57 二年後

 


 リナリアが街から居なくなって、二年が経った。




 歌姫がいない教会は、以前のように大勢の人が集まることは少ない。学校へ通う前の子供たちが、ちらほらいる程度だ。天使の歌声が聴けない事は、街の住民を大いに落胆させていた。

 リナリアは居ないのに、つい教会へ通ってしまう人もいる。



 カーネリアンは、仕事が休みの時は必ず、子供たちの笑い声を遠くに聞きながら、教会の椅子に座った。

 今日は非番だ。

 意味の無い事をしていると思うが、リナリアの記憶が一番呼び起こされるのが、教会なのだ。彼女に会いたくなったら、自然と足が向いてしまう。

 たった二年。あっと言う間、とは言い難かった。リナリアの居ない二年間は、酷く長い。

 美しい亜麻色が脳裏に蘇る。別れを告げる時まで、彼女の瞳に吸い込まれそうだった。

 そのまま、深い海に沈んでいくようだ。それとも、夏の群青に溶けて消えるか。そういえば、今日は晴れている。空はどこまでも青い。

 腰を上げ、立ち上がる。彼女の瞳のような、青天を眺めるとしよう、と。


 二年前、リナリアに見つけてもらうために、道の真ん中を目立つように歩いていた。今はその必要もなく、端によって足早に歩く。

 リナリアにあわせて、ゆっくり歩く事も無い。

 毎日リナリアのことを考えていた。最後に会った日の事は、何度も思い返す。

 彼女の父親と思しき男が、リナリアと抱き合っていた。二人はかなり親密そうで、彼女が愛されている事が伝わってくる。王都へ行っても、彼女を助けてくれる人が居る。

 彼女は幸せになれる。

 そう思ったら、自分の価値は無いように思えた。

 リナリアにとって、自分は必要の無い人間なのだと、いつの間にか開いた距離に悲しくなった。


 思い出しながら歩いていたカーネリアンは、前方を見つめて足を止めた。

 知り合いが歩いてくるのが見えたからだ。

 相手はカーネリアンに気付いていたようで、大きく手を振っている。

 カーネリアンも手を振り返した。


「おーい、カーネリアン!」


 ランスが寄って来て、カーネリアンの前で立ち止まる。


「昇進おめでとさん!!」


 豪快に肩を叩き、笑顔でカーネリアンに祝いの言葉をかけた。

 ランスは変わらない。相変わらず、無駄に元気がいい。


「ありがとう、ランス」


 カーネリアンは笑顔で答えた。


「出発は明日だったよな? 騎士になるだけでもすごいのに、憧れの王都勤務か、すごいなリアン! この間会ったお前の上司が、『カーネリアンは実力を隠していたようだ……』って、渋い顔していたぜ? そうなのか?」


「いや、順当に努力したんだよ」


 ランスの発言は図星だったが、カーネリアンは苦笑に留める。


「そっかー、頑張れば、地方勤務から、二年で王都勤務できるものなんだな……王都に行ったら、さらに出世しそうだよな」


「そんなに上手くはいかないよ。それに、俺は運が良かったんだ。伝手もあったから」


「それだよ、いや、実際実力もあるけどさ、コネがあるのも驚きなんだよ。お姉さんの旦那さんだっけ?貴族なんだってな」


「兄さんほとんどこっちに居ないからな……言ってなかったか?」


「言っていたらこんなに驚かないだろ。ということはさ、お姉さんも貴族ってことか?」


「まあ、そうなるな」


「貴族の奥さんがこんな所に住んでいると思わないだろー」


「姉さんはほら……まあ、家族が大好きな人だから。街を出るなら結婚しないって、言って求婚を受けた人だから……」


「女子が聞いたら喜びそうな話題だな。ちょっと気になる。なあ、立ち話もなんだから歩こうぜ、どこか行くところだったのか?」


「いや、もう帰る所だよ」


「じゃあ着いて行く。俺も帰ろうとしていたんだ」


 見ればランスは、大き目の布袋を持っている。カーネリアンの視線に気付き、中味が入って重たそうなそれを持ち上げて見せた。どうやら、商店街からの買い物帰りのようだ。

 二人は、家の方向に歩き出す。


「で、続きだけど、お姉さんとその旦那さんの馴れ初めは?」


「そこから? ええと……兄さんは下級貴族の次男……だったかな、なんだけど、ほら、俺の家族、昔は王都に住んでいたから、その時に出会ったらしいよ。ちょうど俺が生まれた頃かな」


「そういえば、カーネリアンの家引っ越してきたもんな」


「その時はまだ恋人ではなかったんだけど、この街に引っ越す段になって、姉さんに惚れ込んだ兄さんが追いかけて来たんだよ。それで、求婚して、さっきの流れかな。引っ越してきてすぐだから、俺が六歳の時。家族と離れ離れにならないのであれば問題ないから、結婚したんだって姉さんは言っていたけど、今では超円満夫婦だよ」


「お兄さん、情熱的だなあ……下級貴族ってどんなもん?」


「まあ、下級といっても普通に貴族みたいだよ。何度か屋敷に招待されたことある。子供の時だけど」


「屋敷! すげえな、カーネリアンも頑張らないとな」


「兄さんの口利きもあってだから、王都でも頑張ってくるよ。兄さんに呆れられたくないからね」


「カーネリアンの家族は本当に仲が良いなー」


 教会からあまり歩いていなかったので、居住区にはすぐ着いた。ランスの家は、図書館の近くなので、カーネリアンの家とは少し距離がある。どちらかといえば、もともとリナリアが住んでいた家の方が近いかもしれない。

 ランスの家が見えたので、じゃあ、と手を振って分かれる。ランスは、「明日見送り行くからなー」と言って家に入っていった。


 カーネリアンも、街を出る。

 街で暮らす人の中では、王都へ出稼ぎに行くのも珍しくはないが、基本、家はこの街にある。カーネリアンの場合は、王都で部屋を借りるつもりだ。

 十九歳になったカーネリアンは、所謂下っ端と言われるような騎士から、部下を持つ程度にまでなっていた。地方ではその才能を埋もれさせてしまうとも思われたが、目標を持った彼の出世は早かった。今まで隠してきた能力を遺憾なく発揮して、地方ながら目覚しい貢献をしてきたのだ。上司にも驚かれるほど、カーネリアンは人が変わったように働いた。

 もともと、仕事が出来ないわけではなかったが、明らかに今までが本気ではなかったと思われるほどの変貌ぶりだった。

 人当たりのいい性格はそのままだったので、同僚や上司との間にトラブルを起こすことはほぼない。

 だが、変わった理由が気になるというもので、それは探ればすぐに予想がついた。

 リナリアがカーネリアンのことを好きだというのは、街の誰もが知っている。

 王都勤務に興味がないようだったカーネリアンが、やる気を出す理由など、一つしかない。


 リナリアが離れていくなら、カーネリアンが追うまでだ。

 彼は姉婿のように、好きな人を追って王都勤務を目指していたのだった。





 自分の部屋で、出発前の確認をする。

 皮製の丈夫な鞄に、衣類や生活に必要な最低限のものを詰め込んである。

 そこに、一冊の手帳を差し込んだ。

 カバーの掛けられていない小さな手帳だ。






 二年前。あの別れのあと、周囲の反応とは違い、カーネリアンは悪い意味で放心状態だった。

 リナリアが街を出て数日経っても、使い物にならない友人を見かねて、ランスが呼び出す。

 そこで言われたのは、「お前の鈍感は死んでも治らない」という事。

 あろうことか、自分は振られたと思い込んでいるカーネリアンに、告白もしていないのに何を言っているのだと、ランスは一喝した。

 あんなに熱烈な告白を受けておいて、何故落ち込むのかと散散怒られる。

 ランスがあまりにも、リナリアが不憫だと繰り返すので、カーネリアンは思わず言ってしまった。


「……ランスは、リナリアのことが好きなのか……?」


「それはお前だろ、リアン」


 間髪容れずに返される。


「リナリアと居る時、お前素っ気無い態度取るけどさ、本当はあれが素なんだろ? カーネリアン、俺にまで壁を作るなよ。俺はお前のこと、親友だと思っているよ」


 カーネリアンの態度は、ランスから見れば分かりやすかったのかもしれない。カーネリアンの特別は、昔からリナリアだけだ。ランスとだけ、特別親しくしていたわけではない。だが、ランスの発言に、不覚にも、カーネリアンは内心喜んでしまった。


「……そうだな、認めるよ」


 それは、親友発言に対してか、リナリアのことが好きだという事に対してか。

 気持ちとしては両方だった。


「カーネリアンは、リナリアの歌を聞いても何とも思わなかったのか?」


 ランスは胡乱な目でカーネリアンを見た。何が言いたいのか分からず、素直に「綺麗だと思うけど……」と答える。


「違う。切ないとか、リナリアの気持ちが伝わってこなかったのか? 本当に気付いていないのか? そこにきて、お前のために歌ったと言ってくれたのに、何で、あそこでそのまま見送るんだよ。勇気を出したリナリアが可哀相だろうが!」


 ランスが言いたい事は大体理解したが、リナリアがカーネリアンの事を好きだということに納得できないのだと説明する。ランスは溜息をついて、手荷物のなかから、一冊の手帳を取り出して、カーネリアンに差し出した。

 その時からずっと、手帳はカーネリアンの手元にある。


「それを読んでも分からないなら、救いようがない」




 カーネリアンは、自分は本当に救いようがないと思った。

 開いた手帳は、見覚えのある綺麗な文字で埋まっている。

 最初のページは、切々と彼女の恋情が綴ってあった。

 内容を理解した途端、カーネリアンの視界は一瞬真っ白になった。歓喜の感情が沸いて、後悔も押し寄せる。疑いようもなかった。リナリアと一緒にいたカーネリアンは知っている。これは、リナリアの字だ。

 リナリアは、カーネリアンに恋をしている。

 その事実は、熱となってカーネリアンの体中を駆け巡り、やがて顔に集中した。熱くなる顔を抑えて、叫びだしそうになるのを必死に堪える。

 考えることは他にもあったが、リナリアに会いたくて堪らなかった。

 別れの瞬間まで情けなかった自分を、リナリアがどう思ったのか不安だった。

 どんな気持ちで、あの言葉を言ったのか、聞きたかった。

 リナリアはあの場で、答えを望んでいたのだろうか。

 カーネリアンの口から、同じ気持ちを聞きたかったのだろうか……。




 落ち着いて、平静を取り戻したカーネリアンは、勢いでリナリアに会いに行くことはなかった。

 王都にリナリアを呼び寄せたということは、リナリアは貴族の一員になるのかもしれない。

 ただの平民のカーネリアンが会いに行くのは憚られた。

 この期に及んで、矜持というか、まだ意地がある。

 カーネリアンは先を見据える事にした。

 リナリアとずっといっしょにいる方法を考えるのだ。

 そうしてカーネリアンは己の地位を上げていく事にした。兄に協力を頼んで、なりふり構わず出世を目指す。


 再会したリナリアに、今度こそ好きだと言えるように。



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