第一幕ノ三十五 全ての清算――全ての真実
「凛――ッ!! 無事かッ!!」
肩で大きく息をしながら叫ぶ煉弥。その目に、道場の中央にいる二人の姿が燭台の灯りによって淡く浮かび上がっているのが映った。
全裸で、今にも凛を犯そうとしている源流斎に、大粒の涙を流しながらくぐもった嗚咽をする乳房が露わになった凛。
「――ッ?! おおおおああああッ!!!!」
怒号と共に全裸の源流斎に飛び掛かる煉弥。鬼薙之太刀を上段から振り下ろすが、源流斎の居合刀によって弾き飛ばされる。
地に足が着くと同時に、またしても一足飛びにて源流斎に斬りかかるが、それすらも呆気なくはじき返されてしまい、一度距離を置き、かつては師の一人と仰いだ外道に問いかける。
「どうしてだよ?! どうして――おっちゃんとツバメさんをその手にかけたんだよぉッ!!!!」
煉弥の涙交じりの問いかけに、源流斎は、
「キサマのような小僧にわかるもんかいなッ!!!! キサマのような小僧に――――ワシの想いがわかってたまるもんかいなッ!!!!」
と、地獄の餓鬼のような姿で煉弥に向かって吐き捨てた。
「わかるもんかよ……わかってたまるもんかよッ!! あんなにまでアンタを慕ってたツバメさんとおっちゃんを殺してでも遂げようとする想いなんて――――わかってたまるもんかよッ!!!!」
信じたくなかった。ここに来るまでに、何度、タツ兄達の詮議が間違っていてほしい願ったことか。
だが――事実は、こうして目の前にある。
今まさに、凛を襲おうとしている源流斎の醜い姿が、蒼龍達の詮議が間違っていないことを、煉弥に無慈悲な現実として目の前に展開しているのであった。
「利位を殺したのも、アンタなんだなッ?!」
「そうともよッ!! あの阿呆は、こともあろうに凛を手籠めにしようと画策しておったッ!! ワシの――ワシの、大切な凛をなッ!! 許せるか?! 許せるわけがなかろう?! 身の程も知らぬ上っ面のゴミムシが、凛のそばにおるだけでも許せはせんッ!!」
「アンタって人は……!! アンタって奴は……ッ!!」
「のたまうな!! 小僧が!! ワシがこうして行動に出たのも、全てはキサマのせいなのだッ!!!!」
「なんだと……ッ?!」
「キサマが凛と良い仲にさえならなければ……凛がワシだけのモノにさえなれば……あの阿呆も死ぬことはなかったのじゃッ!!!! キサマがワシから凛を奪おうとしたから……ワシはッ!!!!」
「モノだと……?! 凛は、てめえの所有物なんかじゃねえッ!! 凛は、てめえの好きに出来る人形なんかじゃねえッ!!」
「やかましいわ小僧っ子がッ!!!! こうなれば是非に及ばず――キサマも近いうちに斬るつもりであったが、のこのこ出て来おったからにはちょうどよいッ!! 今すぐこの場で斬ってくれるわッ!!!!」
そう言って、ぐるりと凛の方へと向き直る源流斎。
「しばし待つのじゃぞ、すぐにあの小僧を斬り伏せて、一生忘れえぬ
とろけた表情をして凛の乳房に口づけをしようとする源流斎。
「むぅ~~~!!!! んむぅ~~~~!!」
必死に身をよじって逃げ惑おうとする凛の姿に、
「てめえッ!!!! 凛から離れろってんだよぉッ!!!!」
激昂し、一足飛びにて源流斎のそばへと飛び掛かり、腰の鬼薙乃太刀を抜刀する煉弥。
それをひょいっと飛び上がって避けて距離をとり、居合刀を構える源流斎。
「ほっ、小僧――よもや、ワシに勝つつもりでおるのか?」
「当たりめえだ!! てめえのような外道――ツバメさんやおっちゃんに代わって、俺がぶった斬ってやらぁッ!!!!」
いきり立って、鬼薙乃太刀を鞘に納めて構える煉弥を見て、ケラケラと笑う源流斎。
「愚かよのう――愚かよのう――キサマに剣を教授したのは誰ぞ? 忘れたわけではあるまいて、キサマに剣を教授したのはこのワシ――柳源流斎ぞ。人の身にて神域へと達した唯一無二なる剣士――この、柳源流斎じゃぞッ!!!!」
「うるせえッ!! てめえだけは、絶対に許すわけにはいかねえッ!!!! てめえにだけは――――絶対に負けるわけにはいかねえんだッ!!!!」
腰を落とし、必殺の一撃への力を溜める煉弥。煉弥が腰を落としたと同時に、源流斎も腰を落とし神速の一閃を繰り出す構えを見せた。
「むぅ~~~!! んむぅ~~~~!!」
煉弥ッ!! お前があの人に勝ったことなど、一度もないではないかッ!! 助けに来てくれたことは嬉しい――だが……お前があの人に斬られる姿だけは――絶対に見たくないッ!!!! ありがとう、煉弥。お前が駆けつけてくれただけで、私はどんな仕打ちを受けても耐えれる覚悟ができた――だから、もういいッ!! 逃げてくれッ!! お願いだから――逃げてくれッ!!!!
凛が煉弥へと必死に訴えかけようとするが、口の布があざ笑うかのようにそれを妨害する。しかし、例え凛の口がきけて言葉が紡げたとしても、もう構えた二人を止めることなど出来やしないことだろう。
なぜなら、相対する二人には退けぬ理由があるからだ。
世の全てを敵に回したとしても惜しくはないほどに、恋焦がれた女。その女を奪い合う男同士――退くことなど、ありえぬことである。
腰の刀に手をかける煉弥と源流斎。
凍てつく空気が場を支配する。
重い沈黙。
わずかな呼吸音ですら、この場では許されぬ。
相対する二人のいずれかが次に呼吸をするときは――それすなわち、決着の刻――――!!
やがて、場の緊張感と己の置かれた状況による恐怖感から、凛が息を呑み、ふぅ……と鼻呼吸をひとつ。
それを皮切りに――――、
「おおおおおおおおおぁあぁあああああッ!!!!」
煉弥が――咆哮した。
己が人生の全てを――この一閃にッ!!!!
雷光さえもその姿を捉えることのできぬ――剛刃の一閃――――。
おそらく、煉弥の仕置き人の御役目を続けていた中でも、これほどまでの一閃を放てたことは一度もないであろう。
煉弥自身、その手ごたえを感じていた。まるで、左馬之助とツバメが、己の背中を押してくれているかのように――今までに感じたことのないほどの手ごたえを感じていた。
しかし――――煉弥の会心の一閃が――源流斎に届くことはなかった。
まるで、未来を予測していたかのように、源流斎は煉弥の剛刃をひらりと軽々と避け、そして――――、
「終わりじゃな――小僧ッ!!!!」
神域に達した神速の抜刀術にて――――煉弥の腹部を真一文字に薙いだ。
「ぐぅっ――?!」
斬られた腹部から鮮血をほとばしらせ、その場に崩れ落ちる煉弥。
「んんんぅうぅ~~~~~~~~~ッ!!!!!! んむぅううぅぅぅぅ~~~~~~~~ッ!!!!!」
言葉にならぬ凛の慟哭。
両親のみならず、愛しい人さえも奪われた少女の――――狂おしいばかりの魂の慟哭。
凛の心は、もう、いつ壊れてもおかしくはなかった。
そんな今にも瓦解しかけている凛の心を破壊し、良いように我が物に作り替えてくれんと、
「ほっほっほっ……!! 見たか、凛!! これでもう、ワシらの邪魔をする者はおらぬ!! これでもう――ワシの宿願を邪魔する者はおらぬのじゃッ!!!!」
と、身の毛のよだつような醜怪なる笑みを浮かべて凛に迫りくる、地獄の餓鬼の如き姿の源流斎。
それを、絶望のみが支配する瞳で虚ろな心をして見つめる凛。
もう――私には……誰も、いない……。
もう――私には……何も、ない……。
もう――生きていても……しようが、ない……。
モ、ウ……ワタ、シ……ナンテ……。
自害ができぬのなら、自らの手でもって心を殺そう。そうすれば、もう、何も感じなくてすむ。そうすれば、もう、悲しまなくてすむ。
凛が己が心を、自ら深淵の汚濁の中へと放りもうとした、その刹那であった――――、
「凛から離れろ――この腐れ外道が――――ッ!!!!」
深淵の汚濁を臨む崖から飛び降りようとした凛の心を
「うぅ……?! んむぅぅ~~~?!」
驚愕のうめきをあげる凛。されど、この場にて最も驚愕せし者は、凛に非ず。
「ばっ?! バカなッ?! 声をあげることなど、出来ぬはずだッ!!!! たしかに、我が神速の抜刀が小僧の腹を見事にかっさばいたはずじゃッ!!!!」
信じられぬ、そんなことなどあるはずがない!! 声のした方へと振り向く源流斎の目に映るは、間違いなくこと切れたはずの煉弥がその涼やかなる巨躯でたたずんでいる姿であった。
「ま、まさかッ?! そのようなことがッ?! たしかに斬ったッ!! 斬ったはずじゃッ!!」
手に持った居合刀に目をやる源流斎。たしかに、居合刀には煉弥の返り血がベッタリとこびりついている。動揺した心持ちのまま、斬ったはずの煉弥の腹部に目を移す。
やはり、煉弥の腹部には鮮血の跡がある。煉弥の衣服の腹部が斬れている。
だが――――斬れているはずの煉弥の腹部に切創はなく、綺麗に割れた腹筋が無傷でその姿をさらしているのであった。
「なっ、なぜじゃッ?! なぜ斬れておらぬッ?! なぜ死んでおらぬッ?!」
必死にのたまう源流斎を無視し、源流斎の後ろにいる凛へと煉弥が言葉を投げかけた。
「凛……覚えてるか? 俺が七年前に、藤堂家の屋敷に出ていったのには、理由があるって……そして、時がきたら、必ずその理由をお前に教えるって……」
「…………」
涙を流しながら、小さくコクリとうなずく凛。
「なんじゃと? 小僧――オヌシ、何を言っておるッ!!」
「凛……今が、その時だ。でも、正直なところを言えば……俺は、お前にだけはその理由を知られたくなかった――お前にだけは、その理由を見られたくはなかった……でも……約束だからな…………」
「…………?」
何を……何を言っているのだ、煉弥? キサマは……何を、しようとしているのだ?
「ええい、やかましいわッ!! 一度で斬ったくらいで死なぬというのなら、死ぬるまで斬り伏せるのみよッ!!」
源流斎が構えなおした、その刹那――――、
「グ……ガゴォォォォォオオオアアアアアッ!!!!」
煉弥の口から、この世の生きとし生けるもの全てが戦慄してしまうような――この世あらざる咆哮が響き始めた。
「ぬぅっ?!」
思わずたじろぐ源流斎。そんな源流斎に向かって一歩踏み出す煉弥。踏み出したその足が、道場の床を踏み抜く。そして前のめりになったかと思うと、両腕を思いっきり広げて宙を見上げてもう一度咆哮する。
ビリビリと、空気が震える。道場の壁にかかっている木刀が、煉弥の咆哮によってカタカタと音をたてて揺れる。あまりの咆哮のすさまじさに、耳をふさぐ源流斎。愛しい者のおぞましき咆哮に、小刻みに身を震わす凛。
やがて――煉弥の肉体に、変化が生じ始めた――――。
布が引き裂かれる音を立て、衣服の下から隆起してくるおぞましい筋肉――――。
引き裂かれた衣服から覗くその筋肉は、真紅に染まりあがり――――。
やがて、その顔さえも真紅に染まり――――。
真紅に染まった口元からは、切っ先鋭い巨大な牙がいくつも生えあがり――――。
ボサボサの頭のてっぺんからは、二本の角が突き出でる――――。
その姿――――正に、鬼。
醜く――おぞましく――見る者全ての心を凍てつかせる――地獄の鬼――――。
「ひっ……そっ、そんな……そんなことが……そっ、そんな、バカなことが…………ッ!!」
源流斎の背にいるせいで、煉弥の身に何が起こっているのか見えず、ただくぐもった声をあげることしかできぬ凛。
如何なることにも動じたことのないさしもの剣豪も、目の前で起こっている世の理を外れた光景には怯えずにはいられなかった。
鬼が、地獄からワシを迎えにきたとでもいうのか?! たとえそうであっても、ワシはまだ地獄になど行くわけにはいかぬ!! ワシの宿願!! ワシの凛!! ワシは――美の化身をこの手で抱くのだ!!
「ぎぃえぇぇえええええええええッ!!!!」
怪鳥のような叫び声をあげ、鬼へと神速の抜刀を繰り出す源流斎。
しかし、居合刀が鬼の身体に触れたかと思うと、
ギィィィンッ!!
という、金属の砕ける甲高い音が響き、居合刀がその刃の真ん中から見事にへし折れてしまったのだった。
「な、なにぃ――――?!」
動揺する源流斎の首根っこを、すかさず掴む真紅の鬼。
「げひゅぅ?!」
カエルを踏み潰したときのような声を漏らし、鬼の手によって高らかと持ち上げられる源流斎。
「んむぅ……? んぅぅっ?! うむぅっ!! むぅぅ~~~~~~~~!!」
源流斎が持ち上げられたことによって、初めてその視界に鬼の姿を認めた凛が、心底怯えた表情をしてみせる。それを、鬼は悲しそうな瞳で見つめていたが、すぐに手に持った源流斎へと視線を移した。
『外道ガ――キサマニハ、地獄ノ業火デスラ生ヌルイ――――!!』
心臓を鷲掴みにでもされるような、おぞましい声であった。
「ぐっ……げっ……げひゅ……!!」
声にもならぬうめきを漏らす源流斎の瞳に、鬼がその巨躯にふさわしい太刀を手に持つのが見えた。
『鬼薙乃太刀ハ、鬼ヲ薙グタメニアルノデハアラズ――――鬼ガ外道ヲ薙グタメニ在リ!!!!』
鬼が鬼薙乃太刀で空を斬る。すると、轟ッ!! という音と共に、全てを焼き尽くすかのような業火が鬼薙乃太刀の刃に灯された。
『外道――地獄ニ行ク前ニ覚エテオクガイイ――我ハ公儀御庭番・特忍組ガ所属・北条煉弥――マタノ名ヲ――――
掴み上げていた源流斎を、宙へと放り投げる煉弥。
そして――――!!!!
『ゴオオォォォォォォォォォォアアァァァァァァァァァァァアアアアアッ!!!!!』
おぞましい咆哮を発しながら、宙を舞う源流斎へと、人智を越えた鬼の力による上段からの振り下ろしが見舞われた。
空間さえ斬り裂くような剣圧の衝撃波と、岩をも溶かす業火の波。
その二つが源流斎の身体へと届く刹那、源流斎の脳裏に左馬之助の言葉が浮かび上がった。
――俺は、妖怪仕置き人という御役目を授かっていたんです。
あれは……妄言ではなかったのか……?! とすれば、ワシはこのまま地獄に…………ッ!!
それ以上の思考が、源流斎に許されることはなかった。
剣圧と業火が源流斎の老躯を飲み込み、まるで最初からそこに何もなかったかのように跡形もなく消し飛ばした。
剣圧と業火はそのまま道場の壁まで届き、業火によって道場に火の手が回り始めた。
鬼の姿が道場内に回り始めた火の手によって鮮明に浮かび上がる。そのおぞましき姿とは裏腹に、その瞳は深い哀しみに染まり、その深い哀しみは鬼の瞳から大粒の涙を散らせているのであった。
目の前で繰り広げられた鮮烈な光景に、思わず失禁してしまった凛。そんな凛の方へ身体を向ける、おぞましき地獄の鬼。
「んぅうう……!! うむぅ……!! むうぅ……!!」
おぞましい鬼の姿を眼にし、恐怖で正気を失いかける凛。
その姿を見て鬼は――とても……とても……哀しい表情をしてみせた。
そして、鬼が眼を閉じたかと思うと、鬼の真紅の巨躯がしぼんでいき、肌の色も真紅から人肌の色へと変貌していった。
頭の角はなりを潜め、口元の牙も引っ込んでいく。
そして――凛の前に現れたのは――誰よりも愛しい、アイツの姿。
「……帰ろう、凛。皆が……待ってるんだ……帰ろう……」
今までに聞いたことがないほどに――――哀しみに沈んだ声だった。
そこで、凛は気がついた。
自分が――――煉弥の心を酷く傷つけてしまったことに。
燃え盛る炎の中、凛はただただ涙を流すことしかできなかった。
凛を縛っていた縄を斬り、自分の破れた衣服の布で凛の乳房を隠してやる煉弥。
「さあ……行こう……」
煉弥は力なくそう呟き、泣きじゃくる凛をおんぶして、燃え盛る道場からゆっくりと歩み去ってゆくのであった…………。
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