第二幕ノ十八ガ下 続・地獄? の修練、凛の場合


 竹林の拷問場にて絶叫が響いている中、化け物長屋の楓の部屋の中では、凛がヒトガタを手のひらの上に乗せ、じっとヒトガタを見つめていた。


「さあ、リンちゃん。今日こそは上手くいくといいわねぇ♪」


 両手をわきゃわきゃと動かしながら凛の平常心に揺さぶりをかけていく性悪女狐。

 今までの凛ならここで顔を赤らめたりしてうろたえていたものだが、今日の凛には秘策があった。

 その秘策とは――――徹底的に性悪女狐をシカトするということであった。

 言ってくることには耳を傾けず、その存在すら視界にいれてやるものか。目の焦点を完全にヒトガタのみに合わせ、集中力を高めていく凛。


 凛の手のひらのヒトガタが、ひょこっと立ち上がる。次いで、凛の艶やかな長い黒髪が、風もないのにさわさわとたなびき始めた。

 それを見て、性悪女狐がキツネ耳をひょこひょことせわしなく動かした。あらぁ、ついに凛ちゃんも陰陽道の境地に達したかしらぁ?

 先ほどまであの手この手で凛の心をかき乱そうとしていた楓だったが、ここにきて、静かに凛を見守り始める。楓が待ち望んでいた瞬間が、訪れようとしているのだ。

 さわさわとたなびいていた凛の黒髪が、ふわりと舞い上がる。そして、手のひらのヒトガタがプルプルと小刻みに震えはじめた。


 ――想像するのだ。このヒトガタが、私の分身となった姿を――想像するのだ。


 凛の周囲にそよ風が巻き起こりはじめた。凛はヒトガタを見つめていた目をつぶり、自分の身体の中を流れている血液が全て手のひらのヒトガタへと流れ込ませるようなイメージを抱く。

 そして――目を開くと同時に、先ほど抱いたイメージをヒトガタにぶつける。

 ヒトガタが強くきらめいた。しかし、強くきらめいたかと思うとすぐに、ぼむっ!! というくぐもった爆発音が起こり、手のひらから大量の煙が発生し、ヒトガタの姿を隠してしまった。


「うわわっ?!」


 思わずひっくり返ってしまう凛。慌てて体勢をたてなおすが、部屋の中には煙が充満してしまい、凛の姿も楓の姿も隠してしまっていた。

 そんな視界ゼロの状況の中、楓のあらあらぁ♪ という嬉しそうな弾んだ声が響く。

 ああ……また、あんな破廉恥なことをされてしまうのか……。

 頬を紅潮させて、がっくりと肩を落とす凛。このまま逃げてしまおうかと思いもしたが、あの性悪女狐が逃がしてくれるわけなどないことは、ここ数日で身に染みて理解している。とにかく、ここは大人しく待つしか選択肢はないだろう。

 戸惑い、羞恥、覚悟、恥じらい、ともかく色んな複雑な思いを胸に抱き、煙が晴れていくのを静かに見守っていく凛。

 やがて煙が晴れてくると、楓がキツネ目細めて、これ以上ないほどに、にんまりと笑みを浮かべているのが凛の目に映った。

 ……やはり……また……。

 絶望じみた吐息をもらし、うつむく凛。


「…………む?」


 うつむいたところで、何かに気づいて声をあげる凛。まだ煙が完全に晴れてはいないのでよくわからないが、何やら小さいものが部屋の中央にいるようだ。

 ひょっとして……?!

 微かな希望にすがるような気分で、じぃ~~~~~っと部屋の中央を見つめ続ける凛。やがて、煙が完全に晴れてきたところで、その小さなものの姿が凛の目にハッキリと映った。

 ――ふんっ!

 なんと、手のひらサイズの巫女装束姿の凛が、部屋の中央にデンと腕を組んで立っていたのだ。


「こっ、これはッ?! 楓殿ッ!! ご覧くださいッ!! ついに私はやりとおしましたッ!!」


 感極まり、ついつい子供のように喜んでしまう凛。だがすぐに、なんとはしたないことを……と自制をし、お、おほんっ! と咳ばらいをして威儀を正した。そんな凛の姿に楓は顔をほころばせながら、


「うんうん♪ 大変だったわねぇ、よく頑張ったわねぇ♪ ほぉ~らっ、いいこいいこぉ♪」


 凛の頭をよしよしとさすってやる楓。凛は頬を赤らめながらも、抵抗することなく楓のよしよしを無言でうける。なんだかんだいいながらも凛はまだ十九歳。褒められて嬉しいお年頃だ。

 そんな中、チラリと小さな凛に目をやる楓。

 ふんっ!

 小さな凛――ちび凛と目が合うと、ちび凛がつんっ! とした態度で楓から目をそらす。


「……本人に似て、愛想がないわねぇ」

「そっ、そう言われましても、その……」


 凛が口ごもると、部屋の隅々から、

 なのっ! なのっ!

 という可愛らしい声をあげながら、楓の式神たち――ちび楓が続々と姿を現し始めた。


「あらぁ? 新しい仲間に気づいてご挨拶しにいくつもりみたいねぇ」


 楓がそう言うと、なるほど確かに楓の言う通り、ちび楓たちが、ちび凛を囲むようにして集まってきた。


 ふ、ふんっ?!


 数の圧力に怯えているのか、不安そうな声をあげるちび凛。そんなちび凛のそばに、ちび楓のリーダー格らしい一人が歩み寄っていく。さあ、これからどうなるかと楓と凛は静かに事の成り行きを見守る。


 なのっ! なののっ! なぁのなのぉ!


 両手をふりふりして、何かを必死にちび凛に訴えかけているちび楓。


 ふんっ!


 そんなちび楓の必死の訴えを、つんっ! として顔をそむけて一蹴してしまうちび凛。すると、ちび楓が涙をにじませて、ちび楓の集団の方を向いた。


 なのぉ! なのなのぉ!


 ちび凛を指さしながら、涙交じりでちび楓の集団に訴えかけると、ちび楓の集団が一斉に目を吊り上げてちび凛に向かって、


 なのぉ!! なのののぉ!!


 と、罵声? らしきものを浴びせかけた。


 ふっ、ふんっ?! ふふ、ふんっ?!


 明らかにうろたえた素振りを見せるちび凛。それに勢いづいて、ちび楓のリーダー格が再度ちび凛に、


 なのっ! なののっ! なぁのなのぉ!


 両手をふりふりしながら必死に何かを訴えかけると、ちび凛も今度は顔をそむけることなく、しゅぅ~んとした様子でコクコクと小さく何度もうなずいて見せた。


 なぁのぉ♪


 どうだ、参ったか! というように胸をそらせるちび楓のリーダー格。それを見ていた楓は、うふふぅ♪ とキツネ目細めて言った。


「どうやら、上下関係が定まったみたいねぇ♪」

「……なんといいますか、世知辛いですね」


 自分の分身が楓の分身に頭を下げている姿に、なんとも複雑な胸中の凛であった。


「まあ、とにかく、リンちゃんが式神を誕生させることに成功したのは間違いないから、一つ進歩したのよぉ♪ それじゃあ、次は式神を使役――つまりは言うことを聞かせる訓練に移りましょうねぇ♪」

「はっ? 言うことを聞かせる、ですか?」

「そうよぉ。式神というモノは、ある意味で言えば一つの独立した思念体であるからして、まあ難しいことを省略して簡潔に言うと、式神は自我をもってるのよぉ。だから、式神を生み出した張本人が命令したとしても、式神が自分の主人だと認めない限り、言うことを聞いてくれないのよぉ」

「むぅ……何と言いますか、恩知らずなモノでございますね。私の分身ならば、義理や道理をちゃんと通してもらいたいものです」


 キッ! と切れ長の目を吊り上げてちび凛をにらみつける凛。しかしちび凛は、ふんっ! と顔をそむけて、言うことなんか聞いてやるものかというわかりやすい態度をとってみせた。


「あらぁ? 前途多難のようねぇ、これはぁ」

「くっ……なんでしょう、自分の姿をしている分、バカにした態度をとられると、必要以上に怒りが湧いてきます……!」

「精進するしかないわよぉ。陰陽道の基本は、何事にも動じない不動の心――そして式神は、陰陽師にとって、とても大切な武器となるのよぉ」

「武器――ですか?」

「そうよぉ♪ ほぉら、し~ちゃんたちぃ♪」


 楓の号令に、ちび楓たちが、なのっ! と威勢よく手をあげて応えた。それを見て楓はうなずき――キツネを大きく見開いて、一喝した。


刀神形態とうじんけいたい!! 急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!!」


 楓の一喝をうけ、楓の式神たちの数人が飛び上がり、空中で光の塊へと変貌した。それらの光の塊が一つの大きな光の塊となり、それが刀の形の光の塊と変化していく。そして、その光の塊が見事な意匠の刀となって、楓の手に向かって飛んでいく。楓はそれを手に取り、スラリと刀を鞘から抜いて凛に向けた。


「ほぉら、武器になったでしょぉ? 名付けて、名刀アブラアゲよぉ♪」

「な……なんと……!!」


 刀の名前はともかく、それがすさまじい力を有していることは、陰陽道初心者の凛にも、ひしひしと感じられた。まあ凛としては、あの可愛いちび楓たちにこんな力があったのかという驚きのほうが強かったのだが。


「もちろん、刀だけじゃなく、弓や薙刀なんかにも変化させることができるのよぉ。リンちゃんの今の腰の刀だと、実際に妖怪と対峙した時にちょっと心もとなすぎるのよねぇ。確かにリンちゃんの刀も名刀なんだろうけど、それはあくまでも対人間でのお話――妖怪に普通の刀なんか、剣豪に子供がつまようじで挑むようなものよぉ」


 楓から辛辣な言葉を浴びせかけられ、うぐぐ……! と歯ぎしりする凛。それに気づいた楓が、名刀アブラアゲをもとの式神の姿に戻しながら、キツネ目細めて凛に提案した。


「ねえリンちゃん、リンちゃんの腰の刀を楓さんに貸してちょうだいなっ♪」

「……わかりました」


 不承不承といった体で楓に刀を渡す凛。楓は刀を受け取るや否や、

 バキィンッ!!

 と、飴でも折るかのようにいとも簡単に、細腕で刀を鞘ごとへし折ってしまった。


「なぁっ?!」


 驚愕の叫びをあげる凛に、楓はキツネ目細めてしたり顔。


「ほぉら、このとおりぃ♪」


 言葉を失う凛に、ちび凛がひょこひょこと歩いてきて、正座している凛のふとももをぽんっと叩いた。どうやら慰めてくれているようだ。


「と、いうわけで、リンちゃんの得物もなくなったわけだし、速やかに式神を使役できるようにならないといけないわねぇ」


 いや、へし折ったのは楓殿ではございませぬかと言いたいところだが、それを口にしてはもっと手ひどい仕打ちを受けてしまうかもしれぬ。仕方なしに、凛は泣き寝入りの体で、力なくうなずいた。


「じゃあ手始めに、式神に命令をくだしてみましょうかぁ。リンちゃん、楓さんの言う通りに、式神に命令してみてちょうだいなぁ♪」

「はい」

く駆けよ――急急如律令。はい、どうぞぉ♪」


 楓から促され、凛は自分の足元にいるちび凛に向かって、命令を下した。


「疾く駆けよ!! 急急如律令!!」


 しかしちび凛は、ふんっ! と顔をそむけて、ちょこんっとその場に正座をしてしまった。

 くっ、なんと可愛げのないモノだ!! と、凛は思ったが、それが自分の分身だということを思い出してため息をついた。つまりは、普段の私もこのように可愛げがないということか……。


「うぅ~ん、これはちょっと時間がかかっちゃうかもねぇ。楓さんの見たところ、リンちゃんの式神はちょっと一癖ありそうよぉ」

「一癖といいますと?」

「ええっとねぇ、どう説明すればわかりやすいかしらぁ? リンちゃんってば、今までずっと同じヒトガタに法力を注ぎ込んできたでしょぉ?」

「え? ええ。ものを粗末にするのはいただけませんので」

「だからぁ、今まで失敗はしてても、ヒトガタにはずぅ~~~~っとその分の法力がため込まれてきたわけよぉ。それが今日になって、ついに形になった時にいままでため込んでいた法力全部が式神に流れ込んでいるわけだから、普通の式神よりも法力が強い分、頑固で中々言うこと聞いてくれないかもしれないわけよぉ」


 は、はぁ……とわかったようなわかってないような顔をする凛に、楓がこれならわかるかしらと例え話を一つ。


「つまり、今までずっとお便所が出なくてお腹にため込んでいたのが、今日になって一気にドバっと出たからその量と臭いが物凄いといった感じかしらぁ?」

「た、たしかにわかりやすいですが、そ、そんな下世話な……」


 頬を赤らめる凛。ちび凛も、嫌な例え話をされたことに、ふんっ!! となおさらツンツンした態度をとってみせた。


「そんな普通よりも強い力をもった式神に言うことを聞かせるには、リンちゃんが式神以上に強い法力を体得するしか道はないわけよぉ」

「なるほど、楓殿のおっしゃることはごもっとも――して、その修練の方法は如何に?」

「その修練の方法はねぇ――――」


 えへっ☆ と性悪女狐の危険な笑みが凛に向けられる。まずいっ!! と思った凛だが、もうすでに遅かった。目にも止まらぬ速さで楓が袖の中から御札を取り出し、それを凛のおでこにぺたっと貼り付ける。


「はうっ?!」


 凛の全身を強烈な金縛りが襲う。それを見て足元のちび凛も、恐怖に身体を震わせた。ちび凛も女狐の恐ろしさを肌で感じ取ったようだ。慌てて部屋の隅へと逃げていくちび凛を、部屋の隅の見えないところで待機していたちび楓が引っ張りこんで保護してやった。持つべきものは、主従関係である。

 楓が、身の毛がよだつような悪い笑みを浮かべて、凛に宣告する。


「さぁリンちゃん――式神を誕生させたときのように、法力を額の御札に集中させて、見事金縛りから逃れてごらんなさぁい。もし、逃れられなければ……」

「の、逃れられなければ……?!」

「リンちゃんのありとあらゆるところを、楓さんが揉みしだきますっ♪」

「はぁっ?!」

「さあ、制限時間は十分よぉ、よぉ~~~~い、はじめぇ♪」


 ぱんっと手を叩いて修練開始を告げる楓。

 いっ、今までは臀部だけであったが、今回は絶対にならぬッ!! ありとあらゆるところ……想像するだに恐ろしいッ!! 絶対にッ!! 絶対にッ!! 失敗してなるものかッ!!

 むぅぅぅ~~~…………!! と必死に――そう、必死に集中力を高めていく凛。

 それをウキウキ気分で見つめる楓の心中は、まさに性悪女狐と呼称するにふさわしいものであった。


(リンちゃん、一生懸命頑張ってるけどぉ……楓さんのその御札を剥がすには、まぁ~だまだ時間がかかるわよぉ♪)


 じゅるり……と口元からよだれを溢れさせる性悪女狐。そんなことに気づく余裕もなく、必死になって集中力と法力を高めようとする凛。

 この師弟がこの後どうなったか?

 それは、この後数時間にわたり、断続的に悲鳴が化け物長屋に響き続けていたといえば、察してくれるだろう……ああ、哀れなるかな純情乙女よ…………。

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