33.お祖父様はスパルタ方式①



「ミシェル、ダンスと一緒よ!背筋を伸ばして!」


「私がダンスとんでもなく下手なの、お姉様だって知ってるでしょう?!」



 大丈夫よと焦ったように助言を投げるお姉様に、私はヤケクソ気味に言い返す。



「力み過ぎだよ!もっとリラックスして!」


「ムリ!っていうか、なんでまたしれっとお兄様がいるんですか?!聞いてない!」



 八つ当たりをすれば、ジャンお兄様は「叫ぶ余裕はあるんだ」と言って相変わらず言葉のキャッチボールが成立しない。



「ほれほれミシェル、乗り手の動揺は馬に伝わるぞ。前に乗った時は余裕があっただろう。それを思い出せ」


「だ、だって前はお祖父様と一緒だったからぁ〜!」



 助けを求めて視線を送ったところで、お祖父様は手本として馬に乗って並走しているので助けてはくれない。

 そもそもお祖父様が近づこうと思っても、今私が乗っている白馬──ユーゴは、下手に近づくと攻撃してくる気難し屋さんで危険なのだ。

 私はずっと蝶よ花よと過保護に育てられたの十歳の公爵令嬢だ。それなのに気難し屋さんを相棒を選んだばっかりに、乗馬の稽古は初回から誰の手も借りることのできない超スパルタ仕様になってしまっていた。



「ユーゴ、お、お願い、一回止まって」



 前後左右にぐわんぐわん揺られながらも、握った手綱を軽く引いて、停止の指示を出す。すると我が家に来る前に調教済みであるユーゴは、私のおっかなびっくりの指示に従って止まってくれた。



「おお、指示の出し方はもう完璧だな。飲み込みは早いが、姿勢だけはもうちっとどうにかならんもんかなぁ、ミシェル」


「お、思っていたより高くて揺れて……」


「遠乗りに行った時はできていただろう?」


「だからあの時は背もたれ……お祖父様が後ろにいたからですってば」



 初めて一人で跨がったうえに指示を出せているんだから、少しの猫背ぐらい許してほしい。



「それにしても、いい馬だな。白毛というだけで充分な価値だが、体つきは良いし、指示もよく聞くときた。この気性の荒さでなければ、儂が乗りたいぐらいだ」


「だってよ、ユーゴ。お祖父様も乗せてあげたら?」



 太い首を撫でながら問えば、ユーゴは耳を後ろへ倒し、尻尾も落ち着きなく左右に揺らした。



「嫌だそうです」


「そのようだな。まったく、なぜこうも頑なにミシェルにしか懐かんのだろうな」


「他の子と色が違うってだけで特別扱いされるのが嫌で、私はそれをしないからじゃあないですか?」



 その時、倒れていたユーゴの耳がピンと立ち上がった。耳だけでなく鼻先を上げ、どこか遠くを見る。

 何かと思って私も同じ方向を見ると、遠いけれど、東の空にどんよりとした灰色の雲があった。

 冷たく湿り気のある風に、私の髪や肩にいた毛玉、ユーゴのたてがみを軽く揺らされる。



「お祖父様、今日はもう終わりにしましょう」


「どうした?疲れたか?」


「そうじゃあなくて、雨が降りそうです。ホラ、あそこ」



 東の空を指差すと、お祖父様は「こいつはいかん」と呟いた。



「秋の空は変わりやすくてかなわんな。どれミシェル、そのまま厩舎まで戻ってみろ」


「うえっ?!乗ったままですか?!」


「この程度の距離を乗れんでどうする。厩舎に戻ったら、乗った後の馬の手入れを教えて、今日は終わりだ」


「はぁーい。行こうユーゴ、右にくるっと旋回してー」


「ジャン、ソフィア。一雨来そうだ、お前達はこのまま先に屋敷に戻っていなさい」



 夏頃まで水と油の関係だったお姉様達を二人きりにして大丈夫だろうか。……いや、でもここ最近は少しずつ関係が変わってきたから、きっと大丈夫だろう。

 そう思った私は短い足と弱い力でユーゴに指示を出して、厩舎を目指し、ぐわんぐわん揺れながら広い公爵家の敷地を移動した。

 そして厩舎に入って、はたと気がついた。まずい、どうやって降りよう。

 初めて馬にまたがった時。つまりお祖父様に誘われ遠乗りに行った時は、乗るのも降りるのもお祖父様が抱き上げてくれた。

 そして今日は、ユーゴには私以外近づけないため、私がユーゴの身体の横に木箱を置いて、それに乗ってからあぶみに足をかけて自力でよじ登ったのだ。しかし降りる時のことを何も考えていなかった。



「お、お祖父様、どうしよう……!」


「あー……どうしたもんかな……?」



 お祖父様や馬丁達が近づこうにも、ユーゴは前から行けば噛み付くし、後ろから行けば蹴りが飛ぶ。

 私を抱いて下ろすことも、木箱を置くこともできない。

 こうなったら、いっそ飛び降りるしかない。良くて足首のねんざ、悪くて顔から着地。相変わらずのチビでどんくさいという最弱スペックを嘆きながら覚悟した、その時だった。日々の世話でユーゴへの恐怖が染み付いていて近づけない馬丁達の中から、「お嬢様!」と明るい声が聞こえた。



「先にここに木箱を置きますから、お嬢様はそのまま馬を歩かせて、この横で止めればいいんですよ!」



 そう言って少し離れた前方に木箱を置いたのは、下っ端馬丁のダリウス。得意の芸を披露し終え、褒められるのを今か今かと待つ犬のような顔をしていた



「ダリウス冴えてるぅ!」



 あとでニナに「降りれなくて困ってたけど、ダリウスが助けてくれたのよ」と言って、君の好感度を上げておくよ!

 方法が見つかったのなら実行あるのみ。私は木箱の方へとユーゴを歩かせる。



「ああ、行きすぎです、お嬢様」


「あれ?ごめんねユーゴ、ちょっとだけ下がって」



 両手で手綱を軽く引いて、後退の指示を出す。



「あ、ちょ、下がりすぎ下がりすぎ」



 もう一回前進。するとまた前へ行きすぎた。

 前に進めば通りすぎ、後ろへ下がれば通りすぎる。

 木箱の横で前進と後退を何度も繰り返しているなか、私は唐突に理解した。前世で見た、駐車が下手なドライバーの気持ちを。

 ああいう場合、操作しているドライバーの技術に問題があるのだ。車の性能に問題はない。

 つまりこれは私が悪い。延々と前後へ歩かされ、「まだやんの?」と言いたげにふんっと鼻息を吐くユーゴは悪くない。



「……ダリウス。私、思うの。今日初めて手綱を握った人が、木箱の横なんていうピンポイントで止まるなんて無理だよ」


「くっ、力及ばず申し訳ありません……!」


「ううん。近づけないなら近づかせればいい、という逆転の発想は素晴らしいと思う。だからお礼にひとつだけ言うと、ニナの好きな花はガーベラだよ」


「覚えておきます……!」



 さて、こっちから木箱に近づけないならどうしたものか。

 ユーゴにまたがったまま腕を組んで考えていると、先に屋敷に戻ったはずのお姉様とお兄様が厩舎に入ってきた。



「なんだ二人とも、やっぱりついて来たのか」


「どうせ屋敷までの通り道ですもの。ミシェルと一緒に戻ります」



 呆れ気味のお祖父様に、お姉様はにっこりと微笑む。

 おおかた、お姉様もお兄様も、私が心配して祖父様の指示に従わなかったのだろう。この姉と従兄は、変なところでモノの考え方が似てるからなぁ……。



「それでミシェル、どうしてまだ降りてないんだい?」


「わざと降りてないんじゃあなくて、降りられないんです」


「えっ?!」


「ああ、そっか。その馬、誰も近づかせないもんね」



 お姉様はどうしましょうと慌てるけれど、お兄様はあっけらかんとしている。



「もういっそ飛び降りるしかないですね、これは」


「ダメよミシェル!足をくじいてしまうわ!」


「待て待て、早まるんじゃない。顔から落ちるぞ」


「お嬢様、違う方法を今考えますから!それだけはやめてください!」


「いい方法かもね」



 なんとも意外なことに、お兄様が賛成した。

 覚悟を決めた私を止めようとする厩舎中の全員が、何を言っているんだコイツとお兄様の顔を見る。

 最初に声を上げたのは、妹が傷つくなんて絶対に許さないをモットーに生きる超ド級シスコン、ソフィアお姉様だった。



「ジャン!あなた、ミシェルがケガをしてもいいって言うつもり?!」


「言うわけないだろう。ケガなんて僕がさせないよ。ほらミシェル、僕が合図したら降りてごらん」


「ええっと……」


「ミシェル、絶対にダメよ!そうだわ、お父様を呼んできましょう。お父様ならきっといい方法を──」


「お姉様」



 馬丁の一人にお父様を呼びに行かせようとするお姉様の言葉を、私はキツい口調で遮った。



「お父様を呼ばれるぐらいなら、ミシェルは今すぐ飛び降ります」



 頭脳派のお父様に頼ろうという発想は、一般的には素晴らしい。さすがはお姉様。

 だがしかし、私にとっては下策中の下策。あの人に「自分から馬に乗りたいと言ったくせに降りられんのか」と思われるぐらいなら、顔面着地でも両足ねんざでも受け入れる。

 私は横乗りの姿勢になると、そのまま躊躇なくユーゴの背中からためらうことなく飛び降りた。

 瞬間、誰かが耳元で囁いた。



「自ら傷つきにいくなんて、相変わらず愚かな子ね」



 ふわりと下から持ち上げるような風が吹き、やけに滞空時間が長い。

 着地の衝撃に備えてぎゅっとつむっていた目を開ければ、ちょうど足の裏が地面についた。落ちたでも降りたでもなく、ゆっくり降ろしてもらったと言った方がしっくりくる。

 想定外のことがいくつも同時に起き、私は驚きと困惑で、その場にどんくさく尻もちをついてしまった。



「……また……」



 囁かれた右耳に触れ、そっと振り向いてもユーゴがいるだけ。それ以外の存在の姿はない。



「僕が合図したらって言ったのに、いきなり降りるなんて……。反応できたから良かったけど、危ないじゃないか」



 呆れきったような声に視線を前に戻すと、その声の通りな表情の従兄と目が合った。



「……反応……。さっきのはお兄様が?」


「そうだよ。ケガはない?」


「……うん、へいき。ありがとうございます」



 母方の親戚であるエバーグリーン家は、風の魔力の系譜。

 魔法を使ったことのない私にはその仕組みは分からないけれど、たぶん身体を包むような風で落ちるスピードを緩めた、といったことをしたのだろう。


 ────でも、本当に?


 状況的にお兄様のおかげなのだと、頭では理解できている。

 しかし私の胸の内に、謎の違和感が広がっていた。お兄様だけではなく、あの一瞬に聞こえた声の主のおかげのようにも思えてならない。


 春に遠乗りに行った時にも、似たようなことはあった。でもあの時の声はとても明るくて、無邪気な女の子の声だった。

 それが今の声は、あの時のものとは違う落ち着いた声で、それも私に呆れているような口調だ。

 フォッグ先生はその声の主は精霊だろうと言っていたけれど、今のも精霊だったんだろうか。



「ありがとう」



 周囲の人には聞こえない程度の、小さな感謝の言葉。

 拾ってくれる存在がいるかは分からない。けれど、いてくれたらいいと思って私は呟いた。


 その後私は、乗馬が全身運動であり、自分の身体の貧弱さを思い知ることになる。

 要するに全身筋肉痛地獄。立ち上がろうとすれば、プルプルと生まれたての子鹿のようになったのである。

 無様ここに極まれり。


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