第2章

29.母心と秋の空



 乙女ゲーム『アルカンシエルの祈り』の世界に転生していると気付いてから、季節は二つ変わって秋。

 私、ミシェル・マリー・パールグレイは社交期が終わったことにより、領地の本邸に戻ってきた。


 王都にいた頃はソフィアお姉様も、婚約者(仮)であるエリック王子と関係を深めるために週一ぐらいのペースで王城へ行っていたけれど、戻ってきてからはそれもできない。代わりに文通をしているらしい。



「見てミシェル!エリック様からお手紙が届いたわ!」



 お姉様は手紙が届く度に、嬉しそうに報告してくる。

 私にも時おり届くけれど、軽く目を通した様子ではエリック王子の不遜レベルはほんの少しだけ下がっているようだ。成長しているようでなにより。

 でもまだまだ私の大事なお姉様の婚約者には相応しくない。手紙は私専用温室を温めるためのストーブに放り込み、三回に一回ぐらいのペースで出す返事には痛烈な言葉を綴っている。


 二人に与えられたポジションは、攻略対象と悪役令嬢。

 本来は一方通行な愛による婚約だったのに、今ではお互いに望んで、ゆっくりと愛を育んでいる。

 未来を知り、最初は婚約を阻止するために動いていた私としては、その変貌ぶりには苦笑いを浮かべる始末だ。



 それから攻略対象というと身近にもう一人いるけれど、そのジャンお兄様は、頻繁に我が家に来ては手紙では分からないお姉様の様子をエリック王子に教えてあげているらしい。なんでもエリック王子に頼まれたそうだ。

 先日はその件について「あいつは僕をなんだと思っているんだか」と私に愚痴を言っていた。


 ゲーム中のジャンは、悪役令嬢を嫌っていた。それが今ではお姉様とエリック王子の恋路の手伝いをしているのだから、やっぱり未来を知っている私としては、苦笑いを浮かべるしかなかった。



 そんな感じで、春から夏にかけての騒々しさが嘘のように静まり、特に大きなトラブル……は一つだけあったけど、それも落ち着いた今は穏やかな日常を送っている。



「あ、ステッチ間違えた。まあ、これで統一しちゃえばいいか」



 今日はお母様もお姉様も外出しているため、元ひきこもりな私は日課の散歩を終え、今は自室で刺繍に勤しんでいる。


 刺繍は前世を思い出す前のミシェルの趣味。行動範囲が屋敷内に限定されていたミシェルが、留守番中にやることと言えば、温室で植物の世話、書庫で乱読、自室で刺繍、手の空いている使用人に構ってもらうの四択だった。

 ちなみにお父様だけは安定の別邸生活であり、顔を見たのはたぶん二週間ぐらいは前だ。私との間の溝は少しも縮まっていない。



「毛玉、黄色の糸取ってー」


「プピ?」


「えっと昨日、私がタルト食べてたでしょう?あれに乗ってた栗と同じ色」


「ピィ!」


「そうそう、その色。ありがとう」



 真っ白い毛並みをふわふわ揺らしながら動き回る毛玉こと、ゴッサマーという謎の生き物。王都の屋敷で出会ったこの子は、私が本邸に帰るのについてきてしまった。

 帰る前に何度か「最初からここに居たんなら、ここに残ってもいいんだよ?」と言ったけど、返ってくるのは否定の鳴き方。一緒に行くの一点張りだった。

 すっかり懐かれてしまったようだ。


 バスケットの中から黄色の刺繍糸を持ってきてくれら毛玉に、お礼のバラの砂糖漬けを一つあげる。

 嬉しそうにもしゃもしゃ食べるのを眺めて、私は傍らに置いてあったノート『毛玉観察帳』に書き込んだ。



「色の判別は可能……っと」



 うちの書庫にあった魔法生物図鑑には、ゴッサマーという生き物は目撃数が少なく生態が不明と書かれていた。

 しかしこうやって一緒に生活すると、ゴッサマーの目撃数が少ないのは珍しい存在だからではなくて、そもそも見ることができないからだと気づいた。見えなければ生態の調べようがないから、不明扱いになっているんだろう。

 なぜ私にだけ見えるのかは相変わらず謎だけど、とりあえず見えることを利用して観察した結果、色々なことが分かった。

 人の言葉を理解できる。食べるのは角砂糖かバラの砂糖漬け、時々ミルクも舐める。金髪が好き。色の違いは分かる。

 我ながら魔法生物図鑑の作者より、ずっとゴッサマーについて詳しいと思う。



「そういえばゴッサマーって一緒にいると幸運を運ぶらしいけど、毛玉、ちゃんとお仕事してる?誘拐されるのって不幸なことじゃあないかな?」


「ギュウウンッ!!」


「えっなにその声。エンジン音?」


「ンブ!ブブーッ!」


「怒らないでよ。本に書いてあったのが本当かどうか気になっただけだからさぁ」


「ブンッ!」


「あっコラ!返して!危ないでしょ!」



 私の手から針を強奪した毛玉は、糸で繋がった布と刺繍枠を引きずりながら部屋を逃げ回る。

 待て!刺さると危ないから返しなさい!あ、くそっ、意外とすばしっこい!



「おりやぁ!」


「ンビッ?!」



 はためく布を掴んで、糸で繋がった針を持つ毛玉を釣り上げた。



「もー!怒らせた私も悪いけど、針は危ないからダメだよ」


「ピィ……」


「ほら、離して。それにこれ、完成したら綿詰めて毛玉のベッドにするんだから。ぐちゃぐちゃの刺繍のベッドなんて嫌でしょう?」


「プーピー?」


「ずっと枕元で一緒に寝てたけど、この前、寝返りでうっかり潰しちゃったでしょう?だから毛玉専用のクッション作るから、今度からこれの上で寝るんだよ?」



 分かったら返して、と言うと、毛玉はパッと針から離れて床に着地した。そしてご機嫌を取るように足にすり寄ってピイピイ可愛く鳴く。

 自分の物を作っていると知って、もう邪魔をするつもりはないらしい。怒らせた私も悪いけど、きみも大概調子のいい奴だね……。


 ともあれ椅子に戻って作業を再開する。刺繍の図案は、秋分が近い今の季節に合わせてマリーゴールドやダリア、ドングリ、赤や黄に色を変えた葉っぱだ。

 前に誰かに、季節の植物には特別な意味があると教えてくれた。

 それがいつ誰から教わって、特別な意味とはなんなのか、相変わらず三年以上前の記憶がないせいで分からない。でも刺繍を教えてくれたのはお母様だから、たぶんお母様だろう。


 刺繍が済んだ布を袋状に縫い、用意しておいた綿をバランスよく詰めて最後の一辺も縫って口を閉じる。



「よし、でーきたっ!」



 ぱちんと縫い糸を切り、テーブルの上で完成を待っていた毛玉の前に置いた。すると毛玉は待ってましたとばかりに飛び乗って元気よく鳴く。気に入ってくれて何よりです。

 作業が終わった途端、くわぁっと大きなあくびが出た。



「んぷぷ?」


「ん~?昔からね、こういう細かい作業すると疲れて眠くなるの」



 今すぐベッドで横になりたいけど、散らかったテーブルを片付けないと。

 あと三十分もすればお茶の時間になるから、ばあやか私専属の侍女であるニナがお茶を持ってくる。ニナはともかく、ばあやにこの糸くずだらけのテーブルを放置して昼寝をしているのを見られたら怒られてしまう。

 毛玉は余った綿と間違えてしまいそうだから、クッションと一緒に出窓に避難してもらって、止まらないあくびを噛み殺しながら片付けをする。

 そしてテーブルがきれいになり、ばあやに怒られる前に証拠隠滅に成功した安心感から、さらに眠くなってきた。



「うう、目がしぱしぱする……。毛玉ぁ、私ちょっとだけ寝るから、三十分経ったら起こしてくれる?」


「ピ!」



 頼んだぞ、相棒。

 私はベッドに倒れこみながらそう言ったつもりだったけど、もうほとんど意識がなかったせいで、声には出ていなかった。









 ――――グチャッ


 耳の奥に響いたその音に、びくりと体が強ばり、目が覚める。

 起き上がって時計を見れば、寝ていたのは二十分ほどだった。



「また……」



 このところ、二、三日に一度ぐらいのペースで同じ夢を見る。

 熟れすぎた果実が硬い地面に落ちて、潰れるような音。次いで足元がかすかに温かくなって、私は「ああ、よかった」と思う夢だ。

 夢の中ではそれがなんなのか見ているはずだけど、目を覚ますとどんな夢だったのか忘れてしまう。よかったと思っているのだから、きっと私にとって怖い夢ではないのだろう。

 しかしあまりにも頻繁に見る夢だから、少しだけ気になって、最近の悩みの種である。



「夢かぁ……」



 しょせんは夢だと思って気にしないでいることはできる。

 でも私は前世で、夢というのは、寝ている間に脳が記憶の整理をするから見るものだときいたことがあるのだ。

 私のなかには、細かく分けると三人分の記憶がある。


 前世の“私”。前世を思い出す前のわたし。

そして“私”とわたしの意識が混ざり合って生まれた、今の私。


 しかし前世を思い出す前のわたしの記憶、つまり病弱ひきこもりぼっち令嬢時代のミシェルの記憶には、欠けた部分がある。思い出せる最も古い記憶は三年前のもので、それ以前のことは何も思い出せなかった。

 もしも夢が本当に脳が記憶の整理をしているから見るものであるとすれば、あの夢の出来事は“私”と私の記憶ではなく、思い出せないわたしの記憶ということになる。



「どうして、七歳よりも前のこと、なにも覚えていないんだろう……」



 赤ん坊の頃の記憶までとは言わない。でも十歳のミシェルが、たった七歳から十歳までの記憶しか覚えていないのは不可解だった。

 悩むな、気にするなという方が無理だ。



「ピー」



 手にもふりとした柔らかいものが触れる。温かいけれど、夢の中で感じた温かさはこれとは少し違った気がした。



「起こしてって頼んだのに、自分で起きれちゃった。もうちょっとしたらお茶の時間だから、このまま待ってよっか」


「ピッ!」



 ベッドの真ん中に座って毛玉のなで回していると、扉がノックされ、ニナがお茶の用意ができたと教えてくれた。

 しかし私の頭に寝癖がついているのを見て、心配そうに眉根を寄せる。



「どこかお加減が……?」



 毛玉を肩に乗せ、ベッドを降りながら慌てて首を振った。



「ううん。縫い物をしたらちょっと眠くなったから、休んでただだけ」


「ですが、近頃は夜もきちんとお休みになれていないようですし……。やはり乗馬のお稽古は、延期なさった方がよろしいのではないでしょうか」


「ニナまでそんなことを言わないでよぉ。せっかくお父様に許可をもらって、お母様とお姉様も説得できたんだから」



 お姉様の婚約騒動の際にお父様と交わした裏取引。婚約の邪魔をしない交換条件の一つである乗馬訓練の開始が、ついに来週始まるのだ。

 夏の暑さが過ぎ、私の体調も安定するのを待って、来週に決まった。同じく交換条件の一つである剣術は、乗馬訓練でさらに体力をつけてからということになっている。


 日程が決まるまでの道のりは本当に険しかった。これが夏から秋にかけての期間であった、唯一にして特大のトラブルだ。


 領の屋敷に戻ってきて少し経ったある日の朝食中、お父様は裏取引のことを隠しつつ、私の乗馬と剣術の話題を持ち出した。その瞬間、お母様は未だかつて見たことがないぐらい取り乱し、当然ながら大反対したのだ。



「ミシェルを殺す気ですか!」



 と声を荒らげ、興奮のあまり持ち前の風の魔力が暴発して、その風圧で食堂の窓ガラスが全部割れた。ひび割れ程度ではなく、粉々に砕け散った。

 とっさにお姉様とお父様が氷の壁でガードしてくれなければ、魔法が使えない私や使用人達に鋭利なガラス片が突き刺さっていただろう。


 その後、お父様がお母様を、私がお姉様を、それぞれ別室で納得させるための話し合いが行われた。

 話し合いと言っても、お姉様の方は事前に私がこっそり話していたことだから、私が「お姉様がエリック様と結婚しても会いに行けるようになるためです」と言えばあっさり納得。「心配だけどミシェルの選んだことなら正しいに決まっているわ」と相変わらずのシスコン発言をいただいた。


 一方お父様とお母様の方は長引いた。

 昼夜を問わずお父様の執務室で話し合いが続き、六日目には執務室の窓ガラスが割れ、割れたそこから氷柱が秋の空へと伸びた。

 その光景を庭から目撃した私とお姉様が慌てて執務室へと向かえば、扉は吹っ飛び、カーテンはレールごと落ち、ガラスがはめられていたはずの窓には床から這えた氷柱が突き刺さっていた。

 さらにソファーは凍りつき、恐らくお父様の仕事関連のものであろう書類がヒラヒラと宙を舞っているという地獄絵図のなか、対峙する両親は呼吸も荒くなければ服も乱れていなかったから見事なチートっぷりである。

 国の頭脳と評される名門公爵家当主と、社交界の華と評される麗しき公爵夫人の話し合いが肉体言語だったことに、私もお姉様もドン引きした。



「……ミシェル」



 私達の存在に気づいたお母様はくるりと振り返り、場にそぐわない穏やかな声で私の名前を呼ぶ。そしてドン引きして立ち尽くす私の前までくると、視線を合わせるようにうっすらと霜の降りた絨毯に膝をついた。



「私の可愛いミシェル。あなたは本当にいい子よ、悪いことなんて一つもしていないわ」



 生まれた時はお母様譲りの淡い金色だったらしいが、今ではお父様譲りの銀髪。でも好き勝手にうねる天然パーマはどこから遺伝したのか分からない私の髪を、お母様はそう言いながら撫でる。



「あなたがそれを心から望むのなら、私も応援するわ。でもねミシェル、決して無理だけはしないと約束してちょうだい。つらいと思ったら、すぐにやめてしまって構わないのだから」



 そう言って、ようやくお母様は私の乗馬と剣術の稽古開始を受け入れた。

 部屋を半壊させておきながら、お父様が何を言ってお母様を納得させたのかは分からない。しかし膝をついて話すお母様の後ろで、お父様は疲れきった顔で散らばる書類を拾っていたので相当大変だったのだろう。

 そんなこんなで、食堂と執務室という尊い犠牲を払い、私の乗馬と剣術の稽古の開始が決定し、現在に至る。



「このタイミングで私の体調が悪いなんてお母様に思われたら、振り出しに戻っちゃうわ。せっかく食堂と執務室が直ったのに……」



 あのチート夫婦喧嘩がもう一度起きるなんてごめんだ。

 ため息混じりにそう言えば、ニナも半壊した執務室を思い出したのか「そうですね……」と顔を引きつらせて同意した。



「それに私が夜中に起きるなんて、前から時々あっただもの。起きてもすぐに眠れるから大丈夫よ」


「少しでも気分が悪くなれば、我慢せず仰ってくださいね?」


「うん。それより、今日のお茶菓子はなぁに?」


「お嬢様のお好きなタルトタタンですよ」


「やった!」



 その時ふと、窓を軽く叩くような物音が聞こえた気がした。

 部屋を出ようとしていた足を止めて振り返っても、見えるのはよく晴れた秋の空だけ。そもそも三階であるこの部屋の窓を叩ける人なんているわけがない。



「お嬢様?」


「あ、いま行くー」



 風に乗って、枯れ葉でもぶつかったのかもしれない。

 そう思った私は、待っていてくれたニナの共に部屋を出た。

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