。

 なにより私には、エバーグリーン邸に行くことはできない理由がある。



「行かない……いえ、行けません。エバーグリーンのお屋敷には行かないと、お兄様と約束しているんです」



 お祖父様と暮らすということは、エバーグリーン邸で暮らすということだ。

 この提案を飲めば、ジャンお兄様との約束を破ることになってしまう。それはしたくない。



「ジャンと?いつそんなことを……」



 言いかけて、お祖父様は「いや、そこはいいか」と言い改めた。



「儂の言い方が悪かった。エバーグリーンの本邸ではなく、儂の私邸にという意味だ」


「お祖父様の、私邸?」


「領政はステファンに任せて、儂は普段王都にいることは知っているだろう。だが領に戻ることもあってな。その時に使う屋敷が、うちの領の西にある」



 お兄様との約束は、エバーグリーン邸に行かないというもの。そのエバーグリーン邸というのは、ジャンお兄様が暮らす場所という意味だった。

 しかしお祖父様に提案されているのは、それとは別のお祖父様個人所有の屋敷。

 ということは、提案を飲んでも、約束を破ることにはならない……のかな?



「でも、それじゃあ……」



 約束の件が解消しても、すぐに飲むことはできない。

 頭とのどに、いろいろなものが引っかかっている。

 何かが、私をこの家に繋ぎとめようとする。



「お母様は、この話を知っているんですか?」


「ああ」


「なんて?」


「提案した瞬間に反対した。が、最終的には受け入れた。ミシェルが行くと言うのであれば、と言ってな」


「そうですか」



 過保護なお母様のことだから反対するのは当然。簡単に想像できる。

 でも結局は折れて、私のやりたいようにしていいと言うのは、乗馬と剣術の稽古についての話し合いの時と同じだ。

 最近のお母様は、母親として心配しつつも、私の意思を尊重してくれるようになっている。

 ────お母様は変わり始めているのに、どうして……。



「お母様が受け入れて、お祖父様がこうやって私に話したってことは、当然そういうことですよね」



 私に十年間の引きこもり生活を強いたあの人も、お祖父様の提案を飲んだということだ。

 長年引きこもりをやらせておいて、一言出せと言ったらあっさり庭に出る許可を出して。誘拐事件の主犯が捕まっていないから外出は控えさせると言っておいて、別の場所で暮らすことをあっさり受け入れる。

 ここまで言動に一貫性がないと、いっそ二重人格なのかと疑ってしまう。

 あの人はいったい何がしたいんだ。私をどうしたいんだ。



「ミシェル。あいつに少し、考える時間を与えてやってはくれんか?」


「考える?何を?だいたい考えるために距離を置けと言うのなら、あの人がここを出ればいいじゃあないですか」



 もともとあの人は、一年の半分ぐらいは王都の屋敷で生活している。

 だったら今回もそうすればいい。

 どうして私が出ていかなければならないんだ。



「そうだな、一理ある。だがお前もこの家にいる限り、どうしてもアロイスの影を見ることになる。今の様子を見るに、それではお前も疲れてしまうだろう」



 お祖父様は言いながら、本棚をちらりと見た。

 そこに詰まっている数多くの本は、ほぼ全てがあの人から与えられたものだ。

 それ以外にも、私専用の温室はあの人が用意したものだし、書庫に行けば危ないから踏み台やはしごを使うなと言われたことを思い出す。

 仮にあの人が王都へ行っても、食堂室にはあの人の椅子があるし、廊下を歩けば私室や執務室の前を通ることになる。

 常にその面影がちらつく。

 お祖父様の言い分は、もっともだ。

 私にとって、この家にとって、どうすることが最善なのか。答えはひとつしかない。



「……お母様は納得しても、お姉様を納得させるのは大変そうですね。どう説明しましょう」


「来るのか?」


「はい。出ます、この家を」



 さっきお祖父様は、しばらくと言った。

 そのしばらくとは、具体的にはいつまでなのか。その間の生活や、その後のこと。様々なことがあやふやで、そこについて何とも思わないわけじゃあない。

 しかし私は無数の引っかかりに、目をつむった。



「馬に乗れるようになったら、遠出をして、いろいろなものを見たいと思っていたんです。だから、ちょうどいいですよ。────ひとりで出ます」



 笑えば、お祖父様は無言で私の頭を撫でてから席を立つ。



「ソフィアには儂から話しておこう」



 だから心配するなとの言葉を最後に、私はまた部屋に一人となってしまった。



「ピィ」



 あ、違った。一人と一匹だ。

 ずっとソファーの肘置きにいた毛玉に手を差し出せば、慣れた様子で肩まで上がってくる。



「毛玉はどうする?残ってもいいんだよ」


「ブッ!」


「わかった。大丈夫、置いていったりしないよ」



 頬を寄せれば、毛玉も力いっぱいすり寄ってきた。

 一応確認したけれど、この子を置き去りにするつもりは最初からない。ただこの子にも好きな方を選ばせたい、自由でいさせてあげたいから聞いてみただけだ。



「ユーゴも連れていけるように、あとでお祖父様にお願いしなきゃね」


「ピッ!」



 そのまましばらくぼんやりとしていれば、お茶とケーキを持ちにいっていたニナが戻ってきた。

 表情は暗いし、ティーワゴンを押す手は力んでいる。



「もう聞いたの?」


「はい……」



 ただお茶を用意するには時間がかかっているから、そんなことだろうとは思っていた。

 ニナは唯一の私専属の侍女だ。ばあや辺りが真っ先に伝えたんだろう。



「私の勘じゃあ、エリック王子のくる週末の前には出ることになると思う。急いで荷造りしないとね」


「お嬢様。私もご一緒します」


「わざわざ言わなくたって、荷造りは手伝ってもらうつもりだったよ?」


「違います!」



 初めて聞くニナの大声に、私はぎょっとし、肩の毛玉もビクッと跳ね上がった。



「私もお嬢様と共に、大旦那様のお屋敷へ行きます」


「……ニナは、この家の使用人でしょう」


「私の主人はあなただと、前にも申し上げたはずです」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、雇ってるのは私じゃあないよ」



 ですが、と食い下がるニナに首を振る。



「それにニナには、留守の間、この部屋と温室を任せたいの。まあ部屋の掃除ぐらいだったら誰がやってくれてもいいけど、でも、温室は困る」



 これからどんどん寒くなるから、温室の管理は難しくなる。

 管理が楽な夏の社交期中は庭師達に預けていたけれど、彼らも冬になれば植木の手入れだけでなく雪かきや雪下ろしの仕事が増える。そこにさらに仕事を増やすのは申し訳ない。

 それにニナはこれまで、私の行動を一番近くで見て、時には一緒に土いじりをしてきた。あの温室について、私の次に詳しいと言っていいだろう。



「あそこの植物は、ミシェルわたしがこの屋敷にいた時間が形になったものだから。あれがダメになったら、たぶん……」



 続く言葉は、飲み込んだ。



「だからニナに任せたいの」


「そのような、言い方をされては……」


「卑怯な言い方でごめんね。でも、私の帰る場所は、ここだから」



 家を出るのは『しばらく』の間。

 任せるのは『留守』の間。

 いつかは、この家に戻ってくるつもりだ。



「かしこまりました。お嬢様がいつ戻られても大丈夫なよう、常に最善の状態に整えておきます」



 少しうつむき黙ってから、ニナは顔を上げてそう言った。

 ちょうど飲み頃のお茶と、料理長が私のために作ってくれたというクリのケーキを、私の前に置いてくれる。

 いつだって優しく笑う彼女にこうしてもらうのは、残り数回。この時間が戻るのは、いつなのか。

 少しの寂しさを感じ、でも絶対に戻ると決めながら。私はそっとお茶を飲み、丁寧にケーキを食べた。



「そろそろ来る頃かな」


「そうですね」



 私は自分の座るソファーに、クッションを集める。

 ニナも空になったカップと皿を、ティーワゴンに避難させる。

 そして準備を整え終えると、ちょうど廊下からお祖父様と侍女らしき声が聞こえてきた。

 やっぱりなと思っていれば、ノックもなしに勢いよく扉が開き、銀色の弾丸が突っ込んでくる。



「ウギャッ」



 備えてはいたけれど、やっぱり衝撃がすごい。毛玉なんてかわいそうにも、声も出せずに吹っ飛び、遠くの床に転がっている。

 私は集めておいたクッションに頭を沈めながら、押し倒してきた銀色の弾丸ことお姉様を見上げた。



「お祖父様のお話、ちゃんと最後まで聞きましたか?」


「聞かない!聞きたくないわ!」



 深い青色の両目から、ぼたぼたと大粒の涙が落ちてくる。

 昨晩から一度も泣いていない私の頬に、落ちてくる。



「どうしてミシェルが出ないと行けないの?!お父様が王都に行っていればいいじゃない!」


「あー……それ、私もお祖父様に言いましたねー」



 同じことを思うあたり、やっぱり私たちは姉妹だ。



「でも、行くのは私です。私がこの家を出て、お祖父様のところで暮らします」


「私も行く」


「エリック様はどうするんですか?週末に来るんでしょう?」


「ミ……エ、ミ、エリック様よりミシェルが大事!」



 哀れエリック王子。夏からずっと手紙でしか交流できていなかったのに、またしても選ばれず。

 でも天秤がグラグラ揺れたみたいだから、進歩はある。前だったら私だと即答していただろう。



「着る服に悩むぐらい楽しみにしていたじゃあないですか。エリック様だって、お姉様に会うのを楽しみに思っているはずですよ」


「じゃあお祖父様の屋敷で会えばいいわ」


「ええ〜」



 どうして公爵令嬢と王族が、エバーグリーン侯爵の屋敷で会うんだ。どう考えてもおかしいでしょ……。

 私は押し倒されたまま、ちらりと開けっ放しの扉の方を見た。

 そこにはお姉様付きの侍女達に混ざって、お祖父様がいる。すまん、儂にソフィアの説得は無理だった、と言いたげな顔をしていた。


 あーあ、だから言ったんだ。お姉様を納得させるのは難しいって。


 みんな、この人の愛の重さをわかっていない。

 本来のソフィア・ローラ・パールグレイは、初恋相手の婚約者の座を家の権力でもぎ取り、それを誰にも奪わせないように画策する。奪おうとする者は誰であろうと許さない、嫉妬深くて執念深い女だ。

 今はその初恋相手とは、ゲームの設定とは違う円満な関係になっている。でも私に対するこれは、エリックルートの悪役令嬢ソフィアと完全に一致していた。

 今はまだゲームの時間軸ではないとは言えど。悪役令嬢の片鱗を見せている以上、選択肢を間違えたら死人が出かねない。



「あらまあ、なんてこと。ミシェルが潰れてしまうじゃない」



 どうしたもんかと困っていると、場違いな柔らかい声が加わった。



「お母様……」



 退きなさいとお姉様に命じながら、お母様はこちらへ近づいてくる。

 その顔をよく見れば、化粧で隠しているようだけど、目元が赤かった。



「お母様!どうして、どうしてミシェルが出ないといけないの?」


「ミシェルが行くと言ったからよ」


「言い出したのはミシェルじゃないわ!」



 お姉様は私の上から退くと、お母様にすがりついて首を振る。

 なんで。どうして。いや。お母様はいいの?、と泣きじゃくる。

 私は起き上がって、濡れた顔を袖で拭いた。やっぱり私の涙は、一滴も流れていなかった。



「いや……そんなの、絶対にいや」


「もう決まったことよ。聞き分けなさい」


「だったら私も一緒に行きます!」


「ダメよ。これはミシェルを、この家から離してあげるためなの。あなたが一緒では意味がないわ」



 そうだ。私もこんな状況でなければ、「じゃあエリック様と会った次の日に、お姉様も来ればいい。先に行って待ってます」とでも言って納得させていただろう。


 でもこれは私がパールグレイ家から、あの人の影から離れるため。

 いやいやと首を振るたびに揺れる髪と、涙をこぼし続ける瞳。どちらもあの人と同じ色。顔のパーツは、お母様とよく似ている。

 お姉様の容姿は、忠実すぎるほどパールグレイ家に忠実だ。

 きっと一緒に行っては、私はお姉様を見るたびにあの人と重ねてしまうだろう。それでは意味がない。


 そしてこれは、あの人が私の影から離れるためでもある。

 自分と妻によく似た方の子までいなくなれば、あの人は否応にも子どものことを考えてしまうだろう。それでは意味がない。



「──いい加減にしてください」



 ここは、非情になるしかない。多少荒っぽくても、傷つけても、突き放すしかないのだ。



「そうやって泣いてすがれば、わがままが通るとでも思っているんですか?でもそれ、すがる相手がいるからできるんですよ」



 これ以上、この家がおかしくならないようにするには、こうするしかないんだ。



「いいですね、すがる相手がいて。私にはそんな相手はいないし、友だちも婚約者もいない。ずぅっとこの家に閉じ込められていましたからね」



 さっきのお母様のように、穏やかな口調で言う。



「決まったことにこれ以上騒ぐなら、まず先に、あなたがこの部屋から出ていってください」



 私は開けられたままの扉を、すっと左手で指差す。

 するとそこにいたお祖父様が無言であごをしゃくり、お姉様付きの侍女達に指示を出した。ソフィアを連れていけ、と。

 指示通りに侍女達はすぐに動くいた。

 お母様から引き離され廊下へと連れ出される間、お姉様はされるがまま。初めての妹からの拒絶に声も出せず、顔も青ざめていた。



「結局、あなたに嫌な役をやらせてしまったわね」



 言いながらお母様は私の隣に座り、ずっと膝の上で握っていた右手に触れた。

 握りこぶしを裏返され、そっと解きほぐされる。

 手のひらには爪の跡がついてしまっていた。



「あなたは賢いから……どうすればいいのかすぐに分かってしまうから、いつも、無理ばかりさせてしまって。本当にごめんなさい、ミシェル」



 私は首を振り、「いいの」と言った。



「もともと全部、私がいけないんです。今さら罪が一つ増えるくらい平気」


「あなたは悪くはないわ。すべて、子どもにそんなことさせてしまう親の罪。ソフィアにはあと私から話をしておくから大丈夫よ」



 爪痕のついた手を、労わるように撫でられる。

 ソフィアはミシェルが大好きだから、落ち着けば分かってくれるわ。大丈夫よ。

 囁くような声に、頷くことしかできなかった。



「ひとりで出ると言ったわね」


「はい」


「ニナが一緒ではなくて大丈夫?」


「ニナには温室を任せたいの。あそこには、前にお姉様にもらった鉢植えも置いてあるから」



 来年も花を咲かせると約束した。もしも帰ってきた時にダメになっていたら、いやだから。

 そう言えば、今度はお母様がゆっくり頷いた。



「お祖父様の屋敷には、ばあやの妹がいるわ。私が結婚する前からエバーグリーン家で働いてくれている人だから、何かあったらその人を頼りなさい」


「はい」


「寒くなるから、身体に気をつけるのよ」


「はい」


「今まで奪ってしまっていた分、自由に、いろいろなものを見てきなさい」


「はい」


「愛しているわ。私の可愛い子」



 額に押し当てられる唇を、私は静かに受け入れる。



「ちょっとだけ、いってきますね」



 そうしてわずか二日後に、家を出ることが決まった。



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