8.妹、外出する②





 使用人たちに見送られ、私の生まれて初めての外出が始まった。

 お祖父様と同じ馬に乗るなんて大丈夫なのかとひやひやしたけれど、玄関前で待っていてくれた逞しい黒馬は涼しい顔で私たちを乗せて歩いている。



「馬って力持ちなんですね」


「そりゃあそうだ。人や荷物が乗った馬車を引いて歩く生き物だぞ?」


「あっ、そっか」



 私の後ろに跨がり手綱を握るお祖父様の笑い声に、なるほどと思った。

 私は馬車に乗る機会なんてなかったけれど、だいたいの馬車は最大でも四頭で引いているというのは知識としてある。例えお祖父様が筋骨隆々の世紀末覇者みたいな体型でも、これぐらいならチョロいものなのだろう。

 えらいえらいと目の前の太い首を撫でると、バランスが崩れて落馬しそうになったので慌てて後ろのお祖父様に寄りかかった。

 ……うむ、ゴツい。全体重をかけてもびくともしない安定感と、包まれている安心感はあるけれど、いかんせんゴツい。たぶんボスゴリラの胸を背もたれにしたらこんな感じなのだろう。



「どうだミシェル、楽しいか?」


「はい、とっても楽しいです!」



 今世で生まれて初めての外出だ。なんだかんだ言って楽しいに決まってる。

 広いパールグレイ家の敷地を出て丘陵地帯から森に入ると、そこは獣道のようになっていた。少し空気がひんやりとしていて、でも茂る木々の隙間から差す陽の光は春の暖かさがある。馬の規則的な揺れと相まって、気を抜いたら寝てしまいそうなぐらい穏やかだ。

 きょろきょろと森の様子を観察するついでに、お兄様との距離を確認する。

 十一歳にして颯爽と馬を乗りこなしているお兄様は、ざっと見て私たちより馬三頭分は前にいた。これぐらい離れていれば、馬の蹄の音や木々のざわめきで、こっちの会話は聞こえないだろう。



「ねえ、お祖父様。さっき、どうしてあんな嘘をついたんですか?」


「嘘?なんのことだ?」


「お父様に頼まれて私を遠乗りに、という話です。あれは嘘ですよね。いくらお父様でも、じいやにすら話を通していないのはおかしいです」



 お父様と会って、私がひきこもり令嬢の汚名を返上したことを知ったのは本当だろう。

 なにせお祖父様は過去の大戦の名残とやらで騎士団長を名乗っているけれど、実際は国内で民を守る騎士と、周辺国からの脅威に備える軍、その両方を束ねる大臣職だ。国王陛下の最側近であるお父様と王都で会っていたっておかしくない。

 しかしその先は全て嘘だろう。あの父親が、娘の暇潰しに付き合ってくれなどと義父に言うわけがない。そもそもあの人は、私に屋敷の敷地から出ず、森にも入るなと言ってきた。たった二週間でその二つを破らせるわけがない。



「お祖父様は、私になにかお話があるんでしょう?だからお母様とお姉様がいない今日、使用人が同行できない遠乗りに誘った」



 私をやたらと自分の馬に乗せたがったのだって、二人きりになるためだろう。

 黙ってお祖父様の言葉を待っていると、手綱を握っていた右手が私の頭を撫でた。



「まったく……。相変わらず、ミシェルに下手な嘘は通用せんな」



 相変わらず?

 そんな風に言われる覚えはないけれど、話の腰を折りたくないので黙っておこう。



「アロイスは……お前の父は昔から頭は切れし弁もたつ男だが、仕事以外のこととなると途端に口下手になる。不器用なだけだ、あまり嫌ってやるな」


「この前お母様にも同じようなことを言われました」


「そうか」


「いい言葉も悪い言葉も、口に出さなければ永遠に伝わらない、と返しておきました」


「こいつは手厳しい」



 ガハハと大音量の笑い声に、近くの木に止まっていた小鳥が驚いて飛び去っていった。



「そもそも私は、お父様が嫌いってわけじゃあないですよ」



 何度だって言おう。嫌いではない、苦手なのだ。

 三年以上前のことは覚えていないけれど、苦手意識は例の「男であれば」発言よりも前から思っていたことであって、長い時間をかけて私のなかに根付いていたことだ。

 お父様や周りから何かを言われた途端に、それがきれいさっぱりなくなるほど私の心は広くない。

 そして自分の存在を全否定されていながら、嫌いと思えないぐらいには大事にされていたから複雑で、接し方が分からないから近寄りがたいのだ。



「……お祖父様は、私とお父様が揉めたことを聞いたんですね。お母様からですか?」


「そこまでお見通しか」


「連絡もなしに来るなんて、それ以外の理由が思い付きませんからね」


「それは違うぞ、ミシェル」


「え?」



 がっしりとした胸にもたれ掛かりながら見上げると、お祖父様の深緑色の瞳は真っ直ぐ前を見ていた。

 改めて見てみると鼻筋はお母様と似ていて、それはつまりソフィアお姉様と似ているということ。そして瞳の色はジャンお兄様のそれと同じ。いとこのわりに似ていない二人も、お祖父様を間に挟むと血の繋がりを感じられた。



「アロイスに頼まれたというのは嘘だが、全てがそうというわけではない。儂がただミシェルと馬に乗りたくて、だったらついでに話しでもするかと思っただけだ」


「えっと……それはつまり……?」


「孫を自分の馬に乗せて出掛ける夢を叶えたかっただけだ」



 叶えるのに十年かかったなとお祖父様は愉快そうに笑い、また私の頭を撫でる。今度はわしわしと雑で、せっかくばあやが整えてくれた髪が乱れてしまった。

 でも私は、この大きな手が好きだった。他の人……特にお母様とお姉様は私を過剰なほど丁寧に扱って、別にそれが嫌と言うわけではないけれど、私はお祖父様からの扱われ方のほうが嬉しい。

 お母様たちの扱われ方は、私は何もできないか弱くてちっぽけな存在だと言われているような気分になるのだ。

 お祖父様の撫でる手からは、心底嬉しいという気持ちが伝わってくる。そんなに喜ぶなら十年間ひきこもっていて良かったかもなと思ってしまう私は、たぶんかなりチョロいだろう。



「ミシェル、ついたよ!」



 前方からの声にはっとして視線を前に戻すと、お兄様は馬を止めて手招きをしていた。お祖父様に頼んで少し馬の歩調を早めてもらって横に並ぶ。

 するとその先に見えたのは、降り積もった雪のような白。森が終わり、開けたそこは一面シロツメクサが風に揺れる花畑になっていた。

 絵のなかに入り込んでしまったような光景に、自然と口から「うわぁ」と間抜けな声が出てしまった。



「気に入ったか?」


「はい!うちの近くにこんなところがあったんですね!」


「外へ出られるようになったとは言え、あまりお前を遠くへ連れていくわけにはいかんからなぁ。昔偶然見つけた場所だったが、今も残っていたか。そら、行ってこい!」



 言いながらお祖父様は馬を下りて、次いで私を抱いて下ろしてくれた。

 せっかくきれいに咲いた花を踏むのはなんだかんだ申し訳ないけれど、ふわっさくっとした感覚は初めてでつい感動してしまう。

 でも、行けと言われてもどうすればいいのか分からない。まごついていると、馬を下りたお兄様がおいでと手を差し出してきた。


 うぐっ、どうしよう……。

 お兄様の腹黒は私には発動していないし、ここにお姉様はいないとは言えど、自分から攻略対象に近づくのは気が引ける。

 ああ、でも今までミシェルはジャンに懐いていたから、ここで避けるのは不自然か……。

 差し出された手に、おずおずと自分の手を重ねる。するとしっかりと握られて、花畑の中心の方へと誘導された。



「ミシェル、さっきお祖父様となんの話してたんだい?」


「お兄様とお姉様が一人で乗馬できるせいで、夢を叶えるのに十年かかったって言ってました」


「まだその話してたんだ」


「けっこうショックだったみたいですよ」



 「お祖父様って意外と執念深いからなぁ」と苦笑いを浮かべるお兄様。手を引かれながらちらっと後ろを見れば、お祖父様は二頭の馬を日陰に移動させて労うように撫でていた。



「お兄様はいつから一人で乗馬ができるようになったんですか?」


「僕?練習を始めたのは七歳ぐらいだったかな。でも思い通りに馬を動かせるようになったのは去年ぐらいからだよ」


「去年……。じゃあ今の私と同い年ですね。私も乗れるようになるかな……」


「え、まさかミシェル、乗馬習いたいの?」



 とんでもなく怪訝そうな顔をされた。



「お姉様とお兄様だって乗れるんだから、一つ年下の私が習ったっていいじゃあないですか」


「ソフィアが規格外なんだ。乗馬ができる令嬢なんて、そうそういないよ」


「たくさんいないだけで、全くの常識はずれじゃあないんでしょう?乗れたら便利ですし、今すぐは無理でも、私だって乗れるようになりたいです」


「馬車か相乗りじゃダメなの?」


「馬の背中に、一人で、乗りたいんです!」



 馬に乗れるようになれば、乗ること自体が運動になって今のモヤシ体力もマシになるし、今日のように遠乗りだって気軽にできるようになる。習得して損はないだろう。

 でも過保護なお母様から許可をもらうのは難しいだろうし、お父様に頼むのも……絶賛反抗期中なのでなんかちょっと嫌だ。

 いっそお祖父様に頼んでみようかな。お祖父様は末孫の私に甘いところがあるし、可愛い子ぶっておねだりしたら勝てそうだ。



「お姉様とお兄様が乗れるのに、私だけ乗れないなんて嫌です」


「今のミシェルの背じゃ、一人で跨がることもできないんじゃない?」


「背はこれから伸びますよ」



 いつ頃お祖父様に頼んでみようかなと思いながら、地面に座ってシロツメクサを摘む。お姉様へのお土産だ。花束でもいいけれど、せっかくたくさん咲いているから花冠でもいいかもしれない。

 サラサラの銀髪にシロツメクサの花冠なんて、似合うに決まってる。つけているのを私が見たい。

 それに自分のいない間に妹と天敵が出掛けていたなんて知ったら、お姉様はいったいどうなってしまうのか。乙女ゲームのジャンルートで見た二人の関係を思い出すとゾッとするので、そのご機嫌取りだ。


 ゲームでのジャンとソフィアの関係は、まさに水と油。顔を会わせるたびにソフィアは睨んでいたし、ジャンも顔は笑っていても吐き出す言葉には毒があった。そんな二人の関係から、ジャンルートが平和に終わるわけがない。


 ジャン攻略に成功しハッピーエンドとなる場合、ジャンは裏で着実にソフィアの悪事の証拠を集めて、クライマックスで言い逃れができない状況でそれを突き付けて追い詰める。

 そしてこれまでの悪事を学園だけでなく社交界中に広め、パールグレイ公爵家そのものを潰そうとしてくる。

 結果、ソフィアは学園から家へ強制送還中に行方不明。公爵家の評判は地に落ち、それを挽回するために妹ミシェルはロリコン貴族と政略結婚する。


 ノーマルエンドの場合は、主人公とジャンが親友以上恋人未満な関係なだけで、公爵家の人々の末路はハッピーエンドとほぼ同じ。


 そしてバッドエンドの場合、悪役令嬢ソフィアの策によって主人公は死亡し、それを目撃したジャンの復讐でソフィアも死亡。殺人を犯したジャンも罪の意識からか忽然と姿を消す。当然公爵家は没落。

 侯爵家については語られていなかったけど、嫡男が殺人を犯し失踪したとなればろくなことになっていないだろう。


 ――――とまあ、こんな具合に親族ということもあってジャンルートのシナリオは泥沼だ。

 特にバッドエンドは誰一人幸せになれないシナリオで、これ本当に乙女ゲームかよと前世の私は顔をひきつらせながらプレイした。


 お姉様とエリック王子の婚約をうやむやにすることに成功した今、私が次に注意するべきなのはこのジャン=ドミニク・エバーグリーンだ。

 二人の仲がゲーム開始前の時点で険悪なんて正直かなりの誤算。しかもその原因がミシェルだなんて、時空と次元を越えて制作スタッフに抗議文を送りたいレベルである。


 私として最善なのは、二人の仲が改善することだ。

 でもどうやって?仲を取り持とうにも私を間に挟むとブリザードは発生するんだぞ?末期なのでは?

 こうなったら五年後に魔法学院に主人公が現れたら、お兄様と関わらせないようにした方が早いのではなかろうか。誰を攻略するかのルート分岐イベントは覚えているから、そこで他の攻略対象に誘導するのは不可能ではないはずだ。

 あらやだ、私ったら天才じゃない?ロリコンとの結婚ルート回避の道が一本できて、心なしか体が軽くなった気がするぞ。



「器用だね。刺繍がうまいのは知っていたけど、こういうことを出来たんだね」



 ぐるぐると考えているうちに、私の手の中ではシロツメクサの花冠が完成していた。途中でクローバーも混ぜて編んだから可愛くて、我ながら素晴らしい出来だ。

 横に座ったお兄様は、それを興味深そうに見ている。



「でも花冠の作り方なんて、よく知ってたね」


「ああ、これは昔、教えてもらったんです。あの時はあんまり上手にできなかったけど、今日はうまく…………え?」



 滑るように口から出たその言葉は、おかしい。


 私は周囲の大人の言い付けで、外に出たことは一度もない生粋のひきこもりのはずだ。

 そんな私が花冠を作る機会なんてあるわけがないし、前世でも“私”はグラウンドでドッヂボールしながら「今のアウトだろ」「ワンバンしたからセーフですぅ」とか言ってるタイプの幼少期を過ごし、とてもじゃないけど花冠なんて乙女チックなことをしたことはない。

 でも私の頭の中には、花冠の作り方の知識がある。


 今いる花畑とよく似た場所で、誰かに作り方を教えてもらって、初めて作ったあまり上手ではないそれをお礼と言ってプレゼントして――――これは誰の、いつの記憶?



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