第一幕ノ終幕 人でもなく妖怪でもないモノ――みんなからのおかえりなさい
「うぅ……ひっく……ぐすっ……ひっく……」
道場を出てから、凛はずっと煉弥の背中ですすり泣きを続けていた。
自分の信じていた者から裏切られた悲しみ。
両親の最期と、それがどのようにして行われたかを知った悲しみ。
そして……自分の大切な人の心を、ひどく傷つけてしまったという悲しみ。
ありとあらゆる悲しみが、凛の心をひどくいためつけてしまっているのであった。
そんな凛に、なんと声をかけてやるべきか、煉弥は歩きながらひどく悩んでいた。
あっけらかんと話しかけるべきなのだろうか。
いつものように、減らず口でも叩いてやるべきなのだろうか。
だが、そのどちらかを行うにしても、今の煉弥には少々難儀な話ともいえた。
なぜなら、煉弥の心も凛までとはいかないが、とても傷ついていたからだ。
鬼へと変貌を遂げた自分を見た時の、凛のあの表情――化け物の恐怖に怯えた、あの表情――――。
ギリッ……と小さく歯ぎしりをする煉弥。凛のあの表情が頭に浮かび、凛に話しかけてやることも、慰めてやることもできない自分が歯がゆかった。
だが――もう、覚悟を決めなければならない。
もう、あの姿を見せてしまったのだ。
もう、逃げることなんてできない。
もう……逃げるなんてことは、してはならない。タツ兄にも――楓さんにも――そう約束したはずだ。
歩く足を止めずに、ふぅ!! と大きく深呼吸をする煉弥。そして、
「……別に答えなくてもいい。ただ……聞いてくれ」
と、背中の凛に優しく語り掛ける。
「……ぐすっ……」
すすり泣きを続けながらも、小さくうなずく凛。
「さっき、お前が見た通り……俺は、人間じゃない。だからといって、妖怪っていうわけでもない。俺は、人間と妖怪の子供らしいんだ。らしいってのは、お前も知っての通り、俺は両親を知らないから……って、んなこたぁいいか。まあ、とにかく。俺は人間でもない、妖怪でもない、どちらでもないはぐれ者で半人半妖って呼ばれるモンらしい。簡単にいやあ、化け物だ」
「…………」
遠くから火消しの鐘の音が響きだすのが二人の耳に入った。源流斎の道場の火事にようやく町人達が気づいたようらしかった。
すでに源流斎の道場から遠く離れていた二人は、なんだかその鐘の音がこれから自分達の関係への警鐘のように聞こえた。
「俺が、人間じゃないってことに気づいたのが七年前……おっちゃんが殺された時に、俺が自分の不甲斐なさにブチ切れて感情を爆発させた時だった。青天の霹靂って言葉があるだろ? まさにそれさ。自分で鬼になって自分の姿見て失神だ。まったく、笑い話にもなりゃしねえ」
ふふっ……と自嘲するかのように鼻で笑う煉弥。
「眼が覚めた時、俺は恐ろしくなった。鬼に変身しちまうこともそうだが、鬼になった俺の姿をお前に見られちまうことが、俺にはとても恐ろしかった。お前に化け物扱いされることが……怖かった……」
「…………」
「それで、俺は楓さんやタツ兄に頼んで、あの長屋へと移ったんだ。それから俺は、妖怪仕置き人という役職に就くために鍛錬を始めて…………」
可能な限り懇切丁寧に、凛に全ての真実をとくとくと語る煉弥。
左馬之助が妖怪仕置き人だったということ。
実は、楓や蒼龍も人ではないこと。
むしろ、藤堂家の屋敷の女中二人さえも人間ではないこと。
それら全ての真実を、ツバメが知っていたこと…………。
自分の知りうる限りの情報と真実を、凛にゆっくりと丁寧に語りつくした。
「…………ということだったんだ。すまん。今まで隠していて……本当にすまん」
謝罪の言葉を口にする煉弥に、背中の凛が耳元で、
「なぜ……謝る……のだ」
と、か細い声で言った。
「いや、なぜって…………」
「かくして……いて……キサマ、も……つらかった、のだろう……謝るのは……私、のほう、だ……何も、知らずに……いて……キサマに……放言を、何度も吐いて……」
「だが、それは俺が隠していたからで――――」
煉弥が言葉を言い終える前に、ガブリッ!! と煉弥の首筋に噛みつく凛。
「いってぇ?! なっ、なにしやがんだよ!!」
「……私が……謝りたいと……言っているのだ……素直に……謝らせろぉ……」
嗚咽する凛。
「……わかった」
少しの間の後――――、
「……ごめんなさい……煉弥……たとえ、どんな姿をしていても……煉弥は……煉弥だ……だから……許して……煉弥ぁ……」
ぎゅっ!! と強く煉弥の背中にしがみついて謝る凛。
あまりに強くしがみついているので、凛のたゆやかな乳房が煉弥の背中でむにゅぅと押し潰され、その柔らかさの中に弾力を感じさせる感触に思わず声がうわずる煉弥。
「きっ、気にスんナって!!」
締まるべきところが締まらない……ああ、なんと哀しき童貞浪人よ……。
やがて化け物長屋の鳥居が見え始めると、煉弥に強烈な胸騒ぎが襲い掛かり始めた。
なんか、やばい。なんというか、本能が長屋の中に入るなって必死に訴えてるような気がする。
だからといって、今更藤堂家の屋敷まで進路変更をするわけにはいかない。
意を決し、凛を背負ったまま長屋の鳥居をくぐる煉弥。すると――――、
『かえってきたぞぉ!!!!』
という野太い声が長屋中に響き渡り、長屋の障子戸が一斉に開かれ、見るもおぞましき、はっちゃけた姿の妖怪共が煉弥と凛の周囲を取り囲む。
「なっ、なんだよてめえら?!」
煉弥の突然の大声に、ビクリと身体を震わせ顔を上げる凛。
「ど、どうした煉弥?」
そう言う凛の瞳は、まるで霞がかかっているかのような虚ろな瞳となっていた。楓の化け術によって、凛には周囲の妖怪共の姿が見えていないのだ。
「い、いやっ、その…………」
どうしたもんかと思案していると、
「あ……楓殿……」
いつのまにか楓が煉弥と凛の前に立っていた。その横にはオオガミとタマが満面の笑みで付き従っている。そして、楓のすぐ後ろには、
「あ……あの娘さんは……」
八重が涙目になって二人の姿を見つめていた。しかし、八重の涙は嫉妬や恋慕の涙ではなく、
「よかった……!! 御二人が無事で……!!」
純粋に、煉弥とその大切な人が無事でいてくれたことに対する、うれし涙なのであった。
「ほぉ~~んとっ♪ 二人が無事に戻ってきてくれて、楓さんも年甲斐もなく泣けてきちゃうわぁ♪」
泣き真似をする楓。その時、妖怪共をかきわけて現れるは、
「お疲れ様……煉弥。それに、凛」
穏やかな表情を浮かべた蒼龍の姿であった。
「もう、全て終わったんだね?」
「ええ……全て……終わりました……」
「そうか……うん、わかった。詳しいことはまた後程ゆっくり聞くことにしよう。今は、身体を休めておくれ」
ねぎらいの言葉を残し、江戸城へと向かう蒼龍。そんな蒼龍の背に、頭を下げる煉弥。
すると、楓が煉弥のそばへと歩み寄ってきて、
「で、レンちゃん――もう、全部話したのかしらぁ?」
「え、ええ……」
「そっか、そっかぁ♪」
すっちゃらっかちゃんちゃん♪ と小躍りする楓に凛が、
「か、楓殿……そ、その、煉弥から聞いたのですが、か、楓殿は――――」
「うん♪ 人間じゃないわよぉ♪ 楓さんはぁ♪ キツネさんなのだぁ♪」
ふふんっ♪ と胸を張る女狐。
「きっ、キツネさん……ですか?」
訝し気な顔をする凛に、
「そうよぉ♪ 証拠を見せたげましょうねぇ♪」
パンッ! と手を叩く楓。すると、凛の瞳の霞が少し晴れ、楓の本当の姿がその瞳に映りだした。
「ッ?! かっかかか楓殿?! かっ、髪が金色に?! そそそそそれに、その耳――し、尻尾ぉ?!」
「そうよぉ♪ 綺麗でしょぉ♪ 楓さんはねぇ♪ キツネさんの中でも、とぉ~~ってもエライキツネさんなのよぉ♪」
耳をピコピコ動かし、尻尾をフリフリして主張する楓。衝撃の事実に困惑している凛。だが、そんな凛におかまいなく、楓は、
「さぁ~~~てっ♪ 心の準備はいいかしらぁ? ドカンと一発すごい衝撃がきちゃうわよぉ♪」
と、喜び勇みながら袖から木の葉をひとつ取り出し、それを頭のうえにちょこんと乗せた。
「……何をするつもりなんですかい?」
「リンちゃんにかけている化け術を解いてあげるのよぉ♪ でも、ただ普通に解いちゃあ味気ないでしょぉ? だからぁ、キツネさんっぽく化け術を解いてあげようと思ってぇ♪」
「ば、化け、化け術?」
自分の理解の範疇をはるかに超えている出来事の連続に、困惑し通しの凛。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!! 今、凛の化け術を解くってことは――――!!」
ぐるりと周囲を見渡す煉弥。
地獄絵図――百鬼夜行――どのような形容が正しいかはわからないが、ともかく、正常な感覚を持った人間が見れば卒倒間違いなしの妖怪共が、ニヤニヤ面して今か今かとその時を待っているのが煉弥の目に映った。
「待った!! いや、待って!! お待ちください!! お願いしますおキツネ様!!」
「待てと言われて素直に待つキツネがあるものですかっ♪ はい――コ~ンコンっ♪」
パンッ!! と手を叩く楓。
凛の瞳にかかっていた霞が綺麗に消え去っていく――――そして、霞が完全に消え去ると同時に――――、
「ふぇ……? ひっ?! うわわわわあああああああっ!!!!」
大きな悲鳴をあげ、思わず煉弥の背にしがみついていた手を離してしまい、地にドスンと尻餅をついた。
そんな怯え切った凛へと、ずずずいっと近づていく妖怪共。
「わぁ?! 寄るなっ!! 来るなっ!! あっちに行ってぇぇぇっ!!」
きゃぁ!! きゃぁ!! と女子らしい可愛い悲鳴をあげる凛。
「お、落ち着け凛!! こいつら、見た目はちょっとアレだけど、悪い奴らじゃねえからさ……!!」
必死に凛をなだめようとする煉弥。
「さぁさ、み~~んなっ♪ 準備はい~~~いぃ?」
楓が長屋の妖怪共に声をかければ、
『おうさ!!!!』
と、小粋に答える妖怪共。
「じゃあ、いっくわよぉ~~~♪ せぇ、のぉ――――!!」
『おかえりなさい煉弥!! おいでませ!! 化け物長屋に!!』
と全員が声をそろえて煉弥と凛に歓迎の声をあげた。
「ばば、ばけ、ももも、のな、なが、やぁ?!」
震えながら復唱する凛の前に――――、
『余のご登場でございぃぃ~~~~』
と色情お化けがご登場。
「ひ、ひいいっ?! おおお、おば、おおおばばば……お化けぇぇぇぇぇっ!!」
ついに脳の
耳をつんざく絶叫をひとつあげたかと思えば、そのままその場で失神してしまった。
「お、おい凛っ!! 大丈夫か!! おい!!」
倒れこんでしまった凛を必死に抱きかかえる煉弥。そんな煉弥に楓がうふふぅ♪ とキツネ目を細めて笑いかけた。
「ねぇねぇ、レンちゃん――レンちゃんが藤堂家から出てきた本当の理由って、何だったかしらぁ♪」
この言葉に、半ば鬼へと変貌しかけながら煉弥が烈火の如く勢いでブチ切れた。
「それは――――凛がお化けやら妖怪の類が……人一倍……苦手だったからだぁッ!!!!!」
そう――噂に名高き女剣士・藤堂凛。彼女が最も苦手としていたものは、お化けや妖怪の類の怪奇話であった。
そしてその中でも、凛が究極に苦手としているのはお化けであったのだが…………その理由が実は、幼少の頃にツバメと共に化け物長屋に来た時に、楓が茶目っ気を出して一瞬化け術を解き、その時に目にしたお化け先生のせいであることは、今となっては楓しか知らない話であった。
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