31.妹、みる


 乗馬の稽古は、お祖父様がみてくれることになっている。

 しかしお祖父様はお父様と同じで、仕事の関係で王都にいる時間が長く、私のためだけに王都を離れることはできない。なので次にお祖父様が来るまでは相棒となった白馬、ユーゴと名付けたあの子とさらに仲良くなり、手早く馬装を取り付けられるように自主練習をすることに決めた。



「おはようユーゴ。今日はまだ誰にも噛み付こうとしてない?」



 朝食後の日課である散歩のルートが花の咲く庭から厩舎方面へと変わり、午前中だけで二時間以上はユーゴと戯れるのが当たり前になっていた。

 そして私は今日も毛玉を連れ、厩舎を訪れる。



「今日はニナが一緒なの。ブラッシングは外でするから、先に頭絡つけさせてね」



 押し付けられる顔を撫でながらそう言って、馬丁が持ってきてくれた木箱の上に乗り、頭絡を素早く取り付ける。

 最初にやった時はお祖父様を見本におっかなびっくりだったけど、毎日繰り返していたら見本なしで一人で付けられるようになった。

 でもそれはユーゴがうちに来る前に調教されていて、初心者丸出しな私に合わせて大人しくしてくれるからだろう。他の馬だったらこうはならない。

 なにせ私は、他の馬にめちゃめちゃ舐められているからだ。

 バカにされているという意味ではなく、物理的に。少しでも隙を見せると本当にベロベロされるのだ。



「ねえ、ちょっとコリーヌ。やめてって毎日言ってるよね、私」



 特にひどいのがユーゴの隣の個室にいる青毛の牝馬、コリーヌ。

 彼女は私がユーゴの世話をしていると、必ず柵越しに首を伸ばして、鼻先で小突いて転ばせようとしたり、やめてと拒絶の意味で伸ばした手をベロベロ舐めたりしてくる。



「お嬢様、馬に好かれますね。ユーゴだってすっかり手懐けてますし」


「ユーゴや他の子はともかく、コリーヌは違うわ。見て、あのバカにしたような顔。困る私を見て楽しんでるのよ、絶対に」



 私を見て歯をむき出しにしているコリーヌを指差せば、他の馬の世話をしていた馬丁達は苦笑いを浮かべる。



「お姉様の馬なのに本当に可愛くない!」



 私にちょっかいを出すコリーヌがユーゴの隣なのは、お姉様の愛馬だからだ。

 姉妹の馬なら隣同士の方がいいだろうと馬丁達が移動させたそうだけど、まったくもって余計なことをしてくれた。

 体の大きい馬が本気を出せば、子どもの私に怪我をさせるのは容易い。それに舐められるだけで噛みつかれはしないので、嫌われているわけではないだろう。でもこうも毎回邪魔をされ、バカにされれば、好きになれるわけがなかった。

 お姉様の愛馬じゃなかったら馬刺しにして食ってやるところだったのに!



「行こうユーゴ。ニナが待ってる」



 私はコリーヌからぷいっと顔を背け、手綱を引いてユーゴと厩舎を出る。すると私を待っていてくれたはずのニナのそばに、一人の青年がいるのが見えた。

 あれは確かうちにいる馬丁の中で最も若くて、ダリウスという名前だったはずだ。

 下っ端として厩舎周辺の掃除でもやっていたのか、ホウキを持ったダリウスはとてもにこやかで、そんな彼の話を聞いているニナもとても楽しそうに見える。



「はっはーん。なるほどねぇ、だから最近、ユーゴの世話の間も私と一緒にいるわけだ」



 私が庭に出る条件の一つ、決して一人にならないこと。

 それを守るためニナは毎日私の散歩に付き合ってくれているけれど、散歩コースが厩舎に変わったばかりの頃は私をここに送り届けると屋敷に戻っていた。それは私が「厩舎には馬丁達がいるからニナは戻って大丈夫だよ」と言ったからであり、ニナには侍女として他の仕事があるからだ。

 しかし少し前から、すぐには屋敷に戻らなくなり、次第に滞在時間が長くなり始めたと思ったら、私がユーゴの世話を終えるまで待つようになっていた。

 ニナとダリウスは歳が近かったはず。あの楽しそうな様子を見ると、つまりそういうことだろう。



「毛玉、ユーゴ。人間の言葉にはね、他人の恋路の邪魔をすると馬に蹴られるって言葉があるの」



 覚えておいてと言えば毛玉は「ピイ」と鳴き、ユーゴは鼻息を拭いた。


 それにしてもニナとダリウスか……。

 私の存在に気づかない二人を見て、ほんの一瞬だけ考える。そしてはじき出された答えに、私は頷いた。



「ダリウスー、暇なら仕事を頼みたいんだけどー!」



 気持ち大きめの声で呼びかけると、二人は面白いぐらいビクッと肩を跳ね上げる。

 完全に二人の世界だったらしい。



「は、はい!何でしょうか、お嬢様」



 ホウキ片手にすっ飛んできたダリウスの顔には、見られてたのかという焦りの汗が浮かんでいた。



「ねえダリウス、あなた、歳はいくつだっけ?」


「え?えっと、十九ですが?」


「十九……。知っているかもしれないけど一応言っておく。ニナは十八歳、親の同意なしに結婚できる年齢よ」


「えっ?!いや、あの、お嬢様、俺は別に……」


「ふぅん、そういう反応なの。じゃあ最近入った料理人見習いが、やたらとニナに話しかけていて、次の休日に一緒に買い物に行かないか誘っているという情報は不要だったね」



 にやぁと笑えば、ダリウスは顔を引きつらせる。

 そして一度ちらっとニナの様子をうかがってから、ユーゴに噛みつかれないギリギリの距離までにじり寄ってきた。分かりやすいにも程がある。



「ほ、本当ですか?その話」


「うん。私、使用人の内部事情には詳しいもの。ところでダリウス、仕事のことだけど」


「……はい、なんでしょう」


「私はいつも通りユーゴの手入れと練習をするから、ブラシと馬装一式を運んでくれる?」


「かしこまりました……」



 ダリウスは明らかに気落ちした表情で頷き、仕事を全うしようと厩舎に入っていこうとする。

 待て待て待て。人の話は最後まで聞きなさい。

 私は去りゆくダリウスの服の裾を掴んだ。



「私が手入れと練習している間、ニナはユーゴに噛まれないよう少し離れた場所に一人でいるの。その時、誰と何を話そうと私には聞こえない。あとニナの好みは真面目に仕事をこなす誠実で明るい人。料理人見習いはそれとは真逆の男よ」



 ここまで言えば察しがつくだろう。掴んでいた服の裾をパッと離して「分かったら今すぐ持ってきて」とだけ告げると、私はユーゴを引き連れ、ニナの待つ方へと向かった。

 振り返らなくても、厩舎に入っていく慌ただしい足音が聞こえたからもう大丈夫だろう。



「ンブッ!」


「今のは邪魔じゃなくてお節介っていうの」


「ブー……」


「だってあの料理人見習い、ニナに声かける前はお姉様付きの侍女にしつこく迫ってたんだもん。そんな奴にニナはあげないけど、ダリウスならきっと相性がいいから大丈夫だよ。私達みたいにね」



 私と毛玉とユーゴは、会ってすぐに一緒にいることを選んだ。

 それと同じようなことがニナとダリウスの間にもあったように見受けられた。そうじゃあないと、こんなことはしなかっただろう。

 ニナはひきこもり時代からの私の唯一の侍女だ。他の使用人がどうでもいいわけではないけれど、そんなニナを特別大事にしたってバチは当たらないはずだ。





 数日後、私の月一の検診とニナの休日が重なった。今までこんなことは一度もなかったけど、どうやら私が王都へ行って検診の周期が変わってしまったのが原因のようだ。

 唯一の専属侍女の代わりを務めてくれるのは、ニナの同僚であるアガット。彼女に話を聞けばニナは私を心配して、ギリギリまで休日を一日ズラそうとしていたらしい。



「でも結局はちゃんと出かけたんでしょう?」


「はい。ずいぶんとおしゃれをして出かけて行きました」


「一人で?」


「それを聞くのは野暮というものですよ、お嬢様」


「それもそうだね」



 にっこりといたずらっぽく笑うアガットに、私も同じような笑みを返した。

 その後朝食を終え、私はアガットと一緒に日課である散歩のついでに厩舎へ向かった。すると案の定そこにダリウスの姿はなく、馬丁達に話を聞けば彼は数日前に慌てて休暇のお願いを出していたらしい。

 たくさんいる我が家の使用人の中で、歳の近い男女が同じ日に休みをもらう。つまりそういうことだろう。

 私はお節介はするけど、馬に蹴られたくはないのでそれ以上は誰にも何も聞かないで、いつも通りユーゴの手入れをした。コリーヌにもベロベロされた。

 そして午後は予定通り、主治医のフォッグ先生と定期検診という名の近況報告のティータイムだ。



「乗馬の稽古は順調かい?」


「それがまだ乗れていないんです。愛馬に選んだ子は少し訳ありだったんで、乗る前の準備を先に習うことにして……。あ、でも明後日にお祖父様が来てくれるので、次こそは乗る練習を始めるつもりです」


「おや、そうだったのか。なら体調はどうだい?近頃は安定しているようだけど、何かあるようなら主治医として止めたいのだけど」


「大丈夫ですよ。もうここ二ヶ月は倒れることも熱を出すこともないです!このまま体力をつければきっと……」


「嘘はいけませんよ、お嬢様」



 大丈夫、そう続けようとしていた私の言葉を遮ったのは、お茶の用意をしていたアガットだった。

 私と先生の前に温かいハーブティーを注がれたカップを置きながら、「知っていますよ」と言う。



「最近は頻繁に夜中に目を覚まして、その分、日中に仮眠を取られているそうですね」


「なんでアガットがそのことを……」


「お嬢様が先生に隠すようだったら、心配だから言っておいてとニナに頼まれてました」



 ニナめぇ……余計なことを……!

 とは言え主人の体調管理は、側付きの使用人の仕事の一つだ。ニナは私の専属侍女として当然のことをしただけだから、怒るのは間違いだ。当然、ニナの代理であるアガットにも怒れない。

 アガットは本当に隠すなんてと言いたげな目で私を見てから、頭を下げて部屋を出て行く。これも定期検診中は私と先生の二人きりという普段のニナの行動と同じなので、やっぱり怒れなかった。

 アガットを見送った私は、正面から伝わってくる無言のプレッシャーから逃げるようにお茶を飲んだ。



「ミシェル、どういうことかな?」


「……」


「不眠は立派な病気。主治医に相談しないのなら、いったい誰に相談するつもりだったんだい?」



 リンゴに似た香りのカモミールティーは美味しいけど、今はあまり味がしなかった。



「不眠なんて大げさです。実際私は体調を崩していません」


「今はそうでも、あまり長く続くようでは影響が出てくる。毎晩かい?」


「いえ、週に一回あるかどうかです」


「ミシェル」


「……週に二、三回」



 乗馬と剣術の稽古を中止されるのが嫌だから黙っていたのに、付き合いの長い主治医に隠し事はできなかった。

 諦めて白状すれば、先生は顎に手を当て考え込んでから、足元に置いていたカバンから手帳を取り出し書き込み始めた。



「確か君は今までも夜中に起きることがあると言っていたね。でもそれこそごく稀のことで、週に二、三回という頻度ではなかった。いつからだい?」


「夏の終わり頃です。王都から帰ってきてすぐの頃には、本当に週に一回あるかどうかだったんですけど、だんだん夢を見る感覚が短くなって……」


「夢?」



 先生が手帳から顔を上げて私を見る。

 訝しむようなその目が少し居心地が悪くて、私は自分の手の中のティーカップを見下ろした。



「どんな夢だい?」


「それが、あんまり覚えていないんです。寝ている時にはちゃんと見ているはずなんですけど、起きると忘れてしまって……。起きてからも覚えているのは音と温度と、それを見て私が『ああ、よかった』と安心するということだけです」



 淹れたてのハーブティーの温度が、カップ越しに手に伝わる。そのじんわりとした熱は、夢の中で感じる熱とは違う気がした。

 あれは、なんの温度なんだろうか。



「水……いえ、お湯が入った袋が固い床に落ちて、その中身のお湯が足元に流れてくる。そんな感じの音と温度だけで、あとは何も……」


「その夢を見るたびに、目を覚ます?」


「はい。でも起きてもすぐにもう一度眠れるので、本当に大したことじゃあありません。大丈夫です」



 そう言って顔を上げた瞬間、びくりと肩が揺れ、ハーブティーがほんの少しだけ溢れてスカートにシミを作る。

 温厚な主治医の丸眼鏡越しの目が、知らない色をしているように見えたのだ。



「先生……?」



 釘づけとは少し違う感覚。しかしまじまじと正面に座るその人の顔を見て、ふとこんな疑問が浮かんだ。


 この人は、こういう顔をしていただろうか?、と。


 主治医となってくれた二年前から毎月会っていた。会って、二人きりで話をしていた。でもこうしてじっくり顔を見るのは初めてな気がする。

 少し毛先のはねた黒髪。特別白くもなければ日焼けしているわけでもない肌。分厚い丸眼鏡の向こう側の瞳は、黒。

 髪色に髪型、肌の色、瞳の色、輪郭や顔のパーツの形をはっきりと見たのは、見ようと思ったのは、これが初めてだ。

 ……あれ、でもこの感じ、少し前にもどこかで……?



「ミシェル」


「え、あ、はいっ」


「夢をせいで夜中に起きるという話は、他に誰かにしたかい?」


「いいえ、起きていることは侍女は知っていますが、夢が原因ということは誰にも話していません。ただの夢ですし」



 誰にも話していませんとゆるく首を横へ振ると、先生は手帳をぱたんと閉じた。



「ただの夢では、ないかもしれない」



 手帳を大事そうに懐へしまいながら告げられた声は、とても静かだった。

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