32.孵化


「予知夢というものを知っているかい?これから起きる出来事……未来を夢に見ることをそういうんだが、どこかで聞いたことは?」


「聞いたことならありますけど……。え、まさか私が予知夢を見たっと仰りたいんですか?」



 ないないない!いくらここが魔法ファンタジー世界だからと言って、魔力を発現させていない私がそんなマジカルファンタジー現象を起こすわけがない!

 そういう意図で力強く首を左右に振る。しかし先生は、そんな私の主張を無視するようにティーカップに口をつけた。



「一概に言い切れないけれど、そこまで頻繁に見るのなら何か意味のある夢の可能性がある。それに魔力のある者なら、予知夢や正夢を見ることは珍しくない」


「でも私は今も魔法が使えないままです。魔力にある人が見る夢を、そうじゃあない私が見るなんておかしいですよ」


「ミシェル、前に言ったはずだよ。君のご両親もその先代もみんな魔力のある人なんだから、今は使えなくても、いつか発現する可能性がある」



 先生の言葉を、絶対にありえないと言うことはできない。

 乙女ゲームにはモブとして十五歳のミシェルが登場していた。

 それはつまり、ゲームの舞台である魔法学院に入学しているということ。五年後の私は、魔法が使えるようになっているかもしれないということだ。

 でも十歳以降で魔力が発現するのは珍しいことで、そんな珍しいことがモブキャラである私に起きるとは思えない。そもそも魔法学院には魔力がなくても貴族であれば入学できるのだから、ミシェルがゲームに登場しても魔法が使えない設定だった可能性も考えられる。

 しかし私は、毛玉を──図鑑では魔法生物となっているが他の人には見えない、精霊説がある存在が見える。花畑で声を聞いた。王都では陽炎のような揺らぎも見えた。


 私、ミシェル・マリー・パールグレイは、血筋を考えると魔力に関係する潜在的な素養があるかもしれないけれど、ゲームで悪役サイドのモブというポジションを考えると素養はないかもしれない。どっちの可能性も大いにある微妙な存在のだ。

 だから先生の言葉を絶対にありえないとは、言い切れない。



「……私、ただ、昔の記憶を夢で見てるんだと思ってました」


「昔の記憶?なぜそんな風に思ったんだい?」


「前に聞いたことがあるんです。夢っていうのは記憶の整理をするために見るものだって。だから過去のことだと思ってたんですけど……未来のことだったんですね」



 私が思い出せない、ミシェルの記憶だと思っていた夢。きっとこれが三年より前のことを思い出すきっかけになると思っていたのに、まさか逆の現象だなんて驚きだ。

 今は手汗しか出なくても、いつか憧れの魔法が使えるようになるかもしれない。

 自然と浮かぶ笑みを隠すようにカップに口を付けると、さっきよりぬるくなっていたカモミールティーはしっかりと味と香りが楽しめた。



「確かに夢というのは昔に会った人が出たり、昔見た光景を見たりすることはある。でも何度も同じ夢を見るとなると、これから起きる何かを暗示していると思うよ」


「暗示ですか……。なんだろう?」


「予知夢というのは抽象的だからね。本当に覚えているのは音と温度だけかい?それがどこで、誰かが出てくることは?」


「寝ている間は他にも見ている気がしなくもないんですけど、起きるとどうしても……」



 苦笑いを浮かべると、先生も困ったように首を傾げて苦笑する。

 音と温度、それを感じて「ああ、よかった」と思う以外は本当に覚えていない。だからこそ悪夢とも思わないで、きっと昔のことなんだろうと楽観的に思っていたのだ。

 せっかく未来のことを夢に見ているのに、それが何なのか覚えていないなんて我ながらポンコツ具合が情けない。きっとこういうことを宝の持ち腐れと言うのだろう。



「先生、こういうことには詳しいですか?」


「私としても力になってあげたいけれど、さすがに人が見た予知夢を診断はできないね」


「ですよねー」


「ああ、でもあの方なら何か分かるかもしれないな」



 先生は何かを思い出したのか、ポンと膝を叩き、私を見た。



「前に君に話したろう。私が師事した魔法薬学の研究者で、根っからの精霊肯定派の方のこと」


「ええっと、見た目も中身を変わってるという」


「あの方は魔力も変わっていてね。未来を見るというのは十八番だ」



 あの方に任せれば確実だと、先生は一人で勝手に納得して頷いている。


 魔法薬学の学者。精霊の存在を信じていて、予知夢にも詳しい人。

 前にその存在を教えてもらった時は、ただぼんやりと変わった人がいるんだなと思った。でも今改めて考えてみると、むくむくと興味がわく。


 毛玉や陽炎のような揺らぎを見えることは、家族にも使用人にも、もちろんフォッグ先生にも言っていない。

 だから相変わらず毛玉が魔法生物なのか精霊なのか分からないままだし、あの揺らぎがどういう存在なのかも分からないまま。そして何より、なぜ王都に行って以来私には他の人には見えない存在が見えるようになったのかが、分からないままだった。

 その人に会えば、誰にも相談できずに抱え込んでいた疑問の答えが得られるかもしれない……。



「ミシェル。私があの方に相談をしてみるから、夢についてもう少し詳しく教えてくれるかい?」


「あの、自分で聞いてみたいです。どこに行けばその方に会えますか?」



 そう言うと、先生は大きく開いた目で私を見た。



「驚いたな、君がそんなことを言い出すなんて」


「そうですか?」


「そうだよ。出会ってから二年以上経つけれど、君がどこかへ行きたいとか誰かに会いたいとか言うのを聞いたのは、これが初めてだ」



 そうだっただろうか。いや、そう言われて改めて考えてみるとその通りだ。


 前世を思い出す前のミシェルわたしは、お父様を筆頭とした周囲の人々に「外へ出てはいけない」と言われて「そうなんだ」と何の疑問も抱かずその通りにしていた。

 お母様とお姉様が外出しても黙って見送り、お兄様とお祖父様も自分が会いに行かなくても来てくれるからいいやと思っていた。友達がいないから、それ以外に会いに行きたい人なんていなかった。


 前世を思い出し“私”の人格が加わってからは「公爵家の次女なら社交場に出るべき」とお父様に言ったけれど、それは客観的な事実。そして五年後の未来を変えるためだ。

 具体的にどこへ行きたいという願望ではなかった。

 それに例え異世界転生していようと、破滅する悪役令嬢の妹ではなかったらそんなことは思わず、今も変わらず悠々自適なひきこもり生活を謳歌していたかもしれない。


 遠乗りも、お祖父様に誘われたから。

 王都に行ったのも、お父様に言われたから。

 王妃様のお茶会は我が家と王家の関係を悪化させないためであり、二度目の登城も国王陛下とエリック王子から手紙が届いたからだ。

 今までミシェル・マリー・パールグレイが、特定のどこかへ行って、特定の誰かに会いたいと言ったことは一度もなかった。

 どうして、そうだったんだろう……?



「ミシェル、君は少し変わったね」


「え?ああ、ハイそうですね。急に具合が悪くなることのなくなって……」


「それももちろん変わったことだけれど、今のは内面についてだよ」



 真っ直ぐに向けられた内面という言葉に、ギクリとした。

 前世を思い出して“私”の人格が加わってからも、それまでのミシェルわたしと違うと指摘されたことはなかった。超ド級のシスコンであるお姉様ですら、私がそれまでと違うことを指摘してこなかった。

 それはきっと、わたしに“私”の記憶や人格が加わって私になっても、ミシェルである事は変わらないからだと思っていたのに。

 それをまさか、こんなところで……バレるなんて……。



「わたし、は……」


「ああ、違う違う。私は褒めているし、君が変わってくれて嬉しいんだ。だからそんな顔をしないでも大丈夫だよ」



 穏やかで包み込むような声でそう言うと、先生は立ち上がり、テーブルを回り込んで私の座るソファーに腰を下ろした。


 あれ?違う?じゃあミシェルに“私”の人格が加わったことは、気づかれていないってことでいいのか?


 白衣から香るのは、少し青臭さのあるハーブと、ツンと鼻の奥を刺激する薬品らしき匂い。独特ではあるが不快とは思わないそれを嗅ぎ取りながら考えていると、先生の手が私の頭に乗った。

 ゆっくりと、宥めるように撫でられる。

 いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げると、丸眼鏡越しに視線がぶつかった。



「これまで毎月必ず君に会ってきたけれど、私はずっと君のことを不完全だと思っていた」


「不完全?」


「君ぐらいの歳だと、あれこれわがままを言うのが普通だ。けれど君は大人の言葉をよく聞いて、良い子すぎるぐらい良い子だった。その子どもらしくない様子は、私には人として必要なものが欠けている……まるで人形のように見えていたんだ」



 以前「いつまでも私が、あなたのお人形でいるとは思わないで」とお父様に言ったことが脳裏に浮かんだ。



「でも君は春頃から嫌なことは嫌だと言うようになった。そして気づけば外へ出るようになり、自分が何をしたいか考えて言うようのなった。ずっと君を見てきた私にとって、これは大きな変化だよ、ミシェル」


「……そうですか?」


「ああ。外へ出て、君は何を感じた?それら全ては、周りの言葉をただ飲み込んで良い子に部屋の中にいた頃には、感じることのなかったものばかりではなかったかい?」


「……それは……」


「君がその目で見て、耳で聞いたすべてのことは君の一部となって、君の中で欠けていたものを補い始めた。そしてそれは今後も続き、きっと君は外へ出るたびに人形ではなくなる。本当はすでになっていたはずの、本物のミシェル・マリー・パールグレイを取り戻すことになっていく」



 ────そうだ。

 お父様に許可をもらってから初めて庭の散歩をした時、大切に守り育てられた温室の花とは違う、自然の雨風に晒されながらも日の光を浴びて咲く誇る草花の力強さを感じた。

 お祖父様に誘われ遠乗りに行った時、人を背に乗せ歩く馬のたくましさを感じた。森の穏やかさを感じた。一面に広がるシロツメクサに、美しさを感じた。

 そして王都に行った時、毛玉のような前世の世界にはいない存在に出会えて興奮した。社交界という場所に溜まる人の感情に恐怖した。前世の平和な世界と違い、子どもだけで行動することは危険なのだと学んだ。

 外へ出て、見て、聞いて、触れて、出会ったそれらすべては、お父様の言い付けを守っていた頃には得られなかった。お父様に反発したから、得られたものばかりだ。

 ミシェルわたしを人形にしていたのは、外に出ることを禁じた周りの人達だ。

 ────先生の言っていることは、ぜんぶ正し…………



「ピーッ!」


「いったぁ!?」



 突然の鋭い痛みに、どこかぼんやりとしていた意識が引き戻された。

 そして何事かと思って確認すれば、ソファーについていた手に毛玉が噛み付いていたではないか。



「な……!」



 なにするの、と言いかけて慌てて口をつぐんだ。

 毛玉の存在は私にしか見えない。それなのに誰かに抗議するようなことを言ったら、先生に不審がられてしまう。というか急に痛がった時点でもう不審がられている。手も痛いが視線も痛い。



「ミシェル?どうしたんだい?」


「あ、えっと、実は昨日ちょっと転んで手をついたらグキッてなって……それが……」



 誤魔化すために手首に触れながらそう言えば、先生は捻挫かもしれないから診せてごらんと手を差し出してきた。

 しまった、医者相手にこの誤魔化し方は下策だったか。

 でも噛まれた手の甲を見ると、幸い血も出ていないし歯型もついていない。もちろん昨日転んでなんかいないけれど、話を合わせるために素直に診せた。



「ちょうど薬があるから塗っておこう。他に擦りむいたりはしてないかい?」


「は、はい。大丈夫です」



 先生はカバンから軟膏を出すと、無傷な私の手首に塗り、丁寧に包帯まで巻いてくれる。嘘なのにここまでしてもらって申し訳ない。

 それもこれも急に噛み付いた毛玉のせいだ。先生が部屋に来てから、ずっと出窓の専用クッションにいたのに一体いつのまに近くに来ていたのか。

 だいたいなんで噛んだの。今までそんなことしてきたことないのに。

 手当てをされながら毛玉をちらりと見る。すると丸い体で器用にソファーの肘置きから背もたれ、さらに棚へと移動し、最終的に置き時計の前で止まった。そして見ろとばかりに飛び跳ねる。



「あ……」



 先生が来てから一時間が過ぎようとしていた。

 まだ乗馬と夢のことしか話していないはずなのに、いったいいつのまにこんなに時間が経っていたんだろう。毛玉が教えてくれなければ気づかなかった。



「先生、もう時間になりますね」


「ああ本当だ。でもミシェル、別に一時間と決まっているわけではないんだよ?君がまだ話したいことがあるのなら、それより長く話をしたって問題はないさ」


「問題ならあります。今こうしている間に、診療所には先生を必要とする病人が来ているかもしれないじゃあありませんか」



 私はのんびりお茶を飲みながら近況報告をするだけなのだから、いつまでも先生の引き止めるわけにはいかない。先生を必要としている人は、ここではなく外にたくさんいるのだ。



「……君にそこまで言われたら、早く帰らなくてはいけないね。さっきの話に戻るけれど、夢の件は自分で聞いてみたいんだよね。そうなると、君に遠出をさせるのは主治医として認められないから、まずは手紙を出すといい」



 先生は懐から手帳を出すと何かを書き込み、それを破いて渡してくれた。

 二つ折りのそれを開いてみると、どうやら例の学者さんの名前と住所だった。



「筆の遅い方だけど、君の手紙ならすぐに返事を出すはずだ」


「ありがとうございます!……あっ、この事はお父様に報告しますか……?」


「その言い方だと、秘密にしてほしいのかな?」


「夢のことはいいんですけど、夜中に起きているのを知られると乗馬の稽古を中止にされそうなので……」



 それは困るのでと言うと、先生はふうと息を吐いた。



「仕方のない子だね。いいよ、黙っていてあげよう」


「本当ですか?!」


「君が私にわがままと言うのも初めてだからね。ただし今回だけだよ。次に会うまでに一度でも体調を崩せば、すぐに公爵に報告するからね」


「はい!」



 よしっ!これで稽古事の中止は回避できる!しかも精霊について相談できるコネクションもゲットできたぞ!

 私は子どもらしくにっこり笑いながら、心の中でガッツポーズをした。

 そうしている間についに一時間が経過してしまった。慌てて使用人を呼び寄せ、先生をお父様の元へ案内するように頼む。



「ミシェル。これからはたくさん外へ出て、たくさんの物事に触れておいで。それは君の糧になる」



 言いながら先生は私の頭を撫でた。私に軟膏を塗ったせいか、さっき白衣から嗅ぎ取ったものよりほんの少しだけ不快感のある臭いが鼻をかすめる。

 しかし先生の言葉は、長年ひきこもりをしていた私にとって嬉しいものだ。不快感は顔には出さず、撫でる手を受け入れ頷いた。



「それじゃあまた来月に。無理だけはしないようにね」


「はい。ありがとうございました」



 先生が使用人と共に部屋を出て、扉がきっちり閉まるのを待って大きくため息をついた。



「……一瞬、変なこと考えたなぁ……」



 周囲の人が「外へ出てはいけない」と言ったのは、少しのことで体調を崩すミシェルわたしを心配してのこと。それを疑問も抱かず反発もせず、「お父様達がそう言うんだから出てはいけないんだ」と鵜呑みにしていた……人形でいたのはミシェルわたし自身だ。

 周囲を責めるのは間違いだと、ずっと前に結論が出ていたじゃあないか。

 それなのにどうして先生の言葉を聞いた瞬間、真逆のことを考えたのだろうか。

 毛玉に噛まれなければ、あの先は何を考えていただろうか。



「毛玉、おいで」


「ピー……」


「大丈夫。怒ってないよ。驚いて声が出ただけで、そんなに痛くなかったし」



 置き時計のそばにいる毛玉に手を伸ばす。しかし毛玉は手には乗らず、ぴょんと直接肩に乗った。



「どうしたの?」


「ンブゥ」


「もしかしてコレが嫌なの?」



 毛玉に差し出した手は、噛みつかれた手。つまり転んで捻ったと誤魔化した結果、先生に軟膏を塗られた手だ。

 確かに軟膏の臭いは、包帯越しでもはっきりと分かるぐらいに臭い。人間の私にも不快感があるのだから、毛玉はより敏感に嗅ぎ取れるのかもしれない。

 先生には悪いけど、どうせ怪我は嘘だから包帯も取って、軟膏も洗い流してしまおう。私はスルスルと包帯を取ってゴミ箱に入れると、手を洗うために部屋を出た。


 ────私はもう、何が正しくて何が正しくないか、自分で判断できる。



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