高嶺の花・ビオラ十五歳②

 

 オーキッドに恋人がいる可能性を、過去考えなかったわけではない。しかし、紹介する素振りも、熱を上げている様子も無かったため、ビオラはそれほど重く考えてはこなかった。

 だが先日の一件で、何となく避けられているように感じていた事が、明確になった。オーキッドは、ビオラの事を遠ざけようとするのを、隠さなくなったのである。

 これまではあくまでさり気なく、慎重にやっていた事を、彼はあえてビオラに見せ付けるようにしている。

 ビオラは、立ち直る暇も無かった。努力する隙を、オーキッドが作らせてくれないのだ。心が折れそうだった。


 そんな折、あまりにも消沈しているビオラを、グラジオラスが気遣ってくれた。

 女学校の中等部へ向かう朝、そっと耳打ちしてきたのだ。


「今日は、オーキッドに迎えに行かせる。一緒に帰ってくるといい」


 はっとする。ビオラは、目を輝かせて、グラジオラスを見上げた。


「ジオ兄様……!」


 思わず兄の手を両手で握る。彼はきっと、今の状況を分かっているのだろう。だが諦めろとは言わない。味方を得た気分だった。もし、グラジオラスが協力してくれるのならば、これほど心強い事は無い。


 その日ビオラは、授業中ずっと機嫌が良かった。学校の近くで、オーキッドが待っていてくれる。逸る気持ちを抑えて、放課後、ビオラは学校を出た。

 これまで、オーキッドに避けられて、まともに話せない日が続いていた。グラジオラスの頼みならば、彼も断るまい。この機会に、ビオラは頑張って説得するつもりだった。

 まだ、大丈夫。オーキッドに特別な人がいるわけではないのなら、手遅れではない。ビオラ自身を好きになってもらうために、何度でも気持ちを伝えよう、そう思った。


 家まで帰るとなると、護衛をつけるのだが、女学校の付近は、学校が雇った守衛がいるため、オーキッドがいるはずの場所まで一人で歩いた。

 そろそろ見つけてもいいはずだ、と思った所で、背の高い、暗い茶髪の後姿が見えた。

 あの髪は、キッド兄様だわ。

 心が弾んで、淑女らしからぬ事だが、駆けて寄ろうとしてしまう。だがそうする前に、彼女の足は止まった。見知らぬ女性が、先に彼に辿り着いたからだ。

 まだ遠めで、会話は聞こえない。一瞬、人違いだったかと思った。

 女性が何か囁いて、オーキッドらしき男性が、身を屈める。そして、女性を抱きしめた。

 挨拶のような、軽い触れ合いではなく、情熱的に、強く抱きしめているように見えた。

 頬にキスを寄せ合い、満足そうに女性が離れる。手を振って、その人はもと来た道を引き返して行った。

 オーキッドに限って言えば、初めて見る光景だった。ビオラは混乱して、ただ、彼がこちらを振り向くのが恐ろしかった。

 振り返った顔が、オーキッドでなければいい。人違いであって欲しい。そんな願いも虚しく、男性は足を引き、体の向きを変え、その容貌が顕わになる。違わず、ビオラの兄だった。


 冷静な部分で、グラジオラスに悪気は無かったのだろう、と思う。オーキッドが妹を酷く傷付ける事など、グラジオラスは想像もしないだろうから。 

 きっとこれは、オーキッドが、ビオラに見せ付けるためにやっている。諦めろと、言っているのだ。

 オーキッドは悪びれもせず、恋人との逢瀬を明かした。家に帰るまでも、ビオラが余計な事を言わないように、上手く会話を誘導されているようだった。

 エスコートは丁寧で、何の落ち度も無かった。だがビオラは、少しも楽しくなかった。


 今度の事は、ビオラを深く打ちのめした。相手がいるという事は、横恋慕することになる。ただでさえ拒絶されている相手に、ビオラは、何をどう努力していいか分からなくなっていた。

 態度に出しては負けだ。子供みたいだと思われてはいけない。あの女性は、成熟した大人の魅力に溢れた美人だった。ビオラは必死に、笑顔を固めた。


 何より、悲しいことに気が付いてしまった。家族同士や、親しい友人と軽く抱き合うことは、よくある。しかし、オーキッドは、ビオラを抱きしめない。

 思えば、昔から、仲良くなった時から、オーキッドはビオラとの触れ合いを避けていたようだ。これでは、勝ちようがないではないか。

 つい最近の話ではない。知らなかっただけで、オーキッドは最初から、ビオラの事を恋愛対象には見られないと、線引きしているのだ。


 もしかして、ずっと嫌われていた?


 そう考えて、すぐに否定する。オーキッドの愛情は、家族愛としては、確かなものだ。

 そうでなければ、そう信じなくては、本当に何も無くなってしまう。立っている事さえ、出来なくなる。


 夜、自室で長い時間、オーキッドの事を思った。

 妹では、嫌なのだ。彼が自分以外の女性と結婚する事を想像すると、何か思う前に、胸と、喉の痛みを覚えた。

 手の甲に落ちた雫を、ビオラはぼんやりと見つめる。視界がぼやけて、よく見えない。

 趣味で集めた本が、棚に納まっている。濡れた顔を上げた。それらの背表紙を眺めて、思う。ロマンス小説では、ありきたりなのに。義理の兄に恋をするなんて。

 幸せな結末ばかり読んでいた。物語のヒロイン達は、必ず想う相手と結ばれている。でも、実際は、そんなことはない。

 ビオラは流れる涙をそのままに、ゆるりと首を振る。

 今している恋は、良いものでは無いのかもしれない。それでも、ビオラはオーキッドに抱きしめて欲しくて、彼に愛されたくて堪らなかった。望まずにはいられない。

 まだ、まだ二度目だ。そうやって、嗚咽を漏らしながら、ビオラはその夜を乗り越えた。


 しかし三度目の失恋は、すぐにやってくる。




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