43.白と黒


 あの嵐以降、久しぶりにお祖父様が来た。おおよそ一ヶ月ぶりだ。

 しかしそのクマのように大きな身体の後ろを覗いても、従兄の姿はない。



「お兄様は?」



 思ったことを素直に言えば、可愛い末孫に歓迎されないお祖父様は苦笑。私の後ろに控えていたばあやからは「まずはご挨拶!」と小言が飛んできた。



「ジャンは風邪をひいてな。少し前から寝込んでいるんだ」


「風邪?あのお兄様が?」



 私には散々気を付けろと言っていた人が風邪ねぇ……。

 首をかしげると、お祖父様は私を抱き上げて説明してくれた。

 なんでも、あの嵐でエバーグリーン領にも被害が出た。ジャンお兄様はいずれ侯爵家を継ぐ立場として、父であるステファン叔父様のそばで事後処理について学んでいたらしい。

 すると季節の変わり目ということもあり、疲れがたたって風邪をひいてしまったそうだ。



「そういう領政のことって、もう少し大人になってから学ぶものじゃあないんですか?」


「ああ。わしも、そういうことは学院を卒業してからでいいと言ったんだが……。あいつはなかなか頑固なところがあるからな」


「ふうん」


「なんだ。やけに反応が薄いな?」


「いいえ、ちょっと前にお兄様に手紙を出したのに、返事が来なくて心配していたんです。だから風邪だなんて、ちょっと拍子抜け?心配し損?」



 あとでお見舞いの手紙を書くのでお兄様に渡してくださいと言えば、お祖父様は頷いた。



「ほらお祖父様、早く厩舎に行きましょう」


「ソフィアは一緒に行かんで良いのか?」


「乗馬を習うのは私なのに、どうしてお姉様が必要なんですか」



 お祖父様に下ろしてもらうと同時に、私はプイッとそっぽを向いた。

 すると今度はお祖父様が首を傾げ、ばあやに「ケンカでもしたのか?」と小声で問う。

 違う、私とお姉様はケンカなんてしない。確かに私は腹が立っているけれど、それはお姉様に対してではないのだ。



「実は、五日後にエリック殿下がいらっしゃる件を、ミシェルお嬢様はつい昨晩お知りになったもので」


「おいおい、殿下の件は一月ひとつきも前に決まっていただろう。誰も教えなかったのか?」


「旦那様がご自分で伝えると仰りまして。我々もそれを鵜呑みにしてしまい、お嬢様がすでにご存知とばかり……」


「なるほど。またアロイスと揉めたのか」



 そう、私はお父様に対して腹を立てているのだ。


 事の発端は昨日の夜。

 夕食を終えた私は、居間で刺繍をしていた。

 そのすぐ近くではお母様とお姉様がいて、食後のお茶を楽しむ二人の会話をBGMに、ひたすらチクチク。理想の仕上がりになりそうで、私はとても機嫌が良かった。

 そんな時に耳に入ってきたのが────



「お母様、今週末はどんな服を着たらいいと思いますか?」


「あらまあ、昨日は新しく仕立てた深い赤のものに決めたと言っていなかった?」


「だって着てみたら、なんだか違う気がして……。せっかくエリック様が来てくださるんだもの、一番似合うものが着たいんです」



 聞き間違いかと思った。むしろ聞き間違いであれと思った。

 しかし顔を上げると、お姉様は頬を赤らめていたのだ。



「え、ちょ、お姉様?今、エリック様が来るって言いました?」


「ええ。今週末にエリック様がうちにいらっしゃる話、ミシェルもお父様から聞いているでしょう」



 お姉様は心の底から嬉しい、楽しみ、という笑顔を浮かべる。

 その瞬間、ブチッと手の中で刺繍糸が切れた。



「へえ、第二王子がうちに来る。今週末に。ふうん、そうなんだ〜、へぇ〜」


「ミ、ミシェル?」


「聞いていませんね、そんなお話」



 部屋の空気が凍った。

 あの状況で氷の魔力を持つのはお姉様だけで、そもそも私は魔法が使えない。しかし間違いなく、凍りついた。

 お母様とお姉様、給仕の侍女たちが動きを止める中、私は糸の切れた刺繍をテーブルに置いて席を立つ。



「ちょっとお父様に詳しく聞いてきますね」



 どすどすと大股で執務室へ向かえば、慌ててニナが追いかけて来る。

 知らされているか確認しなかった自分が悪い。そうニナは必死に言うけれど、状況から察するにお父様かじいやが確認させなかったのだろう。雇用主もしくは上司から「もう自分が伝えたから」と言えば、部下はそれを鵜呑みにするに決まってる。

 私はニナは悪くないとだけ言って、諸悪の根元がいる執務室の扉をぶち破る勢いで開けた。当然ノックなんてしてない。



「お仕事中失礼します。今週末の件についてお話しを伺いに参りました」



 怒りが一周回り、笑いとなって顔に出る。

 にっこりと笑む私に、執務室の空気も凍った。



「たった今お姉様から聞きました。今週末、エリック様が我が家にいらっしゃるそうですね。姉の婚約者(仮)である王族が来るなんていう重要な話を、なぜ私が今の今まで知らされていないのでしょうか?理由をお聞かせ願いますか?納得のいく、正当な理由が、しっかりとあるのでしょう?」



 笑顔でまくし立てれば、部屋の温度は急降下。

 私についてきたニナも、壁際で資料の整理をしていた若い執事も、青ざめた顔で絶句していた。

 しかし執務机についていたお父様と、そのすぐ横にいたじいやの表情は変わらない。その変化のなさは、この展開を読んでいたのではなく、驚きと困惑によって機能が停止したようだった。

 先に復活したのはじいやだった。



「お、お嬢様、その件については……」


「じいやはどっち」



 白か、黒か。

 私が知っていると思っていたのか、知らないと知っていたのか。



「申し訳ございません」



 そこまでキツく睨んだつもりはないけれど、じいやは深々と頭を下げた。黒確定である。

 だが責めるべきはじいやではない。じいやはあくまでも主人の意向に従ったまでだ。

 私は視線を正面に戻して、未だに一言も発しない元凶を見据える。



「さしずめ、また私がお姉様とエリック様の邪魔をするとでも思ったのでしょう」



 ふんと鼻先で笑う。



「ですが私は、邪魔する理由はエリック様がお姉様に向き合わないからだと。それが解消したから邪魔はもうしないと。夏にそうお約束したはずです」



 お姉様とエリック王子が、婚約を見据えた関係となった夏。その裏側で、私達は取引をした。

 お姉様達の邪魔をしない代わりに、五つの条件を出し、この人もそれを受け入れた。だからこそ私は乗馬の練習を始め、いずれ剣術の稽古も始めることが決まっているのだ。

 荒れ狂うお母様を説得してまで、約束を守ってくれた。

 信じてくれたと、思ったのに。



「お父様は、私の言葉が信用できないんですね」



 異質な環境で育てたことを謝罪して、恨んでいいとすら言った。幸せを願っていると言った。

 男であればいいと言った口で、今さら都合のいいことを言うなと泣いたけれど。

 今はその言葉を信じようと、思ったのに。


 エリック王子が来る件だって、口で直接伝えることができないなら、あの郵便チェスのメッセージカードに書き添えればいいだけではないか。実際私はそうやって、伝えていなかった礼を伝えた。

 その手間すら惜しいというのか。

 そこまで、私が信用できないのか。



「だったら、もういいです」



 次を望んで、その答えとして始まった郵便チェス。

 私が変わろうと思うのと同じように、この人も今の歪な関係をなんとかしようと思っていると、思ったのに。

 きっとこれをきっかけに変えられると、思っていたのに。

 決着がつくまで続けたいと、これが終わってもそのまた次があると、思ったのに。


 この人が、全部台無しにした。


 途中で台無しにされたゲーム盤に、駒を元通りに並べ直すのは一人ではできないんだ。

 直せたとしても、またひっくり返されるのなら。

 もういい。全部やめにする。



「どうせ私は……」



 その顔を見れば、笑いがこみ上げる。

 鋭さと知性の感じる顔立ち。深い青色の双眸。癖のない銀髪。

 私との共通点は髪の色だけで、でもその髪すら私はもともと金色だったらしい。

 同じところが、一つもない。



「私はあなたにとって、望まない存在だったのでしょう?」



 見開かれた目の意味は、否定か、肯定か。

 どちらだっていい。何をどう言われても、私はもう、この人の言葉は信じない。

 それを最後に部屋を出れば、私を呼び止める声が聞こえた。

 振り返らず、足も止めず、執務室を離れる。

 本当に止めたいのなら、追うはずだ。しかし私はそのまま自室へと戻れてしまったのだから、つまり、そういうこと。

 口ではいくらでも、取り繕うことができるのだ。



 ────そんな出来事から一夜が明け、つまり今日、屋敷は地獄のような空気に包まれていた。

 詳しい状況はあの場にいた者しか知らない。けれど私の態度……まるでこの家には自分と母と姉と使用人しかいないという振る舞いに、過去最強クラスの寒波がきたと察したようだ。

 もう仲を取り持つとかそういうレベルの話ではない。藪を突かず、神にも触らないのが、長生きの秘訣。

 そう言わんばかりの空気に、あのお姉様ですら今日は私にあまり近づいてこない。いつものくっつき度を十とすれば、今日は六ぐらいだ。

 そしてたぶん今頃は、お母様と週末に着る衣装を決めつつ、この空気をなんとかできないか話し合っていることだろう。



「やれやれ、アロイスの問題も根が深いな。どれミシェル、儂が奴と話をしてこよう。だからそう怖い顔をするな」



 怒った目つきはセシリアそっくりだな、と。

 お祖父様は大きな手で、雑に私の頭を撫で回す。



「……先に馬」


「ああ、そうだな。そのために来たんだ、ミシェルが優先に決まっている」


「……自力で乗り降りできるようになったし、速歩もできるようになった……んです」


「そうかそうか!ひとりでよく頑張ったな。ならばなおさら早く、その努力を観に行かんとな」



 お祖父様に背を押され、二人だけで屋敷を出る。

 厩舎裏の運動場へ行き、ユーゴと練習した速歩を披露し、終わってからは誰の手も借りずに降りられるようになったのを披露する。

 お祖父様が来ない間は、馬丁に見守ってもらいながら練習していた。だからもう背筋を伸ばして乗れるし、揺れに翻弄されることはなくなっている。

 ユーゴの賢さのおかげもあって、もう乗馬はお手の物。そうお祖父様のお墨付きをもらい、今日の稽古は一時間少々で終わった。



「乗馬がマスターできたら剣術って約束だったけど、どうなるんだろう……」



 着替えるために自室に戻り、ぽつりと呟く。

 チェストの上には、お姉様からもらったぬいぐるみと、お母様から教わった刺繍の道具しか置いていない。

 中盤ぐらいまで続いていたチェス盤は、本棚にしまった。

 捨てずにとっておいたメッセージカードは、昨日の夜、すべて暖炉に焼べた。

 私が願った『次』は、終局を待たず、灰も残らず消え去ったのだ。



「お祖父様に直接頼んだ方がいいかな?どう思う毛玉?」


「ピィー」


「だよね。やっぱりあとで頼んでおくかぁ……」



 たぶん今、執務室か応接間でお祖父様が話をしている。あの人だけではなく、お母様もその場にいると思う。

 どんな話をしているか。興味はあるかと聞かれれば、あると答えよう。

 でもどういう結論を出されようと、私は自分に意思を曲げるつもりはなかった。

 あの人の言動には一貫性がない。そのせいで今まで散々上げて落とすを繰り返され、私はもう疲れてしまったのだ。


 ハア、とため息をつけば、ちょうどニナが着替えを持ってきてくれたので、貴族令嬢らしく手伝ってもらいながら着替えを済ます。

 居間か温室でお茶を飲んで休憩するかと聞かれたけれど、お兄様に見舞いの手紙を書くことを理由に断った。



「では、お茶はこちらにお持ちいたしますね。上質な栗が入ったからお嬢様のお好きなタルトを作ると、調理長が言っておりました。ぜひお召し上がりください」


「うん。じゃあ楽しみに待ってる」



 料理長はたくさんいる料理人の中でも、群を抜いて私贔屓。

 病弱引きこもり令嬢の頃、たびたび熱を出して寝込むミシェルに食べやすい物を作り、元気な時や一人で留守番の時は好物ばかりを作ってくれた。それは今も変わらず、料理長は私に何かあるたびに好きな物を作ってくれる人だ。

 昨晩の一件を聞いて、作ってくれたのだろう。お礼はあとで自分で言いに行くと告げて、私はニナを見送った。

 それからしばらく机に向かって手紙を書いていると、部屋の扉をノックされた。ニナかと思い返事をすれば、



「ミシェル。少し話しがあるが、入っても構わんか?」



 あの人と話をしているはずの、お祖父様だった。

 なぜだか、ほんの少し、胸騒ぎがした。

 扉を開けて招き入れ、ソファーを勧める。するとお祖父様は感慨深げに部屋を見回してから座り、私もその向かいに座った。

 口火を切ったのは、私。



「話しって……?」


「言った通り、アロイスと少し話をして来たわけだがな……。ミシェル、しばらくこの家を出て、儂と暮らさんか?」







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