40.定跡あるいはハメ手



 ジャンお兄様が我が家に来なくなり、二週間ほどが過ぎた。

 従兄と二週間会えないぐらいがなんだと思われそうだけど、あの人の場合、これはおかしい。

 呼んでもないのに最低でも一週間に一度は来るし、なんらかの事情があって来られないとなればその事情が書かれた手紙が届く。けれど手紙すら届いていない。

 こんなこと、私の記憶にある限り初めてだ。



「いざ来ないとなると、つまんないなぁ……」



 私は厩舎の裏手、馬の運動場兼乗馬の練習場である広場の柵に腰掛けながら呟いた。

 公爵家で飼育されているすべての馬が、広い運動場内でのびのびと過ごしている。けれど私の愛馬ユーゴは、柵に座る私の近くをウロウロしているだけだった。



「ユーゴ、他の子のところに行って仲良くしておいでよ」



 鼻筋を撫でながら言えば、顔に思いっきり鼻息を吹きかけられた。



「行かないってことね。まったく、私の周りはみんな過保護だね。お姉様もお母様も……お兄様も」



 前世を思い出す前のひきこもり令嬢時代。友だちのいない私を訪ねてくれる人は、ジャンお兄様だけだった。

 脱ひきこもりに成功した今も、友だちは毛玉とユーゴしかいない。やっぱり訪ねてくれる人はあの人だけだ。

 今までは「侯爵令息って勉強とか稽古とか社交とか、いろいろやらなきゃいけないことあるんじゃあないの?ヒマなんですか?」と入り浸る姿に言っていたけれど、いざその暴言も言えなくなるとつまらない。

 乱された前髪を直しながらため息を吐くと、ユーゴの背中で遊んでいた毛玉が「プーピー?」と鳴いた。



「んー。フラグを折りたいっていうのもあるけどね、やっぱり、従兄だから。何かあったんじゃあないかって思うと、純粋に心配だよ」



 便りがないのは良い便り、なんて言葉もあるけれど、便りが出せないぐらいのっぴきならない状況なのかもしれない。

 そう思うとちょっと……いや、かなり心配だ。考えると、また口から勝手にため息が出てしまう。

 それと同時にユーゴの耳がピンと立ち、私の背後へと視線を向けた。

 何かと思って振り返れば、じいやがこちらへ来ていた。



「あれ?珍しい」



 全使用人の頂点として屋敷全体の管理と、当主であるお父様のサポートが仕事なのに。

 珍しいこともあるもんだと思っていれば、じいやは木陰で逢瀬……もとい私が屋敷の戻るのを待っていたニナとダリウスに声をかけてから、私の方に来た。



「どうしたの?」


「ミシェルお嬢様にお手紙が届いておりますので、お持ちいたしました」


「誰から?!」



 ピョンと柵から飛び降りて、じいやに駆け寄って手紙を受け取る。

 そして差出人名を確認すれば……、



「エリック殿下からでございます」


「燃やしましょう」


「お嬢様」


「マア、エリック様カラ?ウレシイ。何カシラー」



 なんだ、お兄様からじゃあないのか。少ない体力を無駄に消費してしまった。

 チッと舌打ちをすればまた「お嬢様」とたしなめられた。



「ねぇじいや、ジャンお兄様かお祖父様から連絡はないの?」


「はい。先日の嵐の影響で国内各所に被害が出ているらしく、おそらくエバーグリーン領もその対応に追われているのでしょう」


「お父様もこのところずっとお忙しそうだもんね……」



 前世でも台風がくると色々な影響が出ていた。前世よりも技術の劣るこの世界では、被害は前世の比ではないだろう。

 パールグレイ領内でも洪水で橋が壊れただの、土砂崩れが起きただの。断片的だけど被害情報が私の耳にも入ってきている。

 だからこそお兄様が心配なんだ。帰り道で何かあったのかも、帰ってみたら屋敷に大きな被害があったのかも、と。



「早く全部元通りになればいいのに」



 エリック王子の手紙は後で読んで燃やすので、ひとまず懐にしまっておく。

 そして私の言葉に相づちを打つじいやを、「ところで」と見上げた。



「じいや、私に何か隠してなぁい?」



 無邪気な十歳らしく、小首を傾げて問う。



「私、朝食の前にお姉様の部屋の前を通ったの。そしたらお姉様の奇声が聞こえたんだけど、あれ、エリック王子から手紙が届いた時の歓喜の声だよね」



 お姉様にはとっくに手紙を渡したのに、私には朝食どころか日課の散歩も終わろうとしていた今。

 このタイムラグは、少し奇妙だ。



「どうして今、わざわざ外にいる私に手紙を渡しに来たの?」



 仮に忙しくて後回しにしたのなら、私の部屋に置いておくか、私付きの侍女であるニナに渡しておくよう頼めばいい。

 それなのにわざわざ、外にいる私に、直接手渡した。

 お父様のサポートが仕事である、じいやが。



「聞き方を変えましょうか。お父様に、何を命じられたの?」



 両親、姉、祖父、従兄、専属の侍女。私の周りには過保護が多い。しかしそれと同じぐらい、私に隠し事をしている人も多い。

 ついにそこに、私のチェスに付き合ってくれる執事まで加わった。

 さすがの私も、我慢の限界だ。

 にっこりと微笑み、けれど怒りのオーラを隠さずに切り込む。するとじいやは根負けと言わんばかりに肩をすくめた。



「そういった顔をなさると、旦那様によく似ていらっしゃる」



 自分が今どういう顔をしているか。

 触れても分かるわけがないけれど、自然と手は頬に触れていた。



「もう一通、お嬢様にお手紙が届いております。その送り主について確認するようにと、旦那様から申しつけられました」


「だったら二通一緒に渡して聞けばいいじゃない。回りくどいことを……ああ、さては答え次第じゃあ渡さないつもりだったのね」



 お父様の考えそうなこと、と十歳らしからぬ嘲笑が溢れた。

 それが、相変わらず娘の外部との交流を制限するお父様への軽蔑か、こういう時だけお父様の考えが分かる自身への嫌気か。はたまた面倒くさい父娘に挟まれたじいやへの憐れみかは、よく分からない。

 もしかしたら全部かもしれないし、どれでもないかもしれない。



「お嬢様、旦那様は……」


「ごめんなさい。大丈夫、分かってる。私は誘拐されて、その犯人も捕まってないんだから、心配するに決まってる。ちゃんと、分かってるから」



 そう、分かってる。

 守られて、大事にされていることは、ずっと前から分かってる。

 でもすべてを信じるには、私とお父様の距離は遠すぎる。知らないことが多すぎる。

 一歩近づいてみただけの今は、これが限界だ。

 私は体の内に湧いた黒いものを追い出したくて、頭を軽く振った。



「……それで、もう一通は?」


「こちらです」



 じいやは懐から白い封筒を取り出し、私に差し向けた。

 いや結局渡すんかい。さっきのやり取りはなんだったんだと思い、躊躇いながらも受け取る。

 すると宛名として私の名前と住所はあるけれど、差出人名は書かれていなかった。封蝋に捺された印璽にも、見覚えはない。



「誰だろう?」


「どなたかに手紙を出された覚えは?」


「えーっとぉ……?」



 友だちのいない私は、当然ながら手紙のやり取りをする相手が少ない。

 一番やり取りが多いのはジャンお兄様。でも筆跡が違うし、印璽はエバーグリーン家のものじゃない。

 同じ理由でエリック王子も除外。そもそも一度に二通出すわけがない。

 あとは最近増えたというと、夏の誘拐事件で面倒をかけたジョゼフ・ヘイルズ卿にも出したけど、返事はもうずいぶん前に届いている。

 あとは主治医のフォッグ先生だけど…………あっ。



「分かった!フォッグ先生の先生だ!」



 頻繁に見る夢が予知夢かどうかを知りたくて、そして精霊や魔法生物について聞きたくて。フォッグ先生が師事していたという魔法薬学の研究者で、精霊肯定派の人に手紙を出したんだった。



「知りたいことがあって、フォッグ先生に相談したらこの方が詳しいからと送り先を教えてもらったの。その返事だと思う」


「先生の先生……というと、医者でしょうか。そのような方に何をお尋ねに?」



 おっと、確認するのは送り主だけではなかったのか。

 じゃっかんの後出しジャンケン感にムッとしつつも、ほんの一瞬考える。

 手紙で尋ねたのは、予知夢と精霊と魔法生物についてだ。しかし私がほぼ毎日同じ夢を見ていることも、精霊の声らしきものを聞いたこともフォッグ先生にしか相談していない。魔法生物である毛玉の存在は、先生にすら打ち明けていない。

 さて、どう誤魔化すべきか……。



「この方はお医者様じゃあなくて、魔法薬の研究をされている方なの」


「薬学者ですか?」


「うん。前に私、お父様が用意した魔法薬を髪につけられて色が変わった……じゃあなくて、色が戻ったでしょう?あれがどういうものなのかとか、魔法薬ってどうやって作るのか知りたかったの。書庫を探したけど、魔法薬学の本は一冊しか見つからなかったから」



 膨大な蔵書を誇る我が家の書庫にも、魔法薬学関連は前に発見して読んだ『魔法薬学論』という一冊しかなかったはず。仮にあったとしても、私は手が届く範囲の本しか読まない、踏み台やハシゴで高い場所の本は取らないと言いつけられているから、気づかなかったで筋が通るだろう。

 何より、すでにお父様とじいやは封蝋の印璽を見ているんだ。

 誘拐事件の時、私が覚えていた時計の紋章から、誘拐犯が身分を偽装して潜伏していた伯爵家が特定された。

 だったら封蝋で送り主の特定も可能なはずだ。送り主すら誤魔化すのは悪手だろう。

 そう読んで送り主だけは本当のことを言えば、じいやは考えるような素振りをしてから頷いた。



「左様でございますか」


「手紙、渡しちゃっていいの?」


「はい。旦那様にもそのままご報告させていただきます」


「お父様が回収して来いって言っても渡さないからね」



 取られないようにいそいそと懐に入れれば、じいやは「ご安心ください」と笑った。

 どうやら全部うまくいったらしい。

 さすが誘拐犯すら出し抜く私。将来、詐欺師か女優にでもなれるんじゃあなかろうか。



「魔法薬学に興味がおありでしたら書籍を取り寄せますが、どうなさいますか?」


「本当?!欲しい!」


「では、その件も旦那様にお伝えしましょう」



 魔法薬も、魔法や精霊と同様で前世にはないものだ。ずっと興味があったんだよねぇ。

 嬉しさのあまり心の中で小躍りしながら、柵の向こう側で待っていた毛玉とユーゴに買ってもらえることを報告する。するとふと、真っ白い愛馬の顔を見てあることを思い出した。

 振り返り、じいやを呼ぶ。



「ソンブル大戦についての本は、うちにあるよね?」


「もちろんございますよ」


「じゃあ、その大戦の英雄について詳しい本は?私、大戦のことは知っているけど、英雄の話は覚えてないの」



 ユーゴを愛馬と決めた時、お姉様とお兄様は当たり前のように英雄の話題を出した。

 お祖父様から聞いたことがあるでしょう。それを覚えていて、白馬を選んだんじゃあないのか。そう言われた。

 しかし私には、そんな話、初耳だった。

 だから実はあの嵐の間、書庫で英雄についての本を探してみたのだが、私の目で見える範囲には見つからなかったのである。



「ではそちらもご用意致しましょう」



 あ、やっぱりなかったのか。

 そうなると、お姉様も英雄の話はお祖父様から聞いて知っているのか。それはお兄様も同じ。

 けれど私は、まったく聞き覚えはない。



「……」



 これは本格的に、七歳以前の記憶がないことに向き合った方が良さそうだなぁ……。



「どうかなさいましたか?」


「ううん。なんでもない」



 急に黙り込む私を、じいやは訝しむ。しかしすぐに首を振って「本のことよろしく」と頼めば、恭しく頭を下げて屋敷へと戻っていった。



「うーん、今日の午後は家庭教師が来るから無理だけど……」



 明日はお母様とお姉様が出かけるらしいし、お父様は嵐被害の処理で執務室に缶詰めのはず。お兄様とお祖父様は来ないだろう。

 明日のやることが、決まった。





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