42.タッチ アンド ムーブ



 なにこれ。違う。だから。誰。なんで。やっぱり。

 私の名前がない、私の知らない従兄の名前がある、エバーグリーン家の家系図。それを前にいろいろな思いが一度に押し寄せて、胃がひっくり返るような気持ちの悪さが押し寄せる。

 私はきつく目を閉じて、肩を使って大きくゆっくり息を吸って、そのいろいろな思いごと吸ったすべてを吐き出した。

 そして改めて家系図を見下ろせば、さっきは衝撃のあまり見落としていた部分があることに気がついた。



「お祖母様の亡くなった年が、書いてない……」



 母方のお祖母様の名前は、マリエッタ。

 私が生まれる少し前に亡くなり、彼女の名前から取られて私にマリーが付けられた。そうお母様とお祖父様から聞いたことがある。

 だから彼女の没年が書かれていないということは、これは私が生まれる前に作成された家系図ということだ。

 たぶん、ソフィアお姉様とジャンお兄様が生まれたのをきっかけに、作り直されたものだろう。



「ああ〜、びっくりした……」



 無駄に緊張してしまった……。

 けれど私は自分の名前がないことに、だから、やっぱりと一瞬納得しかけてしまったのも事実だ。

 それが何に対しての納得か。正直あまり考えたくない。

 またいろいろなものと一緒にふうと息を吐く。そして顔の横に垂れる髪を……かつてはお母様譲りの金髪だったらしいが、今ではお父様とお姉様と同じ銀髪の、誰から遺伝したのかわからないくせ毛を背中へと払いのけた。

 ここに鏡がなくて良かった。自分のあせた黄緑色の目を見ることがなくて、本当に良かった。



「問題は、こっちだよね……」



 私は、エバーグリーン家の直系であることを表す家系図の上中央部、ジャン=クロード・エバーグリーンという謎の存在を指でなぞった。

 生まれたのは十三年前となっているから、お兄様より年上。エバーグリーン家の長男は、このジャン=クロードということになる。

 じゃあお兄様は、ジャン=ドミニクは、実は次男だったということ?

 なぜ一人息子だと偽る?

 なぜ私は、従兄であるジャン=クロードの存在を知らない?

 そもそも、なぜ長男と次男に同じ名前を付けているんだ?



「私のことが分かるどころか、謎が増えちゃったなぁ。どうしよう毛玉」


「プーピー」


「あーうん、ごめん。君も言われたって困るよね」



 いくら乙女ゲームのファンタジー世界だとしても、前世基準で考えればこの時代は中世後期から近世ぐらい。

 こうして暮らしてみると、たまぁ〜に「あれ?これぐらいの時代ってこういう生活スタイルだっけ?コレあったっけ?」みたいなご都合主義的な部分もあるけれど、まあそこは魔法ありのファンタジー世界だからと思って受け流してきた。

 けれどそうは言っても、出産は危険が伴う一大事だし、子どもの死亡率が高いのは魔法があって変わりないだろう。その証拠が身体の弱い私に対する周囲の過保護っぷりだ。


 なので私がこのジャン=クロードに会ったことがないのは、彼が生まれてすぐ亡くなったから。

 長男が死亡していれば、次男が嫡男。他に兄弟がいなければ一人息子と呼ぶことなる。

 ジャンという名前も、早世した長男の分も長生きしてくれと願いを込めて、あえて名付けたと考えることもできる。


 だがしかし、この家系図を見るとその仮説は消える。

 ジャン=クロードは、ジャン=ドミニクが生まれた十一年前の時点までは生きていた。

 つまりそれは、すでにジャンという名前の兄がいるのに、弟にも同じ名前を付けた。

 どう考えてもおかしい。おかしいを通り越して、いっそ不気味だ。



「お兄様の名前……ジャン……呼び方……」



 呼び方についての話を、前にお兄様としたことがある気がする。

 でも、それはいつだっけ?



「んん〜」


「プッピッ!」


「むり!やっぱり思い出せない!」


「ブゥン」


「しょうがないでしょう。思い出せないものは思い出せないんだから」



 でも思い出せないということは、たぶん三年以上前の出来事ということだ。



「何をするにも、結局その問題にぶつかるんだよなぁ」



 エバーグリーン家のことなら、お祖父様に聞くのが一番だろう。

 でもこれまで秘密にしていたジャン=クロードの存在をどこで知ったんだと、逆に追及されて、今日のことを言わなくてはならなくなる。聞くことはできない。

 つまり完全に振り出しに戻ってしまった。

 しかも謎が増える始末。どうしようもない。



「お兄様が私をエバーグリーン家に行かせたくないことと、関係あるのかな……」



 私に救われたと言っていたけれど、その記憶は私にはない。

 ジャン=クロードという人物についても、記憶にない。

 二人のジャンについて、私は何を忘れている?

 なぜ問いかけても、誤魔化される?

 何を、隠されている?

 いろいろ仮説を立てることもできるけれど、どの説もピンとこない。決め手に欠けるのだ。



「……気にはなるけど、エバーグリーン家のことは一旦保留だね」


「ブッ」


「だから諦めじゃあないってば!」



 疑わしいものを見る目で見てくる毛玉。あくまで保留と主張しながら、私は家系図を四つ折りにしてからクルクルと筒状に巻き、紐で縛って元通りにした。

 箱の中身はこれだけではないんだ。いつまでも分からないことに時間を使うなんて、そんな効率の悪いことはやっていられない。

 それに残りの手帳と小箱に、なにかヒントがあるかもしれないのだ。



「手帳は三冊。どれも同じデザインだから、同じ人のものってことだよね」



 適当に一冊を手に取り、パラパラとめくる。

 だがしかし、読めなかった。



「ク、クセがすごい……!」



 文字なのか疑ってしまうほどに、強烈な癖字だったのだ。

 ミミズが這ったような字という表現があるけれど、そんなもんじゃあない。インクが乾かないうちにカタツムリが上を這って滲んだのでは?、という思うぐらいの乱れ具合だった。

 なんだか、ずっと見てると心がザワザワしてきそう……。

 SAN値の削れる音が聞こえたため、私はぱたんっと手帳を閉じた。念のため残りの二冊も確認してみたけれど、同じ筆跡だったのでこれまたすぐに閉じた。



「プピピ、ンプ」


「ううん。見覚えない」


「ブッ」


「身近な人の字は把握してるから、間違いないよ」



 貴族は手紙を書くことが多いから、字は基本的に整っている。だから見知っている両親やお姉様、お祖父様、お兄様の字ではないし、見たことはないけれど叔父夫妻でもないはずだ。

 場所的にじいやの可能性もゼロではないけれど、執事……それも全使用人の頂点である家令は高い教養が必要な仕事だ。なにかと忙しいお父様の手紙の代筆をすることもあるから、こんなSAN値の削れる癖字ではない。

 エバーグリーン家の家系図と一緒に保管してあったとなると、私の知らないそっちの関係者の物の可能性が高い。


 ────となると、最後の小箱もエバーグリーン家関係のものかな?


 私は最後の一つ、茶色い革張りの小箱を手に取った。

 子どもの私の手のひらに乗る程度の小ささだ。

 もうここまできたら、なにが出てきても驚かない自信がある。ためらうことなく蓋を開けた。



「ブローチ……の台座?」



 入っていたのは、三センチぐらいの丸いブローチ台だった。

 ブローチとして考えれば、けっこうな大きさの宝石がつくだろう。しかしそれに石はなく、縁に花びらのような装飾がついているだけの銀の皿であり、よく見れば石を取り外した時についたと思われる傷があった。



「毛玉」


「ピ?」


「これは見なかったことにしよう!」


「ブーッ!ブビーッ!」


「だってぇ〜ワケわかんないもん。たぶんあれだよ。他人にとってはガラクタだけど、本人にとっては宝物、みたいなやつ」



 知らない従兄の名前の乗った家系図、見覚えのない筆跡の手帳、そして宝石の外されたブローチ。

 三つの共通点が見つからない。情報が断片的すぎて、返ってどんどん状況がごちゃついてきてる。



「ブッ、ブゥン!」


「そりゃあ何かあるかもって言い出したのは私だけどさ、どれ見たって私に関係なさそうだよ?お風呂にも入れてあげるし、バラの砂糖漬けもあげるから、この箱はこれでおしまいにしようよ」



 ブーブー抗議してくる毛玉をなだめつつ、箱の中身をすべて元通りに入れて、蓋も閉める。

 近くに転がしていた南京錠を引っかければ、ガチャンとしっかりと鍵のかかる音がした。どうやら鍵は壊れていなかったらしい。

 ん?じゃあなんで外れた?、とぶら下がる南京錠をまじまじ見ても、傷もサビもない。古いから衝撃で勝手に外れたと思ったけど、むしろこれは新しいもののようだ。



「じゃあ、なんで開いたんだろう……?」



 首を傾げて呟いた時、書庫の扉が開く音が聞こえた。



「お嬢様。どちらですか、ミシェルお嬢様」



 ゲェ!この声は、よりにもよってじいや!

 まだ箱を元の場所に戻していない。この状況を見られたら面倒なことになる。

 私は箱はそのままに、足早に声の方へ向かう。そしていつも通りを装って「ここよ」と書架の影から顔を出した。



「なあに?何かあったの?」


「たった今、王城からの早馬で、旦那様が王都へ向かわれました。昼食はおひとりになりますので、そのご連絡を」


「ひとりで食事なんて、よくあることじゃない。別にわざわざ言いに来なくても大丈夫だったのに」



 ここ数日はお父様が屋敷にいたけれど、あの人は仕事の都合で王都の別邸で過ごすことも多い。言ってみれば単身赴任だ。

 そんな状況でお母様とお姉様が外出すれば、必然的に私は一人になる。元引きこもりの私にとって、それは日常茶飯事だ。



「というか、事後報告なのね。それもじいやを介しての」


「大至急来られたし、という連絡でしたもので……」


「ふうん。あっそう」



 十歳の娘に一声かける手間すら惜しんで、さっさと出て行ったことに今さら何か思ったりはしない。

 日常茶飯事。今までと変わらない。慣れっこ。今さら城と言っていいぐらいに広い屋敷に残されることに、なんとも感じない。それにたくさんの使用人がいるから、私は一人じゃあないんだ。

 だから寂しくは思わないし、怒りも感じない。



「大変ご立腹のところ申し訳ありませんが」


「怒ってない!」



 こっちだって、二人きりの昼食は気が重いって思ってたもん。絞り出せる話題って言ったら今日の天気ぐらいだもん。

 だから別に私は怒ってない!断じて怒ってなどいない!

 ムッとする私に、じいやは懐から出した真っ白いカードを差し向けた。



「旦那様よりこちらをお預かりいたしました。いかがなさいますか?」


「……なにそれ」


「私が予想するに、『次』かと」



 は?次?

 訳がわかないがとりあえず受け取り、何の気なしに裏返す。

 そこに書かれているのは、メッセージではない。単語ですらない、文字と数字の組み合わせ。

 なるほど、そういうことか……。



「郵便チェス……。確かにこれはこれで『次』だね」



 先日私はじいやに、お父様に言伝を頼んだ。

 『次』にチェスをやる時は、手抜きをするな。『次』は負けても、いつか絶対に勝つ、と。

 見慣れたお父様の字で書かれているのは、チェスの指し手。ポーンを中央に起きましたよと言う意味だ。



「でも郵便チェスって、手紙を書いて、そのついでに一手を書き添えるものじゃあないの?」



 指し手しか書かれていないメッセージカードは、本当の意味でメッセージカードと言っていいんだろうか。

 せめて一言添えればいいのに、とため息混じりに言えば、じいやは苦笑する。



「私もそう申し上げたのですが……」


「今さら何を書けばいいか、どんな話題を出せばいいか分からない、とでも言った?」


「ご明察の通りです」



 じいやはさらに苦笑を深めた。

 私ももう一度ため息が出る。



「お父様の似なくていい所だけ似ちゃったのね、私は。私もお父様に手紙なんて、何を書けばいいか分からないもん」


「返事はなさいますか?」


「……する。『次』を望んだのは私だから」


「ではこちらをお使いください」



 渡されたのは、新しいメッセージカード。

 お父様の洒落っ気も可愛げもない無地のものとは違い、黒い線で縁取りがされていた。

 先手の白と、後手の黒が混同しないための違いだろう。まったく用意のいいことで。

 幸いこの書庫には、備え付きの机にペンとインクが置いてある。私はそこへ向かい、すぐに自分の一手目を書くことができた。



「じゃあ、これで」


「はい。お預かりいたします」



 じいやは頭を下げ、書庫を出て行こうとする。

 その背中を黙って見送っていた私は、ふとあることを思いついた。

 いや、それをやったところで……でも……うーん……ええ、女は度胸!



「じいや、ちょっと待って!」


「どうかなさいましたか?」


「えっと、さっきのカード、ちょっとだけ返して。書き忘れたことが……ある、から」



 勢いよく呼び止めたわりには、尻すぼみになる言葉。じいやは何かを察したように笑った。

 封筒付きの物をご用意すれば良かったですね、なんて言いながら渡してくるから、私が何をするつもりか確実に気づいている。



「見られて困ることなんて書かないもん」



 書くのは乗馬と剣術と稽古についてのお礼。食堂と執務室を半壊しながらもお母様を説得してくれたお礼を、私は伝えられずにいたのだ。

 別に返事の期待はしていない。ただ私が礼儀として伝えたいだけだ。


 返されたカードにさらさらと一筆添えて、突き返した。

 内容を見ないように懐にしまい、改めて書庫を出て行ったじいやは使用人の鑑だろう。

 再び一人になった私は、手元に残ったお父様からのカードの文字を見て、あの人が通信チェスなんて時間と手間のかかる遊びに誘ってくるなんてと思った。


 でも『次』は『次』だ。

 私が言ったことへの、あの人なりの返答。


 親子なのに距離を置いていた期間が長すぎて、言葉を飲み込み続けてしまって、結果的には距離の詰め方も声のかけ方も分からなくなってしまった。

 そんな私達には、これぐらいがちょうどいいのかもしれない。



「ちゃんと決着がつくまで続けられるといいけど」



 失くさないよう、カードは手にしっかり持って書庫の最奥に戻る。

 残していた毛玉は、同じく残したままにしていた箱のそばで待っていた。



「これは上に戻して、違う場所を探そう」


「プーピー?」


「うん、いいの。お父様が隠していたんだとしても、これはもういい」



 あくまでも知りたいのは自分のこと。三年以上前のミシェルのこと。

 もしもお父様のことを知るなら、本人に聞けばいい。聞くための切り札は、もう私の手の中にある。たとえ答えをもらえなかったとしても、疑ったり、強引に暴いたりするよりいいだろう。

 私ははしごをよじ登り、火かき棒も使って元通り書架の上に箱を置いた。

 あとはこの火かき棒を、誰にも見つからずに居間に戻せば証拠隠滅完了だ。



「おいで」


「ピッ」



 毛玉を肩に乗せ、居間を経由して自室へと戻る。

 すぐに本棚に近づき、本と一緒に収納されていたチェスセットを横のチェストの上に広げる。そして手に持っていたカードの通り白のポーンを置き、その真正面に、返事に書いた通りに黒のポーンを置いた。

 ……チェス盤の上なら、真っ直ぐ向き合うことができるのに。



「先は長いなぁ」



 私の過去探しも。親子のちょうどいい距離感探しも。

 まだまだ時間がかかりそうだ。



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