59 深緑の貴族令嬢
王国騎士団の訓練は過酷である。
カーネリアンがいくら優秀でも、入団してすぐは苦労した。
だがそれは訓練だけの話であって、人間関係は良好である。ここでもカーネリアンは無害な人間を演じていた。
華やかな顔立ちでもなく、先輩を立てる一歩引いた謙虚な姿勢は、騎士団の人間に好感を持たれ、色々と助けてもらえている。
勿論、貴族の令嬢と結婚したいから、などという理由は話していない。入団理由を聞かれれば、当たり障りのない、誰もが言いそうな上辺の事情を説明した。
王国騎士団には団服がある。深紅を基調とした、優美なデザインだ。着るだけで様になる。上質な作りで、一般の騎士の制服よりも丈夫そうだ。一般の騎士の制服というと、地方勤務の時、つまり、街に居た時と変わらない格好である。新しい団服が届くまで時間がかかり、カーネリアンはまだ以前と同じ制服を身に纏っていた。この格好のほうが落ち着く。深紅の団服なんて、目立って仕方が無いのだ。団服が届くのが、少しだけ憂鬱になった。
暗い褐色の制服は、安い喫茶店でも紛れてくれた。
カーネリアンにとって、入団したのは目的ではなく手段に過ぎない。王国騎士団に憧れて入った訳ではない。リナリアのことさえなければ、就く職業は何でもいいのだ。
訓練が殆どであったが、任務もある。新しい制服が届いた頃、ちょうど任務が舞い込んだ。街の警備なら一般の騎士が行うが、カーネリアンに与えられたのは、貴族が集まる夜会の警備だった。個人の護衛ではないため、カーネリアンのような新人でも度々任される。とはいえ、団として、組織で請け負う任務なので、カーネリアンだけが任される訳ではない。こうして仕事をこなし、着々と経験を積んでいくのだ。
ボーダイス家主催の夜会は初めてだ。カーネリアンは多少、貴族について勉強している。ボーダイス家は変わりもの、夜会も一風変わっているのかと警戒して行けば、なんてことはない、普通の夜会だった。
招待客が来る前に会場に待機する。壁際に立っていると、一緒に立っていた同僚に話しかけられた。
「カーネリアン、今日は同じ任務だな。よろしく」
「ああ、よろしく、ハルス」
カーネリアンは笑顔を浮かべ、穏やかに返事をする。
「君さ、王国騎士団の試験、一回で合格したんだって? 俺は四回受けてやっとだよ。俺と一つしか変わらないのに、すごいなあ」
「剣の腕じゃ、ハルスの方が上だろう。俺は筆記が強かったんだよ。まあ、桁外れに強ければ、筆記は関係ないみたいだけど」
カーネリアンは適当に謙遜した。
ハルスとは入団時期が同じで、歳も近く親しくなった。彼はカーネリアンの一つ下で、十八歳だ。彼も実家は下級貴族だが、王国騎士団に入る実力は持っている。
気さくに話しかけてくる彼を見ていると、街で就職したランスを思い出す。ランスとハルス、響きもどこか似ている気がする。
一つ下ということは、リナリアと同じ歳だ。
十八歳のリナリアを、カーネリアンは知らない。
「俺みたいな末端貴族の五男はさ、自分で生計立てないと。五男だよ? 誰も嫁に来てくれないって。惨めだからさ、子供の頃から憧れていた王国騎士団目指して、やっと夢が叶ったよ。王国騎士団ならもてるよ。次の目標は可愛い嫁をもらうことだ。で、カーネリアンは彼女いるの?」
「恋人はいないけど……まあ、好きな人はいるよ」
「おお……青春だな。上手くいくといいな! 彼女がいたらちょっと妬ましかったけど」
ハルスは正直者だ。
開催時間が近づき、招待客が入場してくる。カーネリアンの持ち場は一番広い会場の隅である。入り口からは遠い。目は良い方だが、入場してくる人たちの顔までは判別出来ない距離だ。
殆どの招待客が集まり、会場は人で溢れていた。年頃の令嬢達が、深紅の騎士を見て、「王国騎士団よ」「今回の夜会は気合が入っているわね」「見て、あの騎士様素敵」などと囁き合っている。令嬢達の目当ては、貴族の男性だけではないらしい。ハルスの言っていたこともあながち嘘ではない。騎士はもてるのだ。平凡な顔立ちのカーネリアンも、団服を着ただけで熱い視線を送られた。似合わないわけではないようで安心する。確かに深紅の団服は、カーネリアンによく似合っていた。
さざめく会場に、一つの声が落ちる。「レユシット様も招待されていたのか」会場の入り口を見て誰かが呟いた。
声を拾った人、入り口を見ていた人、釣られてどんどん視線を集める。入り口とは正反対側にいたカーネリアンにも、その気配は感じられた。
「何だ? 誰か来たのか?」
ハルスが小声で問う。カーネリアンにも分からないので、「さあ」と答えた。
人が割れるようにして、今しがた到着した招待客を通した。会場の奥には、主催のサーシス・ボーダイスが居る。カーネリアンはその顔を初めて見るが、後ろに控える騎士に見覚えがあったので、すぐに分かった。あの騎士は、今回サーシス個人の護衛を任されている、王国騎士団の団員である。
「おや、来たようですねえ」
サーシスの声はよく通る。カーネリアンの立ち位置は彼からそれほど離れていなかったので、何を言っているのかも聞き取れた。
誰が来たのかと見て見れば、一際目立つ二人組みが歩いてくる。
鮮烈な亜麻色が目に入った。
見覚えがあり過ぎる顔だ。
(リナリア……!)
父親のグラジオラスに腕を引かれた、美しい貴族令嬢がそこにいた。
森林を連想させる深緑のドレスを身に纏い、父に寄り添う姿は、閑雅な佇まいだ。精細なレースの布地が肩まで覆い、首元を晒している。肌の露出は殆ど無く、貞淑に見えるのに、その一点だけが異様に白く、目が引き付けられる。長い髪は結い上げ、纏められているため、ほっそりとした首筋がよく見えた。
仮面を被ったように、感情を感じさせない無表情だが、冷たい印象は与えない。まるで絵画に描かれた人物のようだ。ずっと鑑賞していたくなる。そうかと思えば、目を瞬く様が、妙に人間らしい。緊張しているのかもしれない。
サーシスの前まで来ると、父と共に、リナリアは優雅に礼をする。
二年前まで平民として暮らしていたなど信じ難いほど、全ての仕草が洗練されていた。
カーネリアンはリナリアから目を離せない。見渡さなくても分かる。会場の誰もが、彼女に目を奪われている。
十八歳のリナリア。
今この瞬間にも、彼女に囚われた男はどれだけいるだろう。
化粧を施したリナリアを初めて見た。リナリアは素顔が一番美しいが、化粧をしていてもその美しさが損なわれることはない。街では飾り気の無い服装をしていたが、ドレスを身につけると、もう高貴な淑女にしか見えなかった。
カーネリアンは、音が遠くに聞こえた。
この感覚は知っている。きっとこれは、カーネリアンの自信とか、気概とかが崩壊しているのだ。カーネリアンは有能だが、リナリアに関しては、極端に自信が無い。
これを味わうのは何度目か。
再会の喜びは、彼女の目にカーネリアンが映っていない虚しさに上書きされた。リナリアは美しい。あまりにも。あれほど素晴らしい令嬢が、二年間もカーネリアンだけを想っていてくれるのだろうか。彼女に求婚する紳士は少なくないはずだ。リナリアが新たな恋を見つける可能性は、十分にある。
陰鬱とした感情がカーネリアンの中を埋め尽くした。
「お招きいただきありがとうございます」
リナリアが声を出している。
解呪の事も、オーキッドに聞いたことがあった。リナリアは、歌声と引き換えに、話す事が出来るようになったのだと。
カーネリアンが知ったのは、何もかも、リナリアが去った後なのだ。彼女の気持ちも、誤解も、解呪のことも。
カーネリアンは、リナリアの歌が好きだった。恋を自覚する前から、彼女の歌は好きだと認めていた。別れの前日には、カーネリアンのために歌ってくれた。……リナリアの手帳に書かれていたことも考えれば、あの日以外にも、彼女は何度も、カーネリアンを想って歌っていたのだ。それなのに、もう歌を聞けない。
話す声も、繊細な楽器を奏でているようで、耳に心地よく、聞くだけで癒される。だが、酷く悲しい。
喋れなくても、カーネリアンの側で歌ってくれる未来を渇望してしまう。
カーネリアンは知らず、歯を噛み締め、感情を抑えていた。
「リナリアさん、よくお似合いですねえ」
サーシスはニヤリ、と形容しそうな顔でリナリアを褒める。食えない表情だ。視線をグラジオラスに移し、今度は、やれやれ、といった顔で話しかける。
「貴方は相変わらず溺愛ですねえ。娘さんにべったりじゃないですか。恥ずかしくないんですか?」
「私の勝手だろう」
グラジオラスは冷ややかに返すが、サーシスは怖いものが無いような態度である。彼の表情は雄弁に語る。
「無理やり表情固めているみたいですけど、隠せていませんよ? だらしなく顔を緩めないように必死みたいですけど、娘さんと歩けて嬉しいって、滲みでていますよ?」
サーシスはニヤニヤとしながら続ける。完全にからかっていた。
グラジオラスは嘆息し、諦めた様子である。
「そうそう、今日の警備は王国騎士団に頼みました」
「珍しいな。それがどうした」
「おや、貴方こそ珍しい。察しが悪いじゃないですか。この私が何の意味も無く、王国騎士団を呼ぶわけがないでしょう」
そう言うとサーシスは、少し屈んで、そっとリナリアに耳打ちする。カーネリアンのところまで声は聞こえない。
リナリアの近くに、例え父親ぐらいの歳でも、男が近寄るのは不快だった。
グラジオラスも面白く無さそうな顔をしている。
リナリアは戸惑ったように耳を傾けて、目を見開いた。
サーシスが離れると同時に、ばっと、勢いよく顔を上げる。横を向いた。
カーネリアンが立っている方向だ。
勘違いでなければ――リナリアは、カーネリアンを見ていた。
目が合ったように思う。
リナリアは驚きに目を見張り、固まっていた。
その様子に、カーネリアンも驚く。
何度か瞬きした後、リナリアは見る間に真っ赤になった。
耳元で、心臓がなる。
「お、おい……カーネリアン。あの、さ、気のせいかもしれないけど、あのものすごい美人、こっち見てないか? そんでもってこっち見て顔赤くしてないか? 誰か好みの男でもいたのかな……?」
ハルスが小声で話しかけてくるが、それ所ではない。
カーネリアンも動揺していた。
(な、何だ? その顔はどういう意味で取ればいいんだ? 勘違いじゃないよな、リナリアは今、俺に気が付いているよな……?)
リナリアの様子の変化に気付いた周囲の視線が集まる。
はっとして、硬直が解けたリナリアは、瞳を潤ませ、何かをグラジオラスに頼んでいた。
泣きそうな娘に、控えめに袖を引かれ、懇願される。グラジオラスはいちころだった。
またカーネリアンに聞こえない声で、グラジオラスはリナリアに何か囁いていた。
快く送り出され、リナリアが歩いてくる。
カーネリアンの立つ方へ。
その目は間違いなく、カーネリアンを見ている。
ハルスも確信したようで、「え、ちょ、俺らの方くるよ! どういうこと!!」と小声で聞いてくるが、カーネリアンは無視する。というか、耳に入っていなかった。
リナリアしか目に入らないのだ。
二年前のように、カーネリアンの前に、リナリアが立つ。
視線を彷徨わせ、覚悟を決めたように顔を上げると、そっと口を開いた。
「あ、あの、私、レユシット家のリナリアと、申します」
いきなり他人行儀で話しかけられた。
人目があるからかと、自分の中で結論付け、カーネリアンはリナリアに合わせて、「はい」と慇懃に返事をする。
ここには警備で立っているので、名乗らなかった。返って無礼と取られるかもしれないが、令嬢と名乗り合うのが仕事ではない。
「騎士様、……あの、ああ、お名前を……」
一応聞くべきだと思ったのか、リナリアは名前を尋ねてきた。
真っ赤になって、しどろもどろに告げる。
一瞬、何の茶番だと思ったが、どうやらリナリアはそうとう緊張しているようだ。おそらく頭の中は混乱している。
「……カーネリアン・ラドシェンナです」
「……! あの、ラドシェンナ様、よろしければ今度、屋敷に招待したいのですが……」
ラドシェンナという、家名があることに驚いた様子を見せつつ、リナリアはお誘いをしてくる。
否は無かった。
「……私でよければ」
あまりのことにカーネリアンは無表情で答えたが、リナリアはそれでも嬉しそうに、表情を明るくさせた。
緊張して、固くしていた彼女の体から、力が抜けていく。
まだ頬に赤みを残して、「ありがとうごさいます」と、花が綻ぶように微笑んだ。
打ち抜かれた。
ちなみにハルスにも被弾した。
伝えたい用件は済んだのか、リナリアは軽くお辞儀して、「失礼します」と言って去っていった。
何だ、この茶番。
カーネリアンは心中で、もう一度呟いた。
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