25 事情②

 

 歌えるのに、喋れないというのは、どういう事だろう。

 自主的に声を出さない訳ではない、ということが、オーキッドには理解出来なかった。

 日常会話を出来ない理由……例えば、国の言葉が分からない。外国の歌は知っているが、その国の言語までは知らない、というのも聞く話だが、リナリアは地元の人間だから、それもないだろう。

 自主的にではないなら、強要されている。

 ……誰に?

 家族がいないなら、親に言われて……は、ない。

 束縛したがる恋人に言われて……そのような人物も聞いていない。

 オーキッドが必死に頭を巡らせていると、リナリアは再び手帳を手に取り、続きを書いた。

 オーキッドの前にまた手帳が置かれる。


≪私は、神様の加護を受けているけど、別の神様から呪いを受けました 私が話せないのは、そのためです 歌うことだけが私に許された声なのです≫


 加護と呪いという言葉に、この街の特性を思い出す。

 神様の恩恵を受ける町。

 この美しい少女は、加護持ちだったのだ。

 だが、呪いについては、聞いたことがない。他の場所でも、この街の人からも。

 そこでオーキッドは、あることに気が付いた。

 街の住人が何か隠しているように感じたのは、このことだったのではないかと。

 てっきり、父親のことを隠しているのだと思っていたが、呪いという響きは、それだけで不穏だ。

 リナリアの表情も、どことなく暗い。


「ええと……詳しく聞かせてもらってもいいのかな」


 オーキッドは、言葉を選びながら、慎重に続きを促した。







 二人のやり取りを見て、カーネリアンは僅かな時間考える。よそ者に事情を教えるのを、よく思わなかったのだ。

 リナリアが事のあらましを手帳に書き綴る間、カーネリアンはオーキッドの方に話題を振り、先に言わせる事にする。


「それで、レユシット殿は、何故リナリアの父親のことを知りたいのですか」


 カーネリアンの口調に、オーキッドは「そんなに固くなくていいよ。オーキッドでいい」と言ってから、話を戻した。


「そこに、兄の痕跡が無いかなと思ったのさ」


 オーキッドは、書くのに時間がかかっているリナリアの髪色を眺めながら言う。


「俺の兄はね、男に言うのもなんだけど、綺麗な人だ。亜麻色の髪に、海のように青い瞳で、均整のとれた男らしい体型の、恐ろしく整った容姿の男だ」


 そこまで聞いて、カーネリアンはやはり、と確信する。ランスやフリージアは、やっと話の流れに感づいたようだ。


「リナリアさんを見たとき、本当に驚いたよ。纏う色彩が、全く同じで、性別の違いはあるけど、類を見ない美人だったから」







 自分の名前が耳に入ったリナリアは、手帳に書く手が止まってしまう。

 上手く頭が回らなくなり、オーキッドの言葉をぼんやりと聞いた。


「リナリアさんの母親のことは……残念だ。彼女に聞ければ、本当のことがすぐに分かっただろうからね」


 黙って聞いていたフリージアが、思わずといったように口を挟んだ。


「本当のことって、何ですか」


 全員、オーキッドの目的が何なのか、もう理解していただろう。だが信じ難い事実だったため、もう少し根拠が欲しかったのだ。


「リナリアさんの母親が、俺の兄の想い人かもしれないってことだよ。そして……」


 続きを聞かなくても、何を言われるかは大体分かる。

 でも、リナリアは納得出来ない。

 何故今になって、母を探しに来たのだろう。

 母はもう死んでしまった。

 リナリアにとっては、事実がどうであれ、オーキッドも、その兄も、関わりの無い他人だ。今更、リナリアだけがいたところで、意味が無い。


「兄が、リナリアさんの父親かもしれない」


 オーキッドの決定的な言葉に、誰も言葉を返さなかった。







 ランスは、そんなまさか、と思いつつ、確かに、とも思う。平凡な顔立ちをしていた母に比べて、リナリアはあまりにも美しい。

 庶民の娘よりも、貴族の令嬢と言われたほうが、しっくりくる容姿だ。

 それに、街の誰も、リナリアの父親のことを知らない。

 荒唐無稽な話だと切り捨てるには、妙な説得力があった。







 俯いたまま顔を上げなくなったリナリアに、オーキッドは優しく、だが熱心に、声をかけてくる。


「突然こんなことを言われても、戸惑うと思う。リナリアさんに何か強制したい訳じゃない。ただ、本当のことが知りたい。そのために、出来れば……兄と、会ってみてほしい」


 リナリアは徐に顔をあげ、オーキッドの目を見た。

 何か考えなければ……リナリアの中に、父に会えるかもしれないという喜びはない。

 リナリアの家族は、母だけで十分だったのだ。父親などいなくても、父の分以上に、母が愛してくれた。

 父が見つからなくてもいいから、母に生きていて欲しかった。

 結局思うのは、そんな、どうにもならないことだ。


 リナリアの反応を待っている間に、店員がテーブルの横に立った。

 お待たせしました、と言って、皿にのせた料理と、透き通ったグラスに注がれた飲み物を置いていく。

 立ち上る芳しい香りに、リナリアはたちまち空腹を思い出した。







 ごゆっくりどうぞ、と、若い女性の店員は下がったが、オーキッドの顔をちらりと見て、去り際まで気にしていた様子だった。

 視線に気付いていたオーキッドは、苦笑しつつ、食事に手をつけるように言う。


「俺にご馳走させて。返答次第で対応変えたりしないから、心配しないでいいよ。まずは食べようか」


 ランスは、重たい空気を払拭するように、「いいんですか、ありがとうございます!」と言って、早速食器を手に取った。

 フリージアは、気まずかったのか、「あの、さっきは疑ってごめんなさい……」と、オーキッドに謝罪する。

 オーキッドは、朗らかに「もう気にしてないよ。どうぞ食べて」と言って、料理を勧めた。







 実を言うと、こういった店には入ったことがないリナリアは、自分が作るのとは違う、洒落た料理が気になっていた。

 横目でカーネリアンを見ると、「では遠慮なく」と気負わず手をつけようとしていたので、安心してリナリアも手を伸ばす。

 ご馳走になります、と頭を下げて、飲み物を口に運ぶ。

 難しいことは食べてから考えようと、リナリアは思った。



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